雪の華<前編>


 夕べから降り続いていた雨がいつしか雪へと変わり、京を真っ白く彩る中、永泉は今にも儚く
消えてしまいそうな彼の人に会った。
「神子・・・?」
 そんな筈はない・・・。そう思いながらも、永泉は少女に、恐る恐る呼びかける。彼女がこんな
寒い朝に、一人でこんなところに、こんな格好でいるはずはないのだ。あの男がそんなことを許
すはずかなかった・・・。
 しかし、永泉の目の前に居るのは、京を救うために異世界から舞い降り、そして、友雅ととも
に生きていくことを選んだはずのあかね・・・だった。姿がどんなに変わってしまおうとも、永泉
が愛しい人を見紛うことは無かった・・・。
 もう、その名を口にすることもないだろうと思っていた永泉にとって、目の前で繰り広げられよ
うとしている光景は、受け入れがたいものだった。
「神子・・・? 神子なんですか? どうしてこんな寂しいところに・・・」
 永泉のその言葉が全く耳に入っていないようにあかねは虚ろな表情で、それでも、一歩一歩
確実に池に足を進めていく。
「神子・・・!! 何をなさっているのですか?」
 虚ろな表情のまま、足を池に入れたあかねの腕を永泉が慌てて掴む。
 それでも、何も感じないかのように、あかねは、また一歩歩みを進めようとする。
「神子っ!! ダメですっ!!」
 永泉は、あかねの体をしっかりと抱き締め、あかねを陸へと戻した。
「・・・・・・」
 陸へと戻され、呆然としているあかねの目の前には、永泉がいるのにもかかわらず、あかね
の目には永泉は映っていないようだった。
「神子・・・?」
 永泉は、再び彼女に呼びかけた。
 その瞬間、あかねの中で何かが外れた。
 永泉に縋りつき、静かに何も語らず、泣き続ける・・・。
 そんなあかねに永泉は、ただじっとして、その胸を貸してやることしか出来なかった。
 あの日、永泉は、あかねに自分の恋心を告げた。
 しかし、その思いが叶うことはなかった。あかねは、友雅を選んだから・・・。
 それでも・・・良いと思った。あかねが幸せでさえいてくれるなら・・・と。
 しかし、どうだろう? あかねは、すっかり疲れきって、昔のような明るい笑顔をしてはいなかっ
た。それどころか、自ら死の道を選ぼうとしていた・・・。
 あの時、自分のことを励ましてくれたあかねは、跡形も無くなくなっていた。
 あかねが、友雅と共にあるために京に残ることになって、半年・・・。
 一体、たった半年の間に何があったというのだろう・・・。あかねがこんなに変わってしまうほ
どの何が・・・。
「神子・・・? あんなところでそんな格好をしていては具合を悪くしてしまいますよ? 今、何か暖
かいものをお持ちしますね。友雅殿にも、お知らせしなければなりませんね。神子がいなくて、
心配しているに違いありません・・・」
 そう言って、永泉が使いをやろうとすると、あかねが永泉の着物を震える手で握り締める。
「神子・・・?」
「友雅さんなら・・・きっと・・・心配してないと思う・・・」
 小さく震える声でそう言ったあかねの目からは、涙が零れていた。
「友雅殿が心配しないはず・・・」
 永泉の言葉を遮るように、あかねが呟いた。
「私、飽きられちゃった・・・」
 あかねの言葉を永泉は理解できなかった。
 飽きる? 一体、誰が何に?
「友雅・・・さん。私のこと・・・、飽きちゃった・・・んだって・・・」
 永泉は、自分の耳を疑った。
「誰がそんなことを言ったのですか? 女房たちですね? 友雅殿は、確かに一時期は浮名を流
していたようですが・・・。神子と出逢ってからは、そのようなこと・・・。神子に嫉妬した者達の根
拠もない噂ですよ・・・」
 永泉は、そう言って微笑むが、あかねはただただ首を振る。
「違うの。違う・・・。友雅さんが、私に・・・そう言ったの・・・。私には、もう飽きたって・・・。君
に・・・ここを出て行けと言っても・・・、君の帰る場所は・・・どこにも無いから。ここにいたいなら
いても構わないよ・・・って。その代わり、私が帰ってくる日は、数えるぐらい・・・しか無いだろう
けど・・・って」
「神子・・・」
「それでも・・・ね・私、構わないって思って・・・た。友雅さんが帰ってこなくても、いつか、突然、
あれは嘘だったんだよって、笑って・・・帰ってきてくれる日が来るって信じてたから・・・。でも、
違った・・・。昨日、友雅さんが帰ってきてくれて、凄く嬉しかった。でも、友雅さんは、女の人と
一緒で・・・私の隣の部屋で・・・」
「神子・・・っ!! もう、わかりましたから・・・っ!!」
 永泉は、あかねの言葉を遮るように言い、あかねをしっかりと抱き締める。
「声がね、聞こえるの・・・。友雅さんと、女の人の・・・。私、それでも耐えようと思った・・・。で
も、友雅さんに言われたの。君をもう二度と抱くことは無いよって・・・」
「神子・・・っ!! もう、それ以上、自分自身を傷つけないでくださいっ!! 自分自身を傷つけるよう
な言葉を・・・紡がないで下さい・・・」
 永泉は、懇願するようにあかねを抱き締める。
「・・・何が・・・いけなかったのかな・・・? 私が、神子じゃなくなっちゃったから。ただの女になっ
ちゃったから・・・なのかな・・・?」
「神子・・・っ!!  もう、何も言わないで・・・」
 永泉に出来るのは、抜け殻となってしまったあかねをただただ抱き締めることだけだった。優
しく・・・、労わるように抱き締める。それぐらいしか出来ない自分が歯痒くて仕方なかった・・・。
「・・・。友雅殿は、あなたに行く場所が無いとおっしゃいましたが・・・。あなたさえ良ければ、私
のところにいらして下さい。私は、あなたが必要なんです。龍神の神子ではなく、あなたという女
性が・・・」
「でも・・・」
 あかねは、こんな気持ちで他の男の元にはいれないと首を振る。
「良いんです・・・。あなたが、誰を好きだろうと・・・。一生、友雅殿のことを忘れられなくて
も・・・。私は・・・」
 あなただけが一生好きだから・・・。永泉は、そう言いかけてやめた。この思いがあかねにとっ
て重荷となってしまうかもしれないから・・・。
「あなたにいて欲しいんです・・・」
 永泉は、昔と変わらぬ優しい笑顔で微笑んだ。
「・・・」
 永泉のその言葉に、あかねは小さく頷いた。

 一生、私の事を好きにならなくても、その目が一生、別の人を追っていても、それでも、構わ
ない・・・。
 私が、あなただけを一生愛している。あなたの幸せを一番願っている。この気持ちだけは、
本当だから・・・。
 あなたが望むなら、私はいつでもあなたのために微笑み続けよう。嘘をつき続けよう。この思
いが、あなたの重荷にならないように・・・。
 あなたがいつでも、自由に飛び立てるように・・・。だから、笑って・・・。昔のように・・・。無邪気
なあの笑顔を見せて・・・。



                       後編へ続く