逝く夏 <前編>


「残ります・・・。あなたが好きだから・・・」
 あかねはそう呟き、頼久の手を取った。
 しかし、あかねは、好きな人とともにいられることを嬉しく思う顔ではなく、なぜかとても物悲し
い顔をしていた。
 だが、そんなあかねの表情に永泉は気付かなかった。幸せそうな頼久とあかねを見たくない
と、耳を塞ぎ、目を閉じてしまっていたから・・・。
 そして、幸せの中にいた頼久も彼女の表情には気付かなかった。


 あの夜、出逢った瞬間から、永泉はあかねに恋をしていた。それが恋であると気がついたの
は、だいぶ後になってからだった・・・。
 しかし、永泉には思いを伝える勇気が無かった。彼女の気持ちを聞く勇気も無かった。そし
て、永泉はただひたすらに願っていた。どうか、神子が無事、元の世界に帰れますように・・・、
と。
 
 そして、頼久があかねにこの世界に残ってくれるよう頼んだ時も、永泉はただ祈っていた。
 どうか、神子が無事、元の世界に帰れますように・・・と。
 しかし、永泉の願いは御仏には届かなかった。それは、仏に仕える身でありながら、神子に
恋をしてしまったことへの罰・・・。
 あかねは、頼久と京に残ることを選んだ・・・。
 
 
 あかねが京に残ってから、三年が過ぎようとしていた。永泉は、その三年の間、あかねに会う
ことは無かった。いや、あかねを避けていたため、会うことは無かったと言うのが正しいのかも
しれない。
 しかし、神はいつまでも永泉に平穏な日々を与えてはくれなかった。
 
「お久し振りです。藤姫」
 永泉はそう言って微笑む。
「ええ・・・。本当に。もう、三年の月日が過ぎたんですものね」
 藤姫は、昔を懐かしむように言った。
「藤姫も、すっかり大人の姫になられましたね・・・。昔から、大人びてはいらっしゃいました
が・・・」
「三年の月日は、人を変えるのに十分過ぎるくらいですもの。私だって変わりますわ・・・」
「そうですね」
 永泉はそう言って苦笑した。
「今だから言うのですが、私、神子様は永泉様をお好きなんだと思っておりました。永泉様がい
らっしゃった日は、とても嬉しそうでしたから」
 永泉は、藤姫のその言葉に苦笑を浮かべるだけだった。
「私、永泉様も神子様のことを好きなんだと思っていましたのよ。だから、正直、神子様が頼久
と残るとおっしゃった時は、驚きましたの・・・」
「・・・」
「ですが、きっと私の思い違いだったのでしょうね・・・」
 藤姫のその言葉に、永泉は何も言葉を返すことが出来なかった。
 この幼かった姫の目にも、永泉の思いは見透かされていたのだった。いや、幼い姫だった故
に、永泉のあの思いに気が付いていたのかもしれない。
「私は、神子をお慕いしていました・・・」
 永泉はポツリと口にしていた。
「えっ?」
「いえっ。何でも・・・」
 永泉はそう言い掛けたが、やめた。口にしてから、自分の中にあかねへの思いが残っていた
ことに気付いてしまった。神子のことなど忘れたと思いながら、あかねのことを避け続けたの
が、あかねを忘れていなかった証拠だった。
「私は、神子が好きです。ですが、このことは、一生、誰にも言うつもりはありませんでした。で
すが、隠し続けることに疲れてしまっていたのかもしれません・・・。下らない戯言と忘れていた
だけると、助かります」
「・・・。わかりました。誰にも言いませんわ。誰にも・・・」
 藤姫はその言葉を自分に言い聞かせるようにゆっくりと頷いた。
「ありがとうございます。・・・それでは、私は、そろそろ失礼いたします」
 永泉は、静かに頭を下げると藤姫の部屋を後にした。


                         続く