胎 中編

―――……うるさし。

 声の存在への疑問より先ずそれだった。
 「五月蝿い」ではなく「煩い」―――。
 そんな彼の神経を逆撫でするように、黒き静寂の中で響きは更に、更に大きくなっていく。
 堪らず、彼はただ漂わせていただけの身を億劫げに起こし、周囲へ視界を広げる。
 無駄な行為だ。
 全てが闇であるこの世界に天地左右の別は無く、実際には、起きえたのか未だ漂うたままな
のかさえ判らない―――だから何物も、何者も見えはしない―――筈だった。

 ―――いつの間に……!?

その子供は―――彼の目の前に居た。
 それも又、闇から隔絶された存在であり、全く光源の無いこの世界でも「存在」を見ることが
可能な存在だった。
 小さな体を更に小さく折り曲げ、蹲って泣いている。緋の衣を纏い、鳴咽に揺れる肩から流れ
た髪は―――金色であった。

 ―――あれは……鬼の
いや―――。

 その時、初めて子供が顔を上げ、彼を見た。涙を湛える、湖面の如きの瞳が真っ直ぐ彼を見
つめる。

「お前は―――」

 その顔は、彼が久しく忘れ、しかし常に忘れ得ない―――彼の幼い日のそれであった。
 
―――こ……れは、一体……?

 現に彼は此処に居る―――にも関わらず、幼い彼もまた此処に存在する。
 その事実に困惑を隠せず、ただ幼い彼を見つめ返すしかない。
 当然、目と目が合った。
 しかし―――数秒もその行為は続かなった。
 耐えられなかったのだ。
 華奢で白い手足、柔らかな金糸の髪、玻璃のような瞳、哀しみにくれる唇……幼い彼の顔は
―――つまり彼の素顔は余りにも「弱さ」を具現化しすぎている。
 「弱さ」は「鬼」に最も似げ無きもの―――「強さ」こそ「善」、「弱さ」こそ「悪」である。それ故に
彼は「弱さ」を憎み、その具現たる己の顔を呪っていた。
 彼が仮面を身に付けるのは、それを他者のみならず自らに対して隠すための行為であり、彼
を鬼たらしめる呪でもあった。
 しかし今―――その封印の中身を何の前触れも無く、突然見せ付けられたのだ。正視しえる
筈がない。
 言いようもない怒りが内側から込上げ、熱い塊と成って全身を駆け巡る。

 ―――何故、今更このようなモノが見えるのだ!? 何故此処にこれが居る? 何故―――。

『……テ―――』

 彼の噴き出した怒りの思考に、幼い彼の言葉が重なった。

そちらへ向き直る。
 幼い彼は溢れ出る涙をそのままに拭おうともせず、彼を真っ直ぐ見つめ、はっきりこう言っ
た。

『タ』
『ス』
『ケ』
『テ』

 その言葉の周りだけ時間経過が遅く、一文字一文字に区切られて聞こえた。聞き間違えよう
がない。彼は確かに「助けて」と言った。

「―――『助けて』……だと?」

 彼は、ふ、と笑った。嘲弄が混じる。

「お前か―――」

 太刀の柄に手が掛かり、かちゃりと小さな金属音がした。
 三日月の様な刃が闇の中に姿を現す。その切っ先は幼い彼の胸を捉えていた。




続く

今回は中編です。後編で終わるのかな? ゆくいさんしかわからないです。続きは、ゆくいさん
の頑張り次第です。ゆくいさんは、私と違ってキッチリやるけどね(笑)。