万木ゆくい様から頂いたアクラム×神子

「胎 前編」

  ただ、其所にあるのは闇であった。
 何処で果つるとも判らぬ───ただ純然たる闇。その漆黒に身を漂わせる彼は、其所で唯
一、闇ではない「闇」であった。

 どのくらい此処にこうしているのか―――目の前に、己の白い手を翳す。その白さは闇と彼と
の決定的な境界であり、何より受容し難い事実であった。

 ―――私は
 私は未だ「私」なのか?

 指の先から、髪の先から、爪先から―――何かが闇へとゆっくりと溶け込んでゆく。或いは、
朽ちてゆくと言うべきか―――しかし彼を彼たらしめるものは未だ身の内にあった。
―――闇へと
 ゆるゆると朽ちていく。消滅もせず……
 此れが「黒龍の供物」と成ることか?
 それとも……未練、か?

 朱の唇に薄い笑みを結ぶ。

「有り得ぬ―――」

 強く放たれた言葉は儚く闇へ溶け消えた。

 ―――未練なぞ在ろう筈も無し。

 彼にとって、世界の有りとあらゆる全ての事物は「京」という絶望を滅ぼす為の―――「無」に
帰す為の「有」として存在した。無論、それは彼自身も例外ではなく、彼は「京」を滅ぼす為に自
らを黒龍へ捧げた。供物となる事には微塵の躊躇いも無かった。
黒龍の招来は破壊―――即ち「無」の到来―――全て滅してしまうのに己が身を惜しむ必要
なぞ有りはしない。利用できるものは利用する。それだけ―――以上でも以下でもなく、ただそ
れだけ。何の感慨も無かった。

 ―――「京」が滅びなかったからか?

 あの時―――「龍神の神子」は白龍を召喚し「京」を救ってしまった。同時に―――彼の望み
は潰えた。
 しかし、それとて未練は無い。何れにせよ、黒龍に身を捧げ自分は消滅してしまうのだから、
その後の「京」の存亡などはどうでも良かった。
 やはり未練なぞ欠片も無い。
 
敢えて言うなれば―――。

 ―――己が身が消えぬ事が私の未練……か。

 存在するが故に消滅を願い、それが叶わぬ故に未だ存在する―――大いなる矛盾が「彼」
を無意味に維持していく。

「―――あさましや」

 怒りと嘲りとが綯い交ぜの、身の内から吐き出されたその呟きは漆黒へと飲み込まれていっ
た。
 その時―――。

『―――……』

 彼の言葉が闇と同化するのと同時に、何処よりからか―――それは彼方から届くようでもあ
り、此方より出るようでもあった―――音が、声らしき音が聞こえた気がした。

おそらく幻聴に違いない。
 当然だ。このような所で―――彼しか在り得ないこの空間において、彼以外の「音」が聞こえ
る―――そんな事は有る訳―――。

『―――ゥ……』

 幻聴ではなかった。今度は確かに聞こえた―――ひどく幽かで曖昧ではあるが、間違い無く
何者かの声が聞こえた。
 耳を澄ます。
 それは―――。

『……ッふえ……ン―――うぅ……ヒッ……―――』

 まだ幼い子供の泣き声だ。
 それは彼のその気付きに合わせたかのように、徐々に大きくなり、いつの間にか彼を取り囲
むように響いていた。
                                続く
 
 万木さん曰く、折り返し地点なんだそうで。万木さんは、私が尊敬する文書きであり、絵描きさ
んであります。何でもこなすっていう人が稀にいるけど、万木さんはその類。私の萌え師匠でも
あります。感想は、よろしければ、掲示板等に書いてください。私から、お伝えします。