茨の海<三>

 ゆっくりと、屋敷への道を歩くあかねの脳裏には、あの日の出来事が甦っていた。あの頃
は、あの幸せが永遠に続くのだろうと思っていた…。

―――三年前―――

「私は、お前に東宮になってほしいと思っている」
 帝の突然の申し出に、二人は驚きを隠せなかった。
「ですが、帝…。東宮は、もう決まっているではありませんか…?」
 永泉の言葉に帝は頷く。
「ああ…。しかし、私はあのものにこの京を任せても良いのか、不安なのだ…。あの者は、京
の民を思いやるようなことはしない。私には、まだ子がいない。私にもしものことが会った時、
その後の京を思うと心配でならないのだ。本当は、初めからお前に東宮を任せたかったのだ
が、お前は出家していたからな…。しかし、彼女のおかげでお前もこうして優しいだけではなく、
強くなった。お前になら、私の死後もこの京を、京の民を守ってくれるような気がするのだ。どう
だろうか?」
 そう言うと、帝は頭を下げる。
「お顔を上げてください」
 永泉は慌ててそう言うと、帝の肩に触れる。そして、傍らで黙って二人の話を聞いていたあか
ねに答えを求めるように振り返った。
 しかし、あかねはただ黙って、永泉を優しく見つめるだけだった。
「帝が御子に恵まれるまで、その子に物事の分別がつく頃まで…。それで構いませんか?」
 永泉がそう言うと、帝はホッとしたように笑みをこぼした。
「ああ。それで構わない。私にもしものことがあった時には、頼む」
 帝は、しっかりと永泉の手を握り締める。
「承知いたしました」
 永泉は、帝の手を力強く握り締めた。

「勝手に決めてしまってすみません」
 帝が帰ったあと、永泉があかねに申し訳無さそうに言った。
「ううん。だって、永泉さんのお兄さんのお願いだもの。それに、帝にお子さんが、生まれて、そ
の子が育つまででしょう?」
「ええ。ですから、私が実際、帝になることはないと思います。それとも、あかねは私が帝になっ
たほうが良いですか?」
 永泉のその言葉にあかねは微笑んだ。
「帝になったあなたも素敵だろうと思うけど、私は、今のままのあなたのほうがずっとずっと好き
だから…」
 そう言って、微笑むあかねに永泉が嬉しそうに頷いた。
  
                                     続く