慈雨

 大野らに 小雨降りしく 木の下に 
              時と寄り来ね わが思ふ人(万葉集より)


 自分が存在することの意味。私は未だにそれをわからずにいた。怨霊となってまで、この世
に生き続ける意味が私にはどうしてもわからなかった。
 何も考えずにいたあの頃は良かったと思う。
 毎日があっと言う間に過ぎて行き、次の日も同じようにして過ごす。それが本当の平和なの
だと、こうなってみて初めて知った。
 八葉のみんなは優しい。私が平家の人間であると知っていながら、そんなことは関係なく自
分に接してくれる。
 いつだって、皆を裏切ることは出来るのに、決して私がそうするとは疑いもしない。
 戦い続ける日々の中に見つけた、平和。
 それを心地よいと感じる自分がいる。
 その空間に永遠にいたいと願ってしまう自分がいる。
 そんなこと、願ってはならない身なのに……。
「神子が私の正体を知ったらどう思うだろうか……」
 神子は、太陽の光の中にいるのが似合う人だ。本当ならば、あんな風に戦うべき人間ではな
いのだ。

 私とは違う。闇の中に生きるのが相応しい私とは……。
 それでも焦がれずにいられない自分がいる。
 あの太陽の日を浴びたなら、この身は焼きついて消滅してしまうかもしれないとわかっていな
がら――。
 彼女に消滅させられるのなら、それも本望だと思う。
「きっと、神子はそんなことは関係ないと言うのだろうな……」
神子はそういう人だ。汚れた私の身に、何の躊躇いも無く触れる。
「いっそ、この雨が私を消してくれたらいいのに……」
 この身に滲みた、死者たちの血を洗い流してはくれないだろうか……。
「敦盛さん、風邪ひいちゃいますよ」
 その言葉と共に、ぐっと手を引かれる。初めは何が起きているのかわからなかった。誰かが
自分に触れている。伝わる手の温もりに、私はその手の主を知る。
「駄目だ、神子。私に触れてはならない」
 そう咎めるのも気にせず、彼女は私の手をしっかりと握り締め、走った。
「ここだったら、濡れないですよね」
 そう言って微笑む彼女に敦盛私はただ戸惑うばかりで、ああ、とだけ答えるのが精一杯だっ
た。
「何か心配事があったら、相談してくださいね。私じゃ頼りないかもしれないけど……」 そう言
って、はにかむ彼女の横顔を愛しいと思う。
「……神子、部屋に戻った方が良い。夜も遅い。こうして二人でいたら、誤解されてしまう……」
 愛しい人だからこそ、自分には相応しくないと思う。自分とこうして二人で一緒にいるのは、決
して良いことではない。
「私は、気にしませんけど……。敦盛さんは、気にしますよね……」
「いやっ、私は……嬉しい……」
 言ってしまった後で、後悔していた。
 こんなことは決して言うつもりは無かったのに……。
「じゃあ、雨が止むまで……、こうしていませんか?」
 彼女があんまり嬉しそうに言うから、私はその言葉に肯いてしまっていた。本来なら、部屋に
帰すべきだというのに、彼女と共に時を過ごすというこの時間が何よりも大事に思えてならなか
った。
「雨が……止むまでなら……」
 ずっと雨が止まなければ良い。永遠に……。
「本当は止んでほしくないけど」
 小さく呟いた彼女の髪に、触れたいと思った。 
 
 
                        終わり
 
 別サイト、あづきなくでお題に合わせて書いたお話です。和歌の意味としては、広い野原に立つ一本の木。雨が降
っているこの時こそ、「今だ!」と思って来て……、私の愛しい人。
 雨が降っていれば、雨宿りしているだけだと思って、みんな、私達の関係を疑ったりしないっていう意味の和歌で
す。
興味がございましたら、あづきなくの方にも来てみてくださいませ。