何度もあなたに恋をする
 昨日、文が届けられてから、というもの、あかねはずっとそわそわし続けていた。文には明日
どうしても会いたい、という意の文が認められていた。
「永泉様、遅いですわね」
「そうだね」
 あかねは立ち上がり、外に行こうとするが、藤姫に止められる。
「あかね様。以前のように、お一人で飛び出して行ったりなさらないで下さい。あの頃とは、また
立場が違うのですから」
「わかってるけど……、心配なんだもん」
 藤姫の言葉に頷きながら、あかねが腰を下ろす。
 あの日、鬼との戦いを終え、あかねは永泉とこの地に残ることを決めた。永泉は、あかねと
共に現代に行くと言ったが、誰も知る人のいない元の世界よりも、永泉が暮らしてきたこの世
界に残ることのほうが二人にとって良いのではないか、というのがあかねの下した決断だっ
た。
 元の世界にいる家族や、友人には二度と会えなくなってしまったが、自分には、こちらの世界
に仲間がいるし、この世界は永泉の育ってきた場所だと思うと、寂しく感じることはなかった。
 しかし、こんな風に永泉が来るのをただ待っている時は、現代が懐かしくなる。携帯電話があ
れば、すぐに連絡して、無事かどうかを確認できるのに、と思う。待っている時間も楽しいけれ
ど、こんなに長いと何かあったのでは、と不安に心が覆われてしまう。
「文を出してみましょうか?」
「うん、そうだね」
 あかねが文箱を取り出し、文を書き始めようとした時だった。
「神子。問題が起きた」
「まぁ、泰明殿」
「あ、泰明さん。どうしたの、急に。今ね、永泉さんに手紙を書こうと思って……」
「永泉が頭を打って倒れたようだ」
「永泉さんが?」
 文箱を片づけながら言葉を続けていたあかねの手が止まる。
「神子、落ち着け。ゆっくり呼吸をするんだ。永泉は無事だ。大事ない」
 一瞬にして顔色を失ったあかねを気遣うように、泰明が告げる。
「それで?! 永泉さんは今どこにいるの?」
泰明の腕をつかみ、必死に訪ねてくるあかねに、泰明が言いにくそうに目を逸らす。
「永泉は、今、寺にいる」
「お寺? 昔お世話になっていたお坊さんに挨拶に行ってたの?」
「わからぬ。ただ、永泉は今、僧侶だ」
 泰明の言葉の意味が分からず、とにかくあかねは自分の目で確かめようと、屋敷を出て行っ
てしまう。
「神子、まだ話は終わっていない」
 泰明が後ろからそう声を掛けるが、あかねはその声が聞こえていないかのようにそのまま走
って行ってしまう。
 泰明はため息を一つついて、あかねの後を追った。

「あの、永泉さんが倒れたって、聞いたんですけど……」
 肩で息をしながら永泉を探してあかねが周囲を見る。
「これはこれは、神子殿。いや、今はもう神子殿ではなかったですな」
「いえ、お好きに呼んでもらって構いません。それで、永泉さんは……?」
「そのですな。はて、何と言ったら良いのか……」
「良い。私が説明する」
 僧侶は、遅れてやってきた泰明に、一礼するとその場を立ち去った。
「永泉さん、無事なんでしょう? どうしてすぐに会わせてくれないの?」
 永泉が無事だと言葉で聞かされても、無事な姿を見ないことには安心できない、とあかねが
泰明に訴える。
「神子。今の永泉に、神子の記憶はない」
 淡々と告げられた泰明の言葉に、あかねが茫然とする。
「どういうこと?」
「わからぬ。ただ、どうやら永泉の記憶は、八葉に選ばれる前のものになっているようだ。私の
こともよくわかっていなかった。八葉として選ばれるまで、会ったことはなかったからな。名前だ
けは知っていたようだが」
「私、永泉さんに会いたい。会えば思い出すかもしれないでしょう?」
 必死で縋るように泰明の着物の袖を掴むあかねに、泰明はそうかもしれぬな、と同意を示し
た。


