雪の華<後編>


 あかねが、永泉の元で暮らすようになってから、半年が過ぎようとしていた。
 最近では、ようやく笑顔を見せてくれるようになった。あかねは、まだ友雅のことが好きなんだ
ろう・・・。永泉は、そう思っていた。永泉は、それでも構わなかった。あかねが、昔のように笑っ
てくれてるから。
 二人の平穏な時は、永遠に続くように思われた・・・。
 
「これは、永泉様。お久しぶりですね」
 友雅は、今までと何ら変わらぬ顔で永泉に挨拶をする。
「・・・友雅殿・・・。私は、あなたと話す気分ではありませんので・・・」
 そう言って、永泉がその場を立ち去ろうとした時・・・。
「そういえば・・・。永泉様のもとに、一枚の蝶が迷い込んでるらしいですね。我が家で飼ってい
た珍しい蝶が半年前にいなくなってしまいましてね、もしや、永泉様のところにお邪魔している
蝶が、それなんではないか・・・と思いまして・・・」
「いなくなった? 飽きたから、放した・・・の、間違いでは?」
 永泉が歩みを止め、キッと友雅を睨みつける。
「逃がしてしまった後で、惜しくなってしまうということは、よくあることではありませんか・・・?」
 友雅が、笑みを浮かべながら言った。
「私は、本当に欲しいものは、簡単に手放したりしません」
 永泉は、静かに怒りを抑えながら、拳を握る。
「まあ、永泉様のようなきれいな方には、わからないでしょうね・・・」
 友雅は、永泉を馬鹿にしたように口端に笑みを浮かべる。
「蝶も、そろそろ帰りたいと思っているかもしれませんよ・・・? 綺麗なだけの場所では、生きて
いけませんからね・・・」
 友雅は、そう言って意味ありげに不敵な笑みを浮かべ去っていく。
 永泉は、去っていく友雅を捕まえ、殴りたい衝動に駆られた。しかし、そんな野蛮なことは出
来ない自分がいた。
 あかねが、自分の元に着てから、半年が過ぎようとしていたが、永泉はあかねに触れること
は無かった。あかねの中に、まだ友雅がいると思っているから。どんなに笑っていても、きっ
と、心の中で泣いている日もあるのだろうと・・・。
 だから永泉は、あかねに男として触れることは無かった。
 それがいけないというのだろうか? 自分のあかねの愛し方は間違っているのだろうか?今ま
で、そんな風に思ったことは無かったが・・・。友雅の言葉が、そんな不安をかき立てる。
 綺麗なだけの場所では生きていけない・・・。友雅が言おうとしていたのは、そういうことだった
のだろうか? あかねを抱かない永泉を、友雅はどんな風に見ていたのだろう・・・。
 
 その日、屋敷に帰ってきた時、あかねが笑顔で迎えてくれた。
 この笑顔を失いたくない・・・。永泉は、心からそう願った。いつか失う日が訪れるのかもしれ
ない・・・。そう思いながら、その日が来たなら自分は受け入れようと思いながら・・・、永遠にそ
んな日が来ないことを願っている自分がいる。
 こんな風に、心から強く、何かを願ったことがあっただろうか? 
 何かを欲したことがあっただろうか? 
 しかし、何かを欲しいと言った事が無かった永泉は、その思いを伝える術を知らなかっ
た・・・。
 
