君がため <一>

「いいだろう」
 そう言って、男は女の腕を掴み、女をどこかに連れて行こうとしていた。女も別に抗っている
ようではなかった。
 よく見る光景だった・・・。
 泰明は別段、気にも留めなかった、いつもならば・・・。
 しかし、今日は違った。今まさにどこかに連れ込まれようとしている女が、泰明の良く知ってい
る女だった。
「離せ・・・」
 その一言だけで十分だった。男は泰明のただならぬ雰囲気に恐れをなして、彼女の腕を離
そうとする。
「あかね。何をしているんだ?」
 泰明が知っている彼女とは、すっかり変わってしまったあかねに、泰明は驚きを隠せなかっ
た。
「別に・・・」
「別に・・・か。友雅は知っているのか?」
「そんなこと・・・、関係ないでしょう? ほっといてよ・・・」
 あかねはそう言うと、再びフラフラと歩き出し、男を誘おうとする。
 泰明は、あかねの手を掴み、止めた。そんな泰明の行動に苛立ったように腕を払う。
「離してっ!!」
「私だって構わぬのだろう・・・?」
 泰明はそう言うと、突然あかねの唇を奪った。あかねは、泰明の行為になされるがままだっ
た・・・。しかし、泰明がその口付けを深くした瞬間・・・。
「いや・・・っ!!」
 その言葉と共に泰明の唇に痛みが走り、それと同時に、あかねが泰明を突き飛ばしていた。
「何故、こんなことをしている・・・」
 泰明は、あかねに咬まれた所から流れる血を拭いながら、あかねを見つめる。
「泰明さんには関係ないっ!!」
 そう言って、再び行こうとしたあかねを泰明は捕まえると、大きな音を立ててあかねの頬を打
った・・・。
 その行為に、あかねは一瞬、目を見開き泰明を睨んだ。そして、大きな声で笑ったかと思う
と・・・、声を上げてその場に泣き崩れてしまった。
「あかね、一体どうしたというのだ・・・?」
 泰明は、泣き続けるあかねをただじっと見つめていた。

 本当だったなら、あかねはこんなところで、こんなことをしているような女ではなかった。
 今、この京が平和であるのも、龍神の神子であった彼女の力のおかげだった。
 泰明は、彼女が好きだった。彼女だけが好きだった。
 しかし、彼女が選んだのは友雅だった。それでも、構わなかった。彼女が幸せで暮らしている
ならば・・・。幸せにすると、あの男は、約束してくれたはず・・・だった。

 とりあえず、人目もあるので泰明は泣きじゃくるあかねを自分の屋敷へと連れてきた。「落ち
着いたか?」
 やっと泣くのをやめたあかねを見つめ、泰明が尋ねる。
 ずっと堪えていたのだろう・・・。堰を切ったように溢れ出した感情は、留まることを知らず、涙
としてその思いを浄化させようとした。
 しかし、いくら涙を流そうとも、思いが消えることは無かった。
「・・・」
「何故、あんなことをした?」
 泰明は、きわめて冷静を保ち、尋ねる。
 しかし、あかねは泰明のその質問に答えようとはしなかった。
「お前が答えたくないなら良い。友雅に事情を聞く」
 泰明がそう言って、立ち上がるのをあかねが止める。
「やめて・・・。それだけは、やめて」
「友雅は、あの日、私たちに約束したんだ。お前をきっと大事にすると・・・。幸せにすると・・・。
なのに、どうだ? この有様は? 一体、何がどうなっているのか、説明してもらわぬとなら
ぬ・・・」
 あかねを振り切ってでも行ってしまいそうな泰明の勢いに、あかねが、口を開いた。
「飽きたんだって・・・」
「・・・?」
「友雅さん、私が龍神の神子だったから、好きだったみたい。一緒に生活して、三ヵ月しない内
に別な女の人の香りをつけて帰ってきて・・・。帰ってきてただけ、まだ良かったんだよね・・・。
最近は帰ってこなくなって・・・。久しぶりに帰ってきたら、まだいたのかい? だって・・・。いつま
で待っていようと、もう、君には触れる気がしないだって・・・。普通の女の私には興味が無いん
だって・・・」
 あかねは、自分を嘲うように言う。
「酷い話だよね? 笑っちゃうでしょう?」
 そう言いながら、あかねの目からは涙が留まることを知らぬかのように流れ続けている。
 そんなあかねを見て、泰明は、すっくと立ち上がる。
「泰明さん・・・?」
 あかねが不安げに泰明に呼びかけた。
「出掛けてくる」
「どこに?」
 あかねは、恐る恐る尋ねる。
「友雅のところに」
 泰明は、こみ上げてくる怒りを抑えながら、告げる。
「やめてっ」
 あかねは、必死で泰明を止めるが、泰明はあかねのその願いを受け入れる気は無かった。
 あかねの制止などものともせず、泰明は歩いていく。
「お願い、泰明さん。ねぇ、やめて」 
 あかねは、凄い速さで歩いていく泰明を追いながら、そう言うのが精一杯だった。そして、い
つの間にか、二人は友雅の屋敷に着いてしまっていた。
 泰明は、友雅の家の者が止めるのも聞かずに、どんどん屋敷の中へと入っていき、女と睦ま
じくしていた友雅を殴りつけた。
「きゃあっ!! 友雅様!!」
「これはまた・・・、随分と無粋だね・・・」
 殴られた頬を友雅が押さえながら泰明を見る。 傍らの女が心配そうに友雅の頬に触れた。
 泰明の後ろから追ってきたあかねは、ただその光景を見つめることしか出来なかった。泰明
の後ろにあかねの姿を見つけると、友雅は納得がいったように笑った。
「なるほど・・・。そういうことか。あかねは、君を頼って行ったという訳だ。せいぜい、大事にして
やってくれ。私は、もうそれには興味が無いからね・・・」
 そう言って、あかねを見る友雅に泰明は再び殴りかかろうとする。
「やめてっ!!」
 しかし、その拳はあかねのその言葉で止められた。
「もう、良いの。帰ろう・・・」
 あかねは、そう言うと帰ろうと歩き出す。泰明は、無言で友雅を睨んだ・・・。
「あかねは、私が幸せにする・・・。誰よりも・・・」
 泰明は友雅から視線を逸らさずにそう告げると、友雅の屋敷を後にした。

「あかね・・・」
「いいの。私は大丈夫」
 あかねがそう言って、無理に笑顔を作る。
「そんな顔で笑うな・・・」
 泰明は辛そうに呟く。
「心から、楽しいと思ったときだけ、笑いたい時だけ・・・笑え・・・。お前に、作り笑顔は似合わな
い・・・」
 そう言って、泰明は、あかねに優しく微笑みかけた・・・つもりだった。
 しかし、泰明の瞳からは、なぜか涙が流れていた。
「私のところに来い。お前一人、養うぐらいの余裕は十分ある・・・。だから・・・」
 泰明は続きの言葉を噤む。
 心の中でだけ、呪文のように唱える。
 
 お前は、お前のままでいてくれ。思いのままに、生きて・・・。
 私を好きにならなくても構わないから。誰を好きでも構わないから・・・。
 私だけは、お前の幸せだけを祈ろう・・・。
 世界がたとえ、無くなろうとも・・・。
 この身がいつか朽ち果てようとも・・・。
 そして、いつかまた、昔のような笑顔を見せて欲しい・・・。
 私は、ただお前の幸せのために生きよう・・・。


                      続く


 雪の華の泰明さん版です。続きは・・・書きました。でも、中編なんで、まだまだ凹みます。