日本の金融政策――1998‐1999
1999,11.4 木下秀人
木下秀人
1 99.9.22 日銀量的緩和せず
2 99.9.24 日銀決定のその後
3 「金利・インフレ率・為替」の渡邊・斎藤理論
4 G7の結論――共同声明の骨子
5 評価と反応
6 クルーグマンの日本経済論
7 クルーグマンへの反論
8 宮沢蔵相いわく
9 小宮隆太郎,調整インフレに合理性なし
10 木下結言
11 2000.4.27追加
12 「徹底継続・解除,共に有効」、斎藤・渡邊
13 2000.8.11 ゼロ金利解除
1 99・9・22 日銀量的緩和せず
日銀は金融政策の現状維持を決定した。榊原など大蔵省の対米密着派が、クルーグマン説に従って量的緩和の必要を力説し、株式市場もそれを期待して上昇し、為替も足踏みしていたのに、すでに資金は潤沢に供給されておりこれ以上の緩和は意味がないとして大方の期待にこたえなかった。日銀には、85年のプラザ合意・ルーブル合意後の円高不況対策のとき、本来、経済政策で対応すべきなのに日銀の金融政策=金利引下げが強要され、資産インフレ状態になったにもかかわらず金利引上げが認められず,バブルを発生させてしまった苦い記憶がある。さらに追い込まれると妥協する、という従来のパターンをも覆した。
そもそもこの春からの円高は、日本の景気回復を見込んでの外国人の日本株式や資産への投資=円買いに起因し、その資金はゼロ金利の日本で調達され、また日本の多年の経常黒字による蓄積資金が、国内投資活動の不活発とゼロ金利で行き場を失って米国債購入に流れ、その経常収支の赤字を埋め合わせる仕組みであった。そのドル買いと前述の円買いとのバランスが、最近の米国の経済過熱と貿易赤字増大と日本の景気回復先取りで、円高に傾斜しがちであったのを、まだ景気回復過程で円高はその芽をつむことになるとして、円高阻止論が唱えられた。円高は輸出には不利輸入には有利、「過度に輸出に依存しすぎている、内需拡大をするべし」という米国の対日批判が始まってもう20年以上経過した。構造改革も進んで、輸出と輸入で影響の時間差はあるにせよ、もう円高で大騒ぎする時代は終わったのではないかという声はまだ少数派のようだ。
宮沢蔵相は特に異議は述べず今後意見交換を続けるとコメントした。大蔵省が干渉できる時代は終わっている。
米国財務長官のサマーズは直接はコメントせず、ドル高は米国の国益というルービン発言を繰り返し、米株式が貿易赤字の3ヶ月記録更新で大幅下落したのに対し、製造業の問題としつつも貿易赤字は経済成長の一面であると述べた。米国経済は高水準維持がいつまで続くか懸念はあるが為替については協調介入に応ぜず、今回日銀が拒否した量的緩和がその条件だったという説があるが、円の独歩高で、他の通貨を含めた実効レートはドル高という米国説も当たっているし、量的緩和が米国の赤字補填に寄与するのも確かである。しかしまた「為替調整を常に相手国に強いる」という米国のパターンが、米国の地位の相対的低下と経済のグローバル化の中で、いまや時代遅れなのも事実である。
東京市場、為替はネガチブサプライズで円高急進、それを受け株式は、前日量的緩和折込で上昇しただけに急反落、終値−607円。今週の上げ分が戻った勘定、しかし17000円以下にはならなそう。
野中官房長官、緩和に乗らなかった日銀を批判
元財務官大場智満氏いわく、「あいまいさが大事なのに日銀発言は透明でありすぎた」当たっていないでもないが、すでに日銀が言うようにゼロ金利で資金は有り余っているのを
知りつつ、また円高に一喜一憂する時代は終わったはずなのになお、円高騒ぎに同調する声が多いのは遺憾である。
日銀は世慣れていない。千軍万馬、生き馬の目を抜くやからに手の内をさらしすぎ、これ以上やることはないと断言したのは得策でなかったといえるかもしれない。まだ大蔵省から独立してすぐで、硬くなりすぎている。しかし金融論議も為替論議も新しい土俵でまだ始まったばかり、そのうち慣れて老獪な手を使えるようになるだろう。
2 9.24 日銀決定のその後
日経平均 NY工業30 円/$東京・NY
9.21 17,932+357 105.40−0.50東京 日銀発表は東証終後
10,598−225 104.80−0.60NY
9.22 17,325−607. 104.23−0.57
10,524−074 104.15−0.08
9.23 休日―― ――
10,318−205 103.70−0.45
9.24 16,871−454 104.41+0.71
10,279−391 104.15−0.26 G7会議声明
9.27 16,821−050 104.12−0.03
10,303+024 105.60+1.48
9.28 17,325+504 106.50+0.90
10,275−027 106.40−0.10
9.29 17,282−043 106.89+0.49
10,213−062 106.95+0.06
9.30 17,605+323 105.64−1.31
10,336+123 106.35+0.61
G7での日銀の柔軟発言が効いたのか、投機筋の目論見が外れたのか、株価も為替も日米ともに落ち着いてきた。無理を押す政治筋からの日銀攻撃は消えないが,日銀に理解を示す声も金融プロの間に高まってきた。
3 9.24 日経経済教室の「金利・インフレ率・為替」渡辺努・斎藤誠理論
日本経済のマネタリーな側面について中長期的な道筋について考察したもので、啓発された。簡単に筋道を説明する。
長期的に、 名目金利=実質金利+予想インフレ率 (フィッシャー効果)