 それは、本当に偶然だった。
 見るつもりなど無かった。見たくも無かった。
 目の前で繰り広げられている光景に、永泉はどうか夢であるように・・・と願いながら、それが
現実であることを理解してしまっていた。
「あかね・・・。そろそろ、うちに戻ってきたらどうだい? 私と暮らしていた君にとって、永泉様
は、物足りない男だろう? 君がいなくなって、君の存在の大きさというものを私は酷く実感した
よ・・・。君のいない家が、あんなに寒いということをね・・・。永泉様は、君を抱いていないのだ
ろう? あの方は、綺麗な方だから、君を抱こうなんて思いもしないんだろうねぇ・・・? 帰ってき
なさい、あかね。君が望むものは何であろうと揃えよう。君も、そろそろ帰りたくなっていたんだ
ろう?」
 友雅が、彼女の腕を捕らえ、彼女の耳に語りかける。
 あかねの口が、僅かに開いた。友雅が、彼女の口に顔を寄せる。
 永泉は、彼女の言葉を聞きたくなかった。見たくなかった。
 気がつけば、彼女の言葉を聞くことも無く、走り出していた。
 後ろで、自分を呼ぶ愛しい人の声が聞こえる。しかし、その隣には、憎いあの男がいる・・・。
 永泉は、立ち止まることを知らぬかのように走り続けた。
 そして、彼女に再会したあの深泥ヶ池に辿り着いていた・・・。
 思えば、全てはここから始まった。あの日、彼女を見つけたとき、こんな日が来るのはわかっ
ていたことだった。
 しかし、永泉は、毎日が幸せで、いつしか、していたはずの覚悟を忘れてしまっていた。
 あの幸せで素晴らしい日々が終わりを告げる日が来るということから、目を逸らしてい
た・・・。
 誰も居ないこの場所で、今なら誰も聞いていないだろうから・・・。思いっきり、泣いてしまお
う・・・。声を上げて・・・。そして、何も無かったかのように屋敷に戻り、彼女を送り出そう。自由
になって良いのだと・・・。


 永泉は、誰にも聞かれないだろうと、声を上げて泣いた。初めて、声を上げて泣いた・・・。

「神子、今までありがとうございました」
 屋敷に戻ってきた永泉は、晴々とした顔であかねを見つめ、そう告げる。
「永泉さん・・・?」
 あかねは、永泉の言葉に悲しみを浮かべる。
「今まで、素晴らしく幸せな日々をありがとうございました。神子と過ごした日々は、私にとって
かけがえの無いものです。ありがとうございます。だから、神子・・・。あなたはもう、自由になっ
て構わないのですよ・・・。あなたの望むままに、あなたの望む場所に道は拓ける・・・」
 永泉は、そう言って、凄く優しく美しい笑顔を見せる。あかねから、視線を逸らして・・・。そうし
なければ、隠していた思いが溢れてしまいそうだったから・・・。
 しかし、あかねは永泉のその言葉に顔を歪ませた。
「永泉さんも・・・私に飽きたから・・・、私を、捨てるの?」
 震える声でそう尋ねるあかねの顔を、永泉は、初めて見た。
「神子・・・?」
「友雅さんに・・・。あんなことを言われた私は・・・、汚いの・・・? こんな私は、抱きたくないの? 
もう、私のことは、好きじゃないの? 私は、永泉さんのこと・・・、こんなに好きになっちゃったの
に・・・。友雅さんに捨てられて、死のうとまでしたくせに、永泉さんのことを好きになっちゃった
私は・・・、汚い?」
 あかねが、無理に笑顔を作る。
 永泉は、そんなあかねの表情に耐えられなかった・・・。堰き止めていた思いが溢れ出してし
まった。
「神子・・・。私は・・・、あなたにずっと嘘をついていました・・・あなたが幸せなら良いと、あなた
の幸せだけを祈っていると言いながら、いつしかあなたと過ごすこの日々が、永遠に続けば良
いと思っていました・・・。言ってしまえば・・・、散ってしまう儚い夢と思っていたのです・・・。です
が、私は口にしても良いのでしょうか・・・? この儚い夢を・・・」
「永泉さん・・・」
 あかねが永泉をじっと見つめたまま、次の言葉を待つ。
「神子・・・。いいえ、あかね殿・・・。私はあなたと共にずっと暮らして生きたい・・・。あなたと共
に、あなたの幸せを、私たちの幸せを願いたい・・・。一緒に、春には、優しい色に染まり、夏に
は、新緑が眩しく、秋には、茜色に染まり、冬には、真っ白に染まるこの京をいつまでもあなた
と共に歩いて行きたい・・・。この思いは許されるのでしょうか・・・?」
 濡れた瞳で永泉があかねを見つめる。永泉を見つめるあかねの瞳もまた、濡れていた。涙
で互いの顔が良く見えない・・・。
 しかし、今までずっと見ようとしなかった互いの心は、一点の曇りも無く伝わっていた・・・。
 二人の距離が近づく・・・。二人の影が重なる。決してもう離れることは許さないといわんばか
りに、永泉の手がしっかりとあかねの手を握り締める。それに答えるように、あかねも永泉の
手を握り返す。
 二人は、夏の日差しの中、初めての口付けを交わした。永遠の誓いの口付けを・・・。

