春の香り

「もう・・・春なのか・・・」
 美しい髪を靡かせ、美しい男は呟く。その手のひらには、異世界の少女が残していった四葉
が一枚。
「私たちの世界では、これを持っていると幸福になれるって言われているんです。ずっとお守り
に持っていたんだけど、友雅さんに上げます」
 
 そう言って可愛らしく微笑んで、自分の手のひらにこの四つ葉を乗せたあかねの顔が、今で
も瞼に浮かぶ。
 その時は、特に何とも思っていなかった。強いて言えば、異世界から来た少女は珍しかっ
た。ただそれだけだった。
 そして、そんな風に思っていたあかねに心を奪われ始めたのはいつのことだったのだろう。
 今となっては、もう思い出せない。しかし、あかねの存在が自分の中で最も大きなモノとなっ
ているのは、その時も今も同じである。
「去年は神子殿がいたが・・・」「
 友雅はそう呟いて、ふと傍らの桜の木を見上げた。
「神子殿がいたら、何て言っただろうね・・・」
 枝いっぱいに薄紅色の桜が咲いている。あかねと出会った時も、ちょうどこんな風に桜が咲
いていた。
 桜の花の散った後を、「さくらの絨毯ですね・・・」と言って、微笑んだ彼女を忘れることが出来
ない。
「私、友雅さんのこと好きだけど・・・、ごめんなさい。私、ここには残れない・・・。帰り・・・たい
の。本当に・・・ごめん・・・なさい・・・」
 泣きながらそう言った彼女の顔を消し去ることが出来ない・・・。
「どうして彼女の世界に行かなかったのだろうか・・・」
 それほどまでの情熱が無かったという訳ではない。
 ただ、友雅は情熱に身を任せるには大人になり過ぎていた。
「あの時、もし、彼女の世界に行っていたならば・・・。いや、もしものことは考えないようにしよ
う・・・」
 そう言って、友雅は自嘲気味に笑ったが、その笑みには悲しささえ漂う。
 その時、不意に風が強く吹き付けた。
 桜の花びらが舞い散る中、一人の少女の姿を見た。
「神子殿・・・!?」
「友雅さん・・・」、
 微かな声ではあったが、自分の名を呼ぶ愛しい少女の声が聞こえた・・・気がした。
 全てが・・・幻だった。桜が見せた悪戯だった。
「どうかしている・・・」
 そう呟いて額に手を添えたとき、手のひらに触れる熱い何かを感じた。
 涙だった・・・。
「この桜が、私の夢路に通う神子殿の視界を閉ざしてくれれればいいのだが・・・。君が私の夢
に通ってくるから、私は君へのこの思いを断ち切ることが出来ないのだよ・・・」 
 友雅は、流れ落ちる涙をそのままに思う。
 願わくば、足繁く通う自分のせいで彼女が自分を忘れることが出来ないように・・・。 大人過
ぎた友雅の、大人気ない願いだった。
 そして、二度目の風が吹いたとき、友雅とあかねを結ぶ唯一のそれは、友雅の手のひらから
風がどこかに攫ってしまっていた・・・。


                         終


この話は、コブクロの風という曲を聞いたときに書きたくてウズウズしてしまい書いてしまいました。
友雅氏ファンの皆様には、申し訳ないです。