「永泉、あかねを連れてきた。わかるか」
「永泉さん、私です、わかりますか?」
  あかねは祈るような思いで尋ねる。しかし、永泉は小さく首を横に振り、一言、申し訳ありま
せん、と言った。
あかねは、自分の懐から一つの匂い袋を取り出し、永泉の前に差し出す。
「これ、昔、永泉さんが私にくれたものなんですよ」
 あかねは不安を隠すように一生懸命笑顔を浮かべ、永泉に告げる。
 永泉は匂い袋を手に取りじっくりと見るが申し訳ありません、と言って、頭を下げた。
「いいの! 謝らないで。永泉さんは悪くないんだし。そうだ、ちょっと外に行ってみませんか。い
ろんなところに行けば思い出すこともあるかもしれないですし」
 あかねは隣に座る泰明をチラリと見る。
「そうだな。あまり、無理をしない程度に少し外を歩いてみるのもいいかもしれぬ」
 泰明の言葉にホッとしたようにあかねは笑うと、永泉の手を取った。
「あの……っ。その……」
 困ったようにあかねを見る永泉に、あかねは慌てて永泉の手を離した。
「ごめんなさい。いつもこうしていたから、つい」
 あかねが申し訳なさそうに言う。
「あっ、いえ。あの、すみません」
「謝らないで下さい。じゃあ、行きましょうか」
 あかねは柔らかい笑みを浮かべ、促した。


「永泉さんと初めてきた場所です。永泉さんは、この滝にお兄さんと一緒に入ったことがあるっ
て、お話をしてくれたんです。私、兄弟がいないから、すごく仲のいい兄弟で羨ましいなぁって思
ったんですよ」
 音羽の滝を指差しながら話すあかねの横顔を永泉は不思議そうな面持ちで見つめる。その
視線に気づいてあかねが永泉を振り返った。
「この滝、鬼の穢れで一度枯れてしまったんです。今は、元に戻ってるんですけど。鬼の人たち
も決して悪い人達ではなかったから、どこかで幸せに暮らしてると良いですよね」
 あかねが頬笑みそう告げるのに、永泉は、そうですね、と頷いた。
「じゃあ、次の場所に行ってみましょうか」
「はい」
その後、野宮、吉祥天満宮、神泉苑と向かい、その場所での思い出話をしたが、永泉は、あか
ねのことを思い出すことはなかった。
「じゃあ、最後に深泥ヶ池に行きましょうか」
 いろんな場所に一緒に行きながら、何一つ思い出せない自分を不甲斐なく感じながら、永泉
はあかねと共に歩き続けた。
「ここでは、永泉さんから、深泥ケ池に伝わる悲しいお話を聞いたんです。私がいた世界にも
似たような話があるんです。ある男女が、恋をしたんです。でも、親は敵同士。許される恋では
なかった。それでも、二人は惹かれあうのを止められなかった」
 あかねの話に、永泉は静かに耳を傾ける。
「それで、彼女、ジュリエットは薬を飲んで、自分は死んだ、と親に思わせようとしたんです。そ
うすることで、彼、ロミオと添い遂げようと……」
 あかねは水辺に進みながら、話を続けた。
「でも、ロミオはそのことを知らなかったから、ジュリエットが本当に死んでしまったと誤解して、
眠るジュリエットの傍らで毒薬を飲んで死んでしまうんです。目を覚ましたジュリエットは、亡くな
ってしまったロミオに愛を誓って、短剣で自分の胸を刺し、死んでしまう。二人は、生きて結ば
れることはなかったけど、二人の愛は永遠のものになった。この池に伝わる話に、どことなく似
てるでしょう?」
 あかねの言葉に永泉は頷いた。
「そうですね。男を思ってこの池に身を投げた姫の思いは、叶うことはありませんでしたが、儚く
も美しい、私はそう思うのです」
「私だったら、どうかな。自分の好きな人と結ばれないとわかったら……。そのお姫様のよう
に、この池に身を投げて……」
 池を覗くあかねの体が、そのまま吸い込まれそうな気がして、永泉は気がつけばあかねの体
を抱き留めていた。
「だめですっ。あなたは、死んでは……!」
「死にません、私は。だから、安心してください」
 あかねのその言葉に、永泉はホッと胸を撫で下ろす。
「良かった……」
「だから、あの、もう大丈夫ですよ」
 少し恥ずかしそうにあかねが永泉の手に自分の手を重ねる。
 その感触に、永泉は慌てて、あかねを抱き留めていた手を離そうとした。しかし、あかねは、
その手をしっかりと握ったまま、言葉を続けた。
「私、何の取り柄もないけど、根性だけはあるんです。諦めが悪いっていうか……。だから、永
泉さんがたとえ私のことを思い出さなくっても、私のことを好きじゃないって思ってても、お姫様
やジュリエットみたいに自分から死んだりはしません。だから、安心してください」
 努めて明るい声であかねが告げる。
永泉はあかねの表情を窺い知ることは出来ないが、あかねの声も自分の手を握るあかねの
手もがかすかに震えている。そして、少しずつ自分の手に落下する水滴に、見えないながら
も、あかねが今どんな顔をしているのか見えるような気がした。
それでも、やっぱりあかねのことは思い出せず、それなのにひどく自分の胸は締め付けられ
て、永泉はこの感情を何と表現していいのか分からなかった。
「すみません……」
 永泉は、それしか言うことができなかった。
「そろそろ帰りましょうか」
 あかねは永泉の手を離し、目をゴシゴシと擦る。
「風が強くて、目にゴミが入っちゃったみたいです」
 赤い目でそう言って笑い、あかねが先に足を進める。永泉は、あかねの手を後ろからそっと
握る。その感触に、あかねが立ち止まる。
「暗いですから、足元に気を付けて下さい」
「……ありがとうございます」
 二人並んで手を繋ぎ、言葉を交わすことのないまま、二人は歩き続け、藤姫の館に辿り着い
た。
「あなたのことを私は思い出せないかもしれません。ですが、私はきっとまたあなたに恋をす
る、と思います。あなたが愛して下さった私ではないかもしれませんが……」
 あかねは、何も言わずにただじっと永泉を見つめていた。暗くなっていて、その表情は永泉に
はわからない。だけど、笑っていてほしい、と永泉は願う。
「それでは」
 永泉が、そう告げてその場を去ろうとする。
「今日、永泉さんは私に何か話があったみたいなんです。いつか、思い出すことがあったら、何
を伝えたかったのか、教えてくれますか?」
 あかねの問いに永泉は、ええ、必ず、と答え、その場を後にした。

