父永眠の日

2001年5月1日 午後7時40分

この日、父は仲良しグループと以前も行ってお気に入りの地、島根の「大根島」へボタンの花を見る小旅行に出かけた。
この仲間たちと週に1回、温泉や花を見に出掛けるのを唯一楽しみにしていた。
そして「ボタンをもう一度見れるかな?」というのが半年位前からの父の口癖になっていた。
最後の検査結果は5日前の4月26日で「リンパへの転移も消えてます。白血球も普通の人と同じ。好きな事していいですよ」
と太鼓判を押されていた。そして喜んで出掛けたのに・・・

島根からの帰り、家のある隣の市で父の希望を優先し「中華料理」を食べる事になり、父は「酢豚」の肉を最後に食べ
どうやらそれが喉につかえたらしく、母と一緒にお手洗いに行き「用も足したい」と自分でズボンをおろした途端
後ろに居た母の腕の中に倒れこんだ。 母は気丈にも脈をとったらしいが、すでに脈は触れなかったらしい。 
父を抱えたまま座り込んだ母は「だれかー」と叫んだらしいが、何せ密室での事。 
しかし、友人がわずかな声も聞き漏らさず飛んできて、まず父を横にさせて救急車を呼んでもらい総合病院に運ばれた。 
その時には、すでに「心停止」だったらしい。
運ばれた病院から母は妹に「お父さんの脈がない」と連絡、妹は震えた声で私に電話してきた。
すぐに私は夫に連絡し、妹と私たち家族は隣の市にある病院へと向かった。
電話が入ったのが午後7時過ぎだった。 その日は雨が降っていて高速道路はとても走り辛かった。 
向かいつつ、父が生きているのかどうなのかわからない不安でブルブル震えながらも
私たちの携帯に連絡がないという事は、大丈夫なのだろう・・と不安をかき消した。 
早く病院に着かないかな・・という思いと、着いて真実を確かめるのが怖いという何とも表現しがたい思いの中、病院に着いた。 
真っ暗な病院の中を皆で走った。母・そして仲間が見えた。 
「お父さんは?」母は「もう、ダメなんだから」と一言。 
私は覚えてないのだが「ギャーッ」と叫んでしゃがみこんだらしい。 
妹の「お父さんの所に行こう」という声で我に戻り、処置室に行くと父は穏やかな顔でまるで寝ているかのように・・
しかし確実に死んでいた。 
死因は「窒息死」との事。 私は納得していなかったが「検死」となると父を連れて帰るのが遅くなるし
分かったところで父は戻ってこないのなら・・と思い、その場では何も言わなかった。 
父の死亡確認時刻はちょうどドシャ降りに変わった時刻だった。 
 一度は脈が戻ったらしいが、母は「植物人間になるなら、延命はしないで欲しい」と願い出たらしい。 
これは父の遺志だった。 
かなりの救命措置をされたのだろう。 父の前歯はボロボロになっていた。 
皆に「死に目に会えなくて残念だったね」と言われるが
私は父の救命措置をする場面には遭遇したくなかった・・というのが本音である。
心電図が「ピー」と鳴る瞬間は絶対に見たくないと常々思っていたから。 

仲間の方々が「ごめんね。 ごめんね。 元気で連れて帰れなくて」と何度も何度も謝って下さった。 
本来なら私たちが詫びなくてはならないのに・・

父を連れて帰る車が到着し、母と私の次女が乗った。 
私たちは家に帰って片付けなければ・・と一足先に病院を出て家に着いてみると
お仲間の方が連絡してくださっていたようで友人、ご近所の方がちゃんと布団を敷いて皆で待ってくれていた。 
次々と親戚の者も来てくれ、皆で抱き合って「なんでーー」と抱き合って泣いた。 
父の遺体が戻りドライアイスを身体の廻りに置く際、父の身体に覆いかぶさって「だめーー。 まだ温かいのに、入れないで!!」
と泣き叫び夫に引き離された。
我が家は「浄土真宗」だが、両親の友人に「日蓮宗」のお上人がいて、父は生前から「わしのお経をあげに来てくれよ」と言っていた。 
菩提寺に連絡が取れなかった事もあって、隣の県からお上人は夜中に駆けつけてくれ「枕経」をあげて下さった。
そして泣きわめいている私に「○○ちゃん、もう泣くな。 お父さん笑って見てる。満足してるぞ。」と言われた。 
そしてその晩は、夫がほとんど1人でお線香を絶やさずお守りしてくれた。

思わぬ友人の訪問
時を同じくして、やはり父親が末期の肺ガンで入院中の高校からの友人が深夜に来てくれた。
彼女は、入院中の父親に付き添っているにもかかわらず、タクシーを待たせ父と私に会いに
来てくれた。「こんな時に・・」と泣く私に彼女は「どうしても来たかったんよ!」と言ってくれた。
そして、「通夜、葬儀は出れんけど、しっかりね。」と言い残して病院へと戻って行った。
彼女のお父様は父の死後、追いかけるように15日後に亡くなった。

お別れだったのか?

この永眠の前日、父は慕っていた姉(私からすると伯母)の家へ久々に自分で車を運転して行き
皆で昼ごはんを食べ、花の苗を買ってきていた。 たぶん「お別れ」に行ったのかな・・と今になって思う。
私も亡くなる前夜に電話で5月3日から皆で行く旅行の話しをして「じゃぁ、3日にね・・」
と、これが父との最後の会話になった。