君がため<三>



「おかえり、あかね」
 友雅はそう言って、相変わらず暗い表情のままのあかねの手を取り、屋敷に入るよう促す。
 一度は同じ男の手によって追い出されたこの家に、再び足を踏み入れることを望まなかった
と言えば、嘘になる。しかし、今は、この家に帰ってくることはもう望んではいなかった。自分の
居場所はあそこなのだと、泰明の隣なのだと気付いてしまったあかねにとっては、この屋敷に
足を踏み入れることは辛かった。
「どうしたんだい? 遠慮することはないんだよ、入りなさい」
 友雅はそう言うと、入り口で立ち止まったままでいるあかねの手を強引に引く。
 あかねは友雅のその強い力によって、屋敷に一歩踏み入れさせられた。
「おかえり」
 再び友雅はあかねに言った。今度は、あかねの目をじっと見つめ、現実を知らしめるかのよ
うに。
 しかし、あかねはその言葉に何も答えず、ただ俯いた。帰ってきたのではない。
  愛する人を守るため、自分はここにやってきた・・・。だから、あかねは決して、ただいまとは
答えなかった。
「・・・。まあ、良い。そのうち、君もこうしてよかったって思える日が来るだろうし・・・」
 友雅は諦めたようにあかねを見、そう呟いた。
 しかし、その言葉に、あかねは頷くでも否定するでもなくただ俯いていた。
「君の部屋は、毎日掃除させていたんだよ・・・」
 友雅はそう言って、あかねがかつてこの屋敷にいたときに使っていた部屋へと彼女を促す。
 あんなに帰りたいと思っていた部屋だったが、不思議と自分の居場所はやはりここではない
と言うことを痛感させるだけだった。
「あかね・・・」
 そう言って、友雅はあかねを背後から抱き締める。
「君をこうして再びこの手に抱き締めることが出来て嬉しいよ・・・」
 友雅はそう言って、あかねの髪に口付ける。
「・・・」
「君が彼と私の前に姿を現したとき、何だか今まで感じたことの無い感情を抱いたんだ。それ
が嫉妬だと言うことに気付くのに、今まで時間がかかってしまった・・・」
 友雅の独白にもあかねの心は揺さぶられることは無かった。
 しかし、友雅は、あかねのそんな気持ちを知ってか知らずか、あかねの髪を撫で続ける。
「あかね・・・。やっと私の元へ帰ってきた。君だって、本当は私の元へ帰ってきたかったのだろ
う?」
 そう言って、友雅は、あかねを自分のほうへと向かせる。
「よく、顔を見せて。さあ、そろそろ笑顔を見せてくれても良いだろう? 私は、君の笑顔が何より
好きなんだ・・・」
 しかし、あかねは友雅のその言葉にも何も返さなかった。笑顔なんて忘れてしまった。あの
日、この家で・・・。
  時間をかけてやっと、あかねは少しずつだが笑顔を取り戻しかけていた。
  しかし、笑い方なんて、忘れてしまった。さっき、あの瞬間に・・・。
「まだ怒っているという訳か・・・。良いよ。気長に待つとしよう。人生はそう短くもないのだか
ら・・・」
 友雅はそう言うと、ゆっくりとあかねの唇に自分の唇を重ねる。あの日、あかねに別れを告げ
たその唇で。
 友雅のその口付けにも、あかねは抵抗するでもなく、ただじっとしていた。ただ、全てが夢で
あれば良い・・・。そう願っていた。
 しかし、唇に走った痛みで、これは現実だと思い知らされた。
「・・・っ」
「やっと、表情を変えたね。彼と暮らしている間に表情さえも失ってしまったのかと思ったよ。無
表情よりは、反応してくれたほうが良いからねぇ」
 友雅はそう言って、楽しそうに微笑む。
「・・・」
「どうだい? 久しぶりの私との口付けは? 彼とはこういうこともしたのかい? 一緒に暮らしてい
たのだから、何も無かったとは思っていないが・・・。私との方が良いだろう?」
 そう言って友雅は再びあかねに口付けた。
  

                          続く

 前中後編と言いながら、プチ連載になってきているこの話。予定では、あと2、3話で終わるはずです・・・。まだまだ
これからも波乱万丈な雰囲気にしていきたいのですが、どうなることやら? 
 しかも、今回泰明さん出てこないし・・・。だんだん友雅氏が悪人化していってますね・・・。