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実を言えばこの論は小野小町の父を探していたときに、ふと奇妙な記述を発見したことから始まった。
小町の父として名の挙げられる人物として小野常澄がいる。小野良実（良真 『古今集目録』【藤原仲
実 著】 初出）のように初出が明らかにはなっていないし、良実の異称（常澄、當澄、常詞『佐竹本三十
六歌仙絵詞書』【藤原（後京極）良経 書】 初出）のように扱われることが多い。しかし、本来はすべて別
人であると見るべきであり、父の名が一定しないのは小町自体の実像が一定していないからに他ならな
い。小町の父のように口伝された人物名は、音に対して当てられる文字も変わるし、書写した文字の誤
読がさらにややこしくしてしまったのではないか。(｢よしさね｣も｢良実｣と｢良真｣の二種ある。常澄、當澄、
常詞は明らかな書き間違いによるバリエーションで、常澄がもとであろう。）良実も常澄もおそらくは小野
瀧雄の息子、吉河と恒柯がモデルとなっていると考えられる…。
とここまで書いて手が止まった。｢小野吉河｣って誰だ。瀧雄にそんな息子がいたのか？探してみると『尊
卑分脉』の『小野氏系図』ではなく『清原氏系図』に載っているではないか。小野吉河（吉柯 訓不詳「よし
か」あるいは「よしえ」 陸奥守永見孫 出羽守瀧雄二男）。間違いない。で、読んでいくうちに二度びっく
り。なんとあの清原廣澄の養父となっている。
清原廣澄は儒家の小野吉河の養子（『尊卑分脉 清原氏系図』）あるいは弟子（『群書類従本 清原氏
系図』）といわれている。養子と弟子ではかなり違うが、吉河と少なからず関係を持っていたことになる。
もとを糺せば清原氏は天武天皇の皇子舎人親王を始祖とする王氏の一族で、その流には大きく二つ
あり、三原王（御原王）に列なる流と貞代王を源とする流がある。嵯峨天皇の治世右大臣まで登りつめた
夏野は三原王の流であり、廣澄は貞代王の流である。この貞代王の流は、太政官少納言局に属する大
外記・少外記を世襲した、いわゆる局務家で、この始めは廣澄であるといわれる。大外記と共に（明経）
博士を兼任するのを通例とし、中原氏と清原氏がこの職を世襲したが、位階は正六位上（博士は正六位
下）であるから大して高くはない。
系図を見ると賜姓して王氏となった清原氏が局務家となるまで、かなりの混乱があったことが分かる。
（清原始祖）
天武天皇━舎人親王┳三原王━小倉王━夏野┳瀧雄
┃ ┣澤雄
┃ ┣秋雄
┃ ┗━━房則
┃ （賜清原姓） ↓養子
┗貞代王━有雄━通雄━海雄━房則┳深養父━春光━┳元輔
┃ ┗元真
┗業恒┳近澄━━┳頼佐
┗廣澄 ┗頼隆
↓養子？ ↓養子
┏吉河━廣澄━━━頼隆
（小野）…永見┳瀧雄┻恒柯
┣秋雄
┗峯守━篁
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上の系図は『尊卑分脉 清原氏・小野氏系図』に云われる一般的な誤謬を改め、少々手直しを加えたも
のであるが、親王四世海雄には子がなかったらしく、夏野の子房則を養子と迎えている。また廣澄も子が
なかったのか兄弟の近澄の子頼隆を入嗣させている。一族の清少納言（元輔女）も『枕草子』の二十五
段「すさまじきもの」の中に「博士のうちつづき女子生ませたる」と書いているのは、このあたりが頭の片
隅にあってのことであろう。
さて、廣澄は本当に吉河の養子となったのであろうか。これはおそらく「NO」である。この廣澄は小野に
入嗣した後も清原氏を名乗り（正しくは海宿禰、後に清原真人に改姓）、その子孫も清原を名乗る、いくら
なんでもこれはありえない。だいいち局務家の祖といわれる廣澄が他氏に養子に入るなどありえないで
あろう。また、年代があわない。吉河は「瀧雄子」を信じれば篁（801-853）と同世代。一方廣澄の生没年
は承平三（933）年から寛弘六（1009）年。約百年の開きがある。これでは弟子であった可能性もないか
ら、「養子」、「弟子」の記述はどこかで何らかの間違いがあったに違いない。
小野氏と清原氏は平安前期、少なからず結びつきをもっていた。第一に清原氏始祖の夏野は小野縄
手の女（小野朝臣家主）の子である。（『公卿補任』）
また洛北にある如意山補陀落寺は、清原深養父が隠棲した別業の寺であり、別名を「小町寺」と呼ぶ。
深草の少将が百夜通いをし、小町が屍を晒した地であるといわれ、小祠に小町老衰像を祀り、寺の本尊
が「如意輪観世音」であることも小町との関係を物語る（山科の随心院の本尊も如意輪観世音であり、
『御伽草子』の『小町草子』には「小町の本地は如意輪観音」となっている。）。ここはかの「出羽郡司良実
女」の記述から、小町は出羽の産と語られるようになる以前の小町伝承を残した地なのである。深養父
はなぜこの地を選んだのか。いや、もともと奥州に根付いた分家の小野氏の所領であったこの地を、どう
して手に入れられたのか。推測するならば、前記の小野縄手の女が小倉王に嫁し、夏野（初名繁野王）
を生んでいることから、夏野の後裔により小野の地が伝承されていたと考えるのも不自然ではなかろう。
ここで改めて系図を見てみよう。
（清原始祖）
舎人親王┳三原王━━小倉王━━夏野━━房則
┃ (782-837)↓養子
┗貞代王━有雄━通雄━海雄━━房則┳━深養父━春光━━━元輔
┃ (908-990)
┗━業恒┳━近澄━━┳頼佐
┗━廣澄 ┗頼隆
↓養子？ ↓養子
┏━吉河━━廣澄━━━頼隆
（小野）…永見┳瀧雄┻━恒柯 (933-1009) (979-1053)
┣秋雄
┗峯守━━ 篁
(777-830)（801-853）
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生没年が分かるものには括弧書きで書き入れてみた。房則の生没は兄弟の瀧雄(798-863)や秋雄
(811-874)等から推定は可能である。深養父は、寛平年間（889-898）から延長年間（923-931）に歌人とし
て隆盛を迎え、身分低いながら一定の評価を得ていた。孫の元輔の誕生を考えると、文徳帝が即位した
後(850-860ぐらい）の生まれであろう。そう考えると父房則との生没年のバランスが良くなる。しかし、そう
すると廣澄の生まれはどうか。
海雄の祖父有雄は天安元（857）年に從四位上の階位をもって卒した。その卒伝には「父貞代王」「天武
五代孫」の文字がある。ゆえに貞代王は自動的に舎人親王の子ではないことになる。そして夏野の子
「房則」を｢海雄」が養子に取ると、「通雄」は時間軸の中からはみ出してしまうこととなった。
貞代王から房則までの系統がどうもうまく繋がらない。
今回底本とした『尊卑分脉』もかなりの混乱があることは知られているし、元は洞院公定が集めたもの
で、諸家に伝わるものを補校はしているが仔細に欠けや誤謬を検討はしていない。この『清原氏系図』も
そうらしい。もう少しシビアに年代を追っていかなければならないようだ。
それに気になっていたのは廣澄が元々海宿禰を名乗っていたものを、寛弘元（1004）年十二月に賜姓
して清原真人に改姓したことと、系図のつながり。どう考えても廣澄は元来の清原の出ではないと思うの
だが…。ではこの「海宿禰」とは何か。
調べてみると海宿禰は平安初頭の資料に散見できるのが始めで、それ以前には現れてこない氏族で
ある。はっきりとしたことはいえないが、どうやら海氏の元は「凡海連」らしい。凡海連あるいは大海連（い
ずれも「おほしあまのむらじ」）と書くこの氏族は出自を丹後国とし、海人族の頭目であったという。かの天
武天皇の養育係（＝乳母）を務めたこともあり、ゆえに天皇は幼少期に大海人皇子と名乗ったのである。
このことから海宿禰は「あまのすくね」と読むと考えられる。『本朝世紀 朱雀天皇 天慶八年八月十三日
条』に「左史生大海保平。右史生海薫仲。」とあるから、大海氏と分かれて海氏を名乗ったのかもしれな
い。
この海宿禰の名の多くは官符にみえる。海正澄（天徳四年〜応和元年[少外記] 応和二年[大外記]）、
海薫仲（天慶八年［右史生］ 康保二年［左大史］）、海業恒（天慶九年［右大史］ 天暦二〜四年［左大
史］）、海色澄（寛和二年［右少史］）、海廣澄（寛和二年［權少外記］）などがそれであるが、年号を見ても
分かる通り天慶年間から改姓する寛弘元年（938−1004）の約七十年に集中している。さらに官職も外記
局の役職に偏りが見られる。改姓したのちも外記局の中に海氏であったであろう清原氏は多い。『今昔
物語』に見られる「明経博士善澄被殺強盗語」の助教清原善澄もその一人であろう。
つまり『清原氏系図』に描かれている通り、廣澄（父とされる業恒も含め）以下は王氏の清原氏とは違う
「別家」であって、王氏の系統は深養父の後裔のみに脈々と受け継がれたが、いつしか衰微して、血族で
はないものの同じ清原を名乗る海氏の末裔が、これに取って代わったのであろう。
だからといって、よく言われる廣澄が清原姓を「仮冒した」とは言い切れない。何がしかの理由もあるで
あろうし、一方の清原氏にも理由があったのだろう。その「何がし」が何であったかは分からないが（ちょう
ど正史も「寛弘元年条」は紛失していて状況が把握できない。）。海宿禰から賜姓して清原真人に、一族
もろとも（このあと海宿禰の記述が消え、丹波の出であろう相撲に海を名乗る者が見えるのみになる。）
改姓をしているのであるから、何かの功があってのことらしいし、後世の歴史家により、何かの勘違いが
起こったとも思える。夏野の子房則もこの頃の名前としては不自然であるし、その子が入った養子先が
海雄というのはなんとも出来すぎてはいまいか。
それなら系図を思い切って整理してしまう。
（清原始祖）
舎人親王┳…夏野━━房則
┃(782-837) ↓養子？
┗…有雄━ (房則)━深養父━━春光━━元輔━━女（清少納言）
（ ? -857） (908-990)
（海→清原）
…業恒┳━近澄━━┳頼佐
┃ ┗頼隆
┃ ↓養子
┗━廣澄━━━頼隆
(933-1009) (979-1053)
（小野）
…永見┳瀧雄━━恒柯…(吉河？)
┣秋雄
┗峯守━━━ 篁
(777-830) （801-853）
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清原夏野が亡くなると清原氏の弱体化は留めようもなく、深養父元輔あたりが名を知られているとはい
え、それは歌人としてで政治的権力からではない。一方海宿禰から改姓した清原一族は、局務家として
の足場が固まり始め、夏野流の清原よりも興隆してきていた。かたや消えかかり、片や姿を現しはじめ
る。似ているものが二つ並んでいると、近くで見ているものには別々と良く分かるが、遠目に見れば一つ
に繋がっているように見えてしまうということだ。
だが肝心の小野吉河との繋がりはよく分からない。吉河は本当に存在しているのか、それすら分から
ない。継続審議だな、これは。
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