為替相場は、内外金利差の変動によって上下すると予想される。
円相場の予想上昇率=海外名目金利―日本名目金利 (金利平価式)
実質金利は所与とすると、名目金利、予想インフレ率、予想為替相場の3変数のありうべき組み合わせについて、つぎの2つが考えられる。
1 低い金利、物価安定(デフレ)、円高傾向
2 高い金利、ある程度のインフレ期待、円安傾向
現在日銀のとっているゼロ金利政策は、1の組み合わせである。金利が低いから物価は上昇しない=デフレ傾向、内外金利差が円高傾向をもたらす。
クルーグマンが唱導し、大蔵省の一部も乗っている金融の量的緩和政策は、ベースマネーの継続拡大を通じて、ある程度の物価上昇を狙う、2の組み合わせである。資金の大量供給でデフレマインドの転換=物価水準の上昇を図り、インフレが浸透して金利は上昇、内外の金利差が縮小して為替は円安傾向に転換する。
従って両者は、まったく異質の政策で両立はできない。そしてこの、量的緩和政策は、円安には結びつくが、金利上昇と物価上昇をも結果する点に留意しなければならない。量的緩和論者の大方は、クルーグマンと共に緩やかな物価上昇は是認するが,それに伴う金利上昇を認識しているであろうか。自自公政権の成立で、政治資金の集金構造に直結する公共投資維持のため、日銀に金融緩和を求める圧力が一段と強まってきた。日銀がしのぐためには景気回復が第一条件,天は日銀と日本経済健全化の為に味方するであろうか。
日銀が,デフレ懸念(懸念であって、デフレとは認識していない)の消失をゼロ金利政策解除=金利引上げの条件としているのは理にかなっている。日銀の使命は貨幣価値の維持にあり,インフレはその最大の敵だからである。ただ、インフレ傾向にしたい勢力が強いのに、金利引上げ条件を口にするのは、うまいやり方とはいえない。今はひたすら低金利・金融緩和で押しとうし、条件が熟するまで伝家の宝刀は見せるべきではない。
クルーグマンの説は、日本の実質金利を、すでにマイナス4%、日本経済は流動性のわなに取り付かれた危険なデフレ状態、と想定している点で+の金利を前提にする1・2の仕組みと全く異なる。そのような危機状態だからこそ緊急手段として、実質金利ゼロの水準まで量的緩和を継続し、緩やかなインフレで成長が持続できる状態までもって行くべきだ。そして、そうなったら円高に行く前に通常政策にもどればいいとクルーグマンはいう。しかしマイナス4%の実質金利説には渡辺・斎藤氏は同意していない。日銀もデフレ説ではない。また,クルーグマンは9.21日経によれば、日本経済になお残存する大きな需給ギャップを埋めるために年3―4%のインフレ率目標設定が必要というのであって、構造改革による内需振興では間に合わないからインフレという劇薬を飲ませろ、という現状認識は是認されるであろうか。需給ギャップは過剰設備の所産であり,リストラによる過剰設備の償却が必要というのが大方の処方であり,遅れ馳せながら進行中ではないか。
日銀の手形買いオペレーションにおいて、応札額が予定額に達しないことが今年すでに32回、内15回は9月分という事態こそ資金は市場に十分供給されている、これ以上の緩和は意味がないという証拠である。米国の,日本が量的緩和をするなら円高是正の協調介入に応じてもいいという主張には、日本からの資金流入でNY株式・債券市場をソフト・ランディングさせドルの暴落を避けたい思惑があるという指摘もある。
なお,1の組み合わせは銀行の不良再建処理のために選択されたのであり、企業部門からすると、労働移動と債務返済を円滑にするためには、緩やかなインフレを含む2のモデルが望ましいという。
4 G7の結論――共同声明の骨子
A 円高が日本及び世界経済に与える懸念を共有する。
B 円高の影響を考慮して政策を運用する日本の姿勢を歓迎する。
C 為替市場の動向を注視し適切に協力する。
D 日本は内需主導の成長が確実になるまで景気刺激策を実施し、デフレ懸念払拭まで十
分な流動性を供給する。
結局日銀は,円高の悪影響が景気に及ぼす懸念を政府と共有、現在のゼロ金利政策のもとで豊富で弾力的な資金供給を行い、情勢に応じ適時適切な対処をすること、金融調節手段の拡充も検討することを改めて確認した。こんなことなら、これ以上の金融緩和に否定的な発言などしなければ良かった。相手を見、状況を加味して物を言うべきであった。
これに対応して米国も欧州諸国も、円高懸念共有に同意した。
5 評価と反応
A 株式市場と為替
翌27日の東京株式市場は前場+132円だったが、為替が週末のNY市場に対し0.03円高に振れたのを嫌気し終値は−50円、続くNYでダウが+24ドル,為替が1.48円安になったのを受け、28日の東京は+504円と大幅に戻し,為替も106.50円と円安に振れた。NYはダウ−27ドル為替は1ドル106.40円で小幅円高。29日の東京株式は前日の高値を受け−43円と小幅調整、為替は106.89円と戻した。中間期末を控え出来高は3億株台の低調であったが、G7合意が受け入れられたと見てよかろう。
B プレヤ―は外国人
東京株式市場の主たるプレヤ―が外国人になって久しい。かつて,右肩上がりの上昇相場において下落したときの下支え役であった個人は、バブル崩壊とその後の市場での学習効果で、景気回復先取りの株価上昇過程においても細かく利食いを繰り返し,値下がりリスクに警戒を怠らず容易に買い越し幅を広げない。法人はリストラと持ち合い解消で売り越し続き、バブルで信用失墜した投信は,本来個人資産運用の主役のはずが、ようやく残高減少に歯止めがかかった状態、