免疫療法  2000年4月


3月28日の検査結果、あと2〜3ヶ月で食事が喉を通らなくなるだろうとの事。

人口食道(ステント)を入れて通りをよくするか・・と医師の提案。

この時、色々治療しても「余命1年」と宣告された。

 

いつも食事に行くお店で公私ともにお世話になっているママにこの件を話すと
「うちのお客さんで余命3ヶ月と言われた人が15年たった今も元気だから話を聞いてごらん。
このままお父さんを死なせちゃいけないでしょ。」と言われ、さっそくその生き証人にお会いし
翌日、横浜にある「サトウクリニック」に電話して予約をした。

4月7日

主治医から、色々な資料を快く貸し出して頂き「横浜の先生も○○さんの体力なら治療のしがいがあると思いますよ。」と言って頂いた。 
ナースの方々も「頑張って来てね」と応援エールを下さっての横浜行きとなった。 
私の妹が同行した。
サトウ医師は「一度外科医の意見も聞かれてみたらどうか?僕なら手術を勧めるけど・・
その後でこの免疫療法をした方がより効果があると思いますよ。 その話し合いの結果を知らせてくださいね」との事。

この医師の助言がなかったら、父の手術は実現しなかっただろう。

術後、横浜のサトウ医師に会いに行く体力をつける為父は自宅近辺を散歩していた。

そしてサトウ医師のところに、妹と私と一緒に行き、父が術後気にしていた「タン・下痢」の事を話すと、一笑にふされ
「そんな大手術をしたんだから当たり前、よかったね。 食道ガンの術後こんなに元気なのは珍しいよ」と元気づけられ
またまた父はパワーを頂いた。

サトウ医師にも常に状況報告をしつつ、横浜まで通うには遠いという事で
自宅から比較的近い福山の協力医である「数野博医師」を紹介して頂いた。

ただ、定期的には横浜には行かねばならなかったが・・

紹介して頂いた「数野博医師」はその後の父のメンタルな部分に多大なる影響を与えて下さった。

 

横浜サトウクリニック

    ホームページ

       http://www.yscbrp.com/

 

数野博医師(ドクターチャビン)

    ホームページ  

       http://www.saturn.dti.ne.jp/~chabin/

   メールで相談すると、翌日にはすぐに返信してくださいます。


数野博医師

元々は横浜サトウクリニックの協力医という事で「免疫療法」を受ける為にお世話になった医師だが
父はこの数野先生にお会いするのを楽しみにしていた。 
最初に先生の所を訪ねて行った時、病院から出た私たちを聴診器をぶらさげたまま追っかけてきて下さり
「このビデオを見て生きる勇気を出して!」と3本のビデオを貸して下さった。この姿はいまだに忘れる事ができない。 
毎回の治療のたびに先生からはメンタルな部分で大いにお世話になり帰途の父は見違える程、明るい顔だった。 
父の訃報を知らせる為にメールを送ったところ以下の返信メールが来た。 
このメールは私たちの心を充分すぎる程癒してくれた。

〜突然の事で本当に驚きました。 父上の大変前向きな生き方に敬服し、きっとよくなられると思っていました。 ご冥福をお祈り申し上げます。 母上の腕の中で安らかな最期を迎えられたとの事、みなさんに支えられてこられてきっと満足しておられる事と思います。 死は終わりではありません。 父上はこれからも皆さんのなかで生き続けられることと思います。 今回の貴重な経験をこれからの人生に活かして、出来れば同じような悩みをお持ちの方々に役立ててもらってください。
最後に「散る桜 残る桜も 散る桜」ということを忘れないでください。〜

この言葉は私も妹も大好きな言葉となって、今も心に刻んでいます。

 そして、今回このHPを作成するにあたり「リンクのお願いメール」を出したところリンクOKどころか  〜不思議ですね。 昨日は「さわやか山の会」の月例会で大山に登りました。 曇りでガスのかかった天気でしたが、時折雲やガスの晴れ間から弓ヶ浜がきれいに見えました。 メンバーの誰かが「あれが大根島よ」と言うのを聞いて、○○さんの事を思い出していました。 そんな折のこのメールに驚いてしまいました。 ○○さんの笑顔が見えるようです 。きっといつも見守ってくれているんだろうなと思いました。 〜というお返事メールを頂いた。

あぁ、父は数野先生の心の中にも居させて頂いてるんだ・・とまたまた涙。

数野先生、本当にありがとうございます。