 今年の冬は、悲しい気持ちで見る雪ではなく、清らかな思いで見る雪に・・・。私たちの未来の
道を、新雪に刻んで行こう・・・。
 そして・・・、毎日、あなたのために愛を語ろう・・・。
 上手くは出来ないかもしれないけれど、不器用な愛をあなたに伝えよう・・・。
 あなたがいるだけで、こんなに幸せな私を、毎日あなたに伝えよう・・・。それが私に出来る、
精一杯の愛だから・・・。

 そして、時は過ぎ――――。

「母上。雪が降ってきた!!」
 幼い少年は、母の膝の上で嬉しそうに外を指差す。その少年の顔に母も嬉しそうに微笑ん
だ。
「父上、早く帰ってこないかな・・・」
「そうだね・・・」
 そう言って、二人は外を眺める。少年の目に父の姿が捉えられた。
「父上だ・・・!!」
 そう言って走り出す少年を、慌てて母が追いかける。
「危ないから、走らないで・・・」
 少年の後姿を慌てて母が追った。
 それを見つけた彼が慌てて駆け寄ってく来る。
「二人とも、危ないから、走らないで・・・。特に、あかねは・・・」
 そう言って、彼が労わるように妻の体に触れる。
「お前も、兄になるのだから・・・」
 そう言って彼は少年の頭を撫でた。
「うん」
 彼の言葉に少年はにっこりと微笑み、大きく頷く。
「永泉さんは、男の子が良い? 女の子が良い?」
 あかねは、嬉しそうに尋ねた。
「どちらでも。元気に生まれてくれれば、それだけで十分です」
 永泉の言葉にあかねも頷く。
「女の子が良いな・・・」
 ポツリと呟いた息子の言葉に二人は微笑み、息子の手を取る。
「寒くなってきたから、帰りましょうか?」
 永泉のその言葉に、三人は屋敷へと戻っていった。 
 悲しみを降らせた雪は、親子を包む幸福の結晶へと形を変えた・・・。


               

 久しぶりの永泉創作なのに、なんでこんな重い話を書いてしまって、甘い話かしら? 何て淡い期待をしてらした方
がいたら、すみません・・・。
 そして、友雅ファンの方は読んではいないと思いますが、もし間違って読んでしまっていたら、本当に申し訳ござい
ません・・・。地面に頭擦りつけて、謝ります。
 えーと、この話は、前編は、柴田淳の忘れものという曲を聞いて思いついた話です。何ていうか、永泉ってあかねが
酷い目に遭っていたら、自分のことを好きじゃなくても、一緒に暮らしそうというか、好きになってくれなくてもいいです
よ、あなたさえいてくれれば・・・って雰囲気があるかなーって。
 まあ、永泉好きの妄想かもしれませんが・・・。
 元は、泰明さんバージョンで考えた話なんですが。なんで、泰明バージョンもあるんで、懲りずに近日アップ予定。
 最初は前編だけにしようかと思ったんですが、後編も無いとあかねがあんまり可哀想な話になってしまうし、永泉も
かわいそうなんで後編付けました。
 ちなみに、後編は、タイトルにもなっている中島美嘉の「雪の華」をイメージして作りました。
 その後の二人的な話にすれば良いのに、止せば良いのに、ますます友雅殿を酷い男に仕立て上げてしまいまし
た。でも、永泉さんは幸せだから、良いかなーなんて。実は、思い入れも深いので、後書きがメチャメチャ長くなってし
まっている・・・。