 その晩、永泉は夢を見た。
自分が八葉に選ばれ、あかねに出会い、仲間に出会い、鬼と戦う。そうして、神子と過ごしてい
くときの中、いつの間にか自分の心があかねへの思いでいっぱいになり、苦しかったこと―
―。
 最後の戦いで龍神が現れ、あかねを連れ去ってしまうのではないかと、失う恐怖を感じたこ
と。そして、あかねがこの地で自分と共に生きていきたいと言ってくれたこと――。
 目が覚めて、永泉は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
自分がこんなに大事なことを忘れていたなんて――。
永泉は、取るものも取らず、駆けだした。自分の愛する人に伝えなければならない思いを抱え
て――。
 こんな風に走るのは、生まれて初めてだった。
「まぁ、永泉様、どうなさったんですか? お身体の具合は大丈夫なんですか?」
 藤姫が心配そうに尋ねるのに、永泉は答えようと思うが、呼吸が荒くうまく答えられない。
「永泉さん、どうしたんですか? 何かあったんですか?」
 心配そうに尋ねてくるあかねに、永泉は、やっと落ち着き始めた呼吸で、大丈夫です、と答え
る。
「あかね殿に伝えたいことがあって……」
 永泉は一体何から伝えたらいいのか、と逡巡する。そして、昨日、別れ際にあかねが言った
言葉を思い出す。思い出すことがあったら、教えてほしいと言われたあの言葉――。
「あかね殿……、私はあなたと家族になりたい。あなたと家族を作りたい。私とずっと一緒にい
て下さい」
 一気にそう告げると永泉は頭を下げる。
 あかねは何も言わず、黙っている。だめ、なのだろうか。そう不安に思い、永泉が顔を上げる
と、あかねは目に涙を溜めて微笑んでいる。
「私、根性だけはあるんです。だから、永泉さんが、また私のことを忘れてしまっても、私はいつ
までも永泉さんを好きですから」
 永泉は、その言葉に微笑み、あかねをぎゅっと抱きしめる。
「何度記憶が無くなろうと、何度もあなたに恋をします。あかね殿は知らないかもしれません
が、私はこう見えて意外とあきらめが悪いんです」
 永泉は、たおやかに微笑み、あかねに口づけた。


                   

永泉さん、お誕生日おめでとう\(^o^)/ ずっと心密かにしかお祝いできずにいた永泉さんのお誕生日を祝えただけ
で、幸せです。久しぶりなので、いろいろ楽しんで書いてしまったぁ(^^ゞ 一応、こちらは正統派で甘甘にしたつもりで
す(苦笑)。こちらもフリーです。よろしかったら、お持ち帰りくださいませー。