音無の里<中編>


 ゆっくりと目を覚まし、泰明は周囲を見渡す。一体どれぐらい眠っていたのだろう? 自分は、
死んだと思っていたが、どうやらまだ生きていたようだ。だいぶ眠ってしまっていたような気がす
る。
「うまく行ったか…」
 晴明のその言葉に驚いたように泰明は起き上がる。
「? ここは? 何故、私はお師匠の家に?」
 そう言って、周囲を見渡すと静かにあかねが寝ているのが見えた。
「何故、あかねがここで寝ているのですか?」
 泰明はそう言うと、あかねの元へと近づいていく。しかし、何かがおかしい。あかねから、感じ
られる気が酷く弱々しい。
「あかね?」 
 泰明は、恐る恐る愛しい者の名を呼ぶ。
 しかし、愛しいものから返事は返ってこなかった。息も絶え絶えに、ただ弱々しく微笑むばか
り…。
「あかね…?」
 泰明は、あかねの身体を抱き締め、子供のように嗚咽を上げる。どんなに力強く抱き締めて
も、あかねのからだは徐々に体温を失っていく。
「あかね……? あかね!!」
 優しく呼びかけても、強く呼びかけてもやはりあかねが返事を返すことは無かった。
「あかね殿は、お前の命を救いたかったのだ…」
 晴明は、やりきれないと言った表情で、言葉を絞り出すように告げた。
「お前のことを助けたいと…、自分の命と引き換えに…」
「そんな…。私のようないつ朽ちても構わないようなもののために…。何故、あかねは…」
 泰明は、悔しくてならないといったように床に拳を叩きつける。
「あかね殿にとっては、お前がかけがえの無いものだったからだ…。自分の命と引き換えにし
ても、お前を救いたかったのだ…」
「お師匠…!! あかねを助けてください。私の身体はどうなっても構わない。アカネのためにある
命だ。あかねのために使うことができるなら本望だ。私の命をあかねに返してくれ…」
 泰明は、涙ながらに晴明に懇願する。そうしている間もあかねは泰明の腕の中で弱々しく首
を振リ、その手をそっと泰明の手に自分の手を重ねる。
「お師匠、お願いします…!!」
 晴明は、大きく深呼吸をし、泰明を見据えた。
「わかった…。しかし、あかね殿はお前のときと違って、まだ命がある。お前の命を全て失うこと
は無いだろう。だが、お前は、異形の姿になってしまうやも知れぬ。不完全な人間になるやも
知れぬし、どうなるかは私にはわからぬ。それでも、構わぬか? 市よりも、辛いことかも知れ
ぬぞ…?」
 泰明は、静かに首を振る。
「あかねがそれで救われるなら、私はどうなろうと構わない…」
 泰明は、揺るぎない決意で晴明を見る。しかし、あかねは、泰明に何かを伝えようと、口を動
かす。
「良いんだ、あかね…。私の命は、お前にで会うために与えられたようなもの。お前を想うこの
気持ちさえ持っていられるなら、どんな姿になろうと構わないのだ…」
 そう言って、泰明は微笑んだ。
「お師匠。お願いします」
 あかねは、そんな泰明の声を薄れていく意識の中、聞いたような気がした。

「あかね殿が目覚めるのを待たずに出て行くのか?」
 晴明の問いに、まるで姿が変わってしまった泰明は、静かに頷く。
「こんな姿を見たら、あかねは泣いてしまうだろうから…。自分のせいだと、自分を責めてしまう
だろうから…。あかねに、幸せになるよう、伝えてください」
 泰明はそう言うと、静かに深々と頭を下げ、行く先も告げずにその場を去っていった。


  続く