<レインボー・セル掲示板>より転載
[712] 観覧車日和
投稿者:ほ・
TIME : 2002/12/29(Sun) 15:47
本日、『観覧車日和』拝受いたしました。
ありがとうございました。
大好きなボッティチェルリの切手が貼られた封筒をあけると、
とてもすっきりと美しい御本、
さっそく拝読いたしました。
綿菓子になんども舌を突き刺した世界が溶ける感触のなか
満月をゆずりゆずられ三日月はどっちがもらった 前世のふたり
「メイストーム、メイストーム」と風見鶏おまえも惚(ほう)けてそこにいるのか
トルソーにくちづけされた表情できみは石膏(ギプス)の冷たさをして
ふるさとの空き地に今も立っている俺の透明ランナー、さらば
泣きながらきみが黄色に塗る獏が夢を抜け出し夏をぺろりん
軟弱な罪を犯してやさしさは澄みわたりゆく みんな内緒さ
リリカルに離陸してゆく暁(あかとき)のジェット機真似て腕(かいな)をひろぐ
人知れず伸びゆく怒りの爪をもつ人間(ひと)は大きなひとさし指か
尖端パッ恐怖症の<パッ>神様へ<パッ>向けてみんなで<パッ>さすアンブレラ<パッ>
ふりむけば岬も海も空も陽もきみもすべてはトロンプ・ルイユ
僕達は消えていくんだゴンドラのひとつひとつのガラス越しにね
ママン、ママン、まぼろしのママン、ママン、ピジョン・ブラッドがめじるしの手
ソースせんべいソースたらりとこぼれ落ちどろんと暮れてあの日は消えた
墓守りの最後のひとり姿消しゆっくり育つマリモの緑
真夜中のコンビ二は何処へつながっている地球の裏の明るさをして
街じゅうの窓とじられて寝たふたりの、滅び去るとはそういうことだ
極月を駆ける終電 携帯電話(ケータイ)に首を縊りしサンタも揺れて
ぼくたちの心根(こころね)がほらユダとなり藤房となり風に揺れてる
さっと二読しただけで失礼かもしれないのですが、上記に勝手に選歌させていただきました。
(うつしまちがいありましたらごめんなさい)
神崎さまのお歌、一首づつ拝見したり、またHPに載せておられるのをときおりみたりしていたかぎりでは、
いろいろな手法を、器用(よい意味でも、悪い意味でもの 器用)につかって多彩に詠んでおられるなあ、
と、思っていたのですが、こうして、御本になって拝見してみると、そして、選ばせていただいてみると、
神崎さまの、統一した個性がありありとみえてきました。
どこか、翻訳調のかわいた文体、てらいなくつかわれるはなし言葉、
すっとはずされる定型のリズム(それが、お歌の内容とマッチしていて心地よいです)、
そして、かわいた文体のうしろに、とろりと匂ってくる、土着的な感性。
こういうと誤解されるかもしれませんが、かっこよくかっこよく、世界をつきはなそうとすればするほど、
ついてくる、しっぽのような、生きている世界に対する未練というべきもの。
(それがとても美しいあきらめや悲しさをかもしだしていていちばんの魅力になっているのですが)
そういう意味での土着性を感じました。
また、さらに深く鑑賞させていただきたいと存じます。
とりいそぎ、感想まで。ありがとうございました。