茨の海<六>

 二人がいくら嘆こうとも、現実と言うものは残酷で、病魔は刻一刻と帝の体を蝕んでいった。
 足繁く通っていた永泉の目にも、日に日に弱っていっている帝の姿は、現実のものとして襲
い掛かってきた。

「兄上、お体の具合はどうですか?」
 兄の顔を見れば、決して良いはずは無いとわかっていながら、そんなことしか問うことの出来
ない自分が、永泉はとても歯痒かった。
「ああ。そんな顔をするな。良いとは言えないが、お前が来てくれるだけで、気分はとても良くな
っているのだから…」
 帝はそう言って、青白い顔で無理に笑顔を作って見せる。永泉は、病床の兄にこうしてまた
気を遣わせてしまった事を酷く後悔した。永泉のそんな思いは、帝の目にも見て取れるものだ
った。
 帝はそろそろと手を伸ばすと、永泉の頭をそっと撫でた。
 その行為に永泉が顔を上げると、帝は再び微笑んだ。
「兄弟なのだから、私に気を遣うな。お前のその優しさはとても良いところだが、気を遣いすぎ
ると、疲れてしまうぞ。もう少し、わがままになったほうが良い…。お前は、帝になるのだから、
優しさも大切だが、時にはそれが命取りになる場合もある…」
 帝のその言葉に、永泉は、帝の手をギュッと握り締める。
「何をおっしゃるのですか、兄上。私が帝になることはありません。今度の冬には、帝のお子も
産まれるではありませんか。春には、皆で桜を愛でて…」
 永泉は、その続きを言うことが出来なかった。続けようと、懸命に努力するが嗚咽へと変わっ
てしまう…。
「私は、もうあの桜を愛でることは出来ないのだろうな…」
「兄上…!!」
「お前に、頼みがある…。私が死んだら、お前に帝になってもらいたい…。私は、私の子供を見
ることは出来ないだろう…。お前に、あの子の後見になってもらいたい。そして、あの子が、自
分で物事の分別が出来る年まで…、お前に帝としてこの京を守ってもらいたい…。勝手な願い
だというのはわかっている。だが、聞いてくれないか?」
 永泉の手をグッと握り締め、震える声で、「頼む…」と言う帝に、永泉はただ頷くことしか出来
なかった。
 帝は永泉のその姿を見て、ホッとしたように微笑んだ。
「ありがとう…」
 永泉は、その言葉に首を振る。帝の言ったことが、現実になってはならないのだ。帝の病気
は回復して、あんなことを言った自分を帝が恥じる日が来るのだと。来年もまたあの桜を皆で
愛でるのだと。
  永泉はただそれだけを願っていた。
            
                                続く