恋ひ恋ひて<二>

 二つ目の心のかけらを手に入れたとき、泰明は今まで誰にも語ったことなど無い自分の出生
の秘密を語った。
 それは、泰明が人間ではないという事実だった。
 泰明のその告白に、あかねは驚きを隠せなかったが、その事実に対して臆するわけではな
く、泰明の心の内に触れてこようとした。
 しかし、泰明は、自分でも判らぬままに、あかねのその行為を拒絶し、声を荒げていた。泰明
の人間らしい瞬間だった。しかし、自分の中に芽生え始めているこの感情が何なのかわから
ず、泰明は変化していく自分について行けずにいた・・・。

 そして、それは突然訪れた。泰明の心に心のかけらが全て戻った瞬間、何とも言えない感情
が泰明を襲った。心は全て満たされたはずなのに逆に全てを攫われてしまったような・・・。
「泰明さん、大丈夫ですか?」
「・・・。問題ない」
 心配そうな顔のあかねに、彼はただ表情を変えずいつものように答えるしかなかった。 それ
から、泰明は、自分の中でどんどん大きくなっていく感情を打ち払おうと必死だった。こんな感
情を抱くことは、分不相応だ・・・。そんな思いが泰明を苦しめる。邪念を払うように泰明は火之
御子社に通うが、思いは増していく一方だった。

「泰明さん、ここで何をているんですか?」
 会いたくなかった・・・。今、こんな状態で自分は神子に会うべきではない。泰明は、そんな思
いであかねを見る。
 そんな自分の思いを知らずにあかねは質問を繰り返す。
「・・・」
 泰明が放った言葉で、あかねが言葉を無くす。
 違う・・・。こんなことを言いたいわけじゃないのに・・・。
 泰明は、今までに見たことが無いぐらい取り乱し、あかねの視線から逃げ出すかのように走
り去ってしまった。
 自分の心の醜さに気がついてしまった。神子と同じ人間になりたいなど・・・。人ではない自分
が決して抱いてはいけない感情。自分は道具であるべきなのに・・・。私は、とうとう壊れゆくの
だろう・・・。そうでなかったら、こんな感情を抱くないはずがないのだ・・・。
 普通の人間なら、好きなものと対等になりたい・・・。それは、ごく当たり前の感情だった。しか
し、人ではなかった泰明は、この感情が、至極自然な愛というものだということを知らなかっ
た。人にとっては当たり前のこと・・・。しかし、泰明にとっては異常なことだった・・・。
「私は、神子の傍にいてはならないのだ・・・」
 泰明の心を支配するのは、ただその感情のみだった。

 壊れゆく自分を見たら、神子は悲しむだろうか? 怖がるだろうか? 壊れゆく自分を・・・、自
分の最後を神子に見られたくない。そんな思いで泰明はひたすら走り続けた。
 そして、走り続けた泰明は、見知らぬ土地へと辿り着いていた。
「ここは、どこだ? いや、何処でも構わぬか・・・。どうせ朽ち果てる身。何処で朽ち果てるも同じ
こと・・・」
 泰明は、そう呟きながら見知らぬ土地を歩き出す。
「泰明、どうした?」
 バさっと言う大きな羽音とともに、泰明の頭上から聞き慣れた声が降って来る。
「その声・・・。天狗か・・・。・・・どうもしない」
「そうかのぅ。わしには何かあったように見受けられるが・・・」
「何も・・・何も無い」
 泰明は、歩みを止めず、言葉を続ける。
「フォッフォッフォッ。やはり、あの娘と何かあったのだな。隠さずとも良い。わしは全てわかって
おる。泰明、お前、自分では気付いておらぬかも知れぬが、だいぶ良い顔をしておるぞ。これ
も、あの娘のおかげなのかも知れぬな。のぅ、泰明。お前の中に芽生えているその感情。お前
は穢れたものと考えているようだが、決してそうとは限らんぞ。お前の中にあるその感情は、人
間ならば誰もが一度は抱くもの。至極当然の感情なのだ」
 天狗は、泰明に言い聞かせるように言った。
「しかし・・・。私は人ではない」
 「のぅ、泰明。思い出すのだ。お前には人として欠けているものがある。いや、あったと言うべ
きか・・・。それを手にしたとき、お前は人間になれる・・・」
「いや、私は壊れていくのだ・・・」
 天狗の言葉に全く耳を貸そうとしない泰明に天狗は諦めたように溜め息をつく。
「ならば、泰明。壊れていくというのなら、八葉としてあの娘を守って死ぬがいい。こんなところ
にいては、あの娘に何かあった時、守ることが出来ぬぞ」
 天狗はそれだけ告げると、再び大きな羽音を立ててどこかへ飛び去ってしまった。
 泰明は、天狗のその言葉を頭の中で反芻させながらゆっくりと、来た道を戻りだした。
「これでいいのじゃな」
「ああ。すまなかった。あいつは私が何を言っても話を聞こうとはせぬからな」
 晴明はそう言うと、天狗に酒を差し出した。
「そうだな。泰明はお前に似て、なかなか素直ではないからな・・・」
 そう言って、天狗が苦笑する。。
「私に似ているかどうかは別として・・・。まあ、あとはあの娘に任せるしかないな。あの娘が多
分、泰明を変えてくれるだろう」

「・・・神子。どうして、ここに?」
 先ほど、双ヶ丘に着いたばかりの泰明は、驚きを隠せぬ顔であかねを見る。その問いに対し
てのあかねの答えは、あり得ないものだった。神子の元に行った覚えなど無いのに・・・。
 晴明の仕業だった・・・。
 自分がいない間、神子はどんな思いだったのだろう・・・。どうでも良かったのだろうか? 心配
してくれたのだろうか? 神子の前から姿を消しても、自分の心から神子を消し去れなかった自
分のように、神子は、自分の事を考えてくれたのだろうか・・・?
 そんな思いが泰明の胸を締め付ける。
 しかし、あかねがどう思っているかなどと、泰明にとってはもうどうでも良くなっていた。神子か
ら離れている間、自分は神子の存在を消すことが出来なかった。それが、自分の出した答
え・・・。
 その瞬間、泰明の顔の封印が解けた・・・。泰明の中に、あの日の師匠の言葉が蘇る。「愛し
い」という思い・・・。それがこの封印を解く唯一の呪だと・・・。神子に会わなければ、決して解
かれる事の無かった封印・・・。決して結ばれることは叶わなくても、最後のその時まで、この人
のためにあろう・・・。泰明は、そう、思いを新たにした・・・。

 そして、鬼との戦いに無事勝利し,京に平和が戻った。
 人間となった泰明の隣には、異世界から来た娘が笑って立っていた。
「神子、ありがとう。私はいつ消え行く存在かわからぬが、いつかこの身が朽ち果てる時まで、
お前とともに在りたいと思う」
 泰明はあかねを暖かい眼差しで見つめる。
「泰明さん・・・」
「私は、人ではない・・・。だからいつ消えるかわからぬ。それはこの瞬間かも知れぬし、何千年
も先やも知れぬ」
 泰明は、そう呟き俯く。
「あなたは、人間だよ。こんなに暖かい手をしているもの。こんなに優しい目をしているもの。だ
から・・・、二度とそんなこと言わないで」
 あかねはそう言うと、泰明の手をギュッと強く握り締める。
「そうだな・・・。神子。わかった、約束する」
「約束ですよ。じゃあ、指切り」
 そう言って、あかねは、小指を立てて見せる。
「指切り?」 
 泰明は、初めて聞くその言葉を不思議そうに聞き帰す。
「そうです。こうして・・・」
 そう言うと、あかねは泰明の右手を取り、その小指に自分の右手の小指を絡めた。
「♪ゆーびきーり・・・。ゆーび切った♪」
 そう歌い終わると、あかねは絡めていた小指を離す。
「私のいた世界では、こうやって約束をするんです」
「そうか、面白い風習だな・・・」
 そう言うと、泰明はまだあかねの小指の感触が残る指を見つめる。
「たとえ、泰明さんが忘れても、その小指が覚えてるんですよ」 
 あかねはそう言って、マジマジと小指を見つめている泰明に微笑んだ。
 あかねのその笑顔に返すように、泰明も、とても優しく微笑んだ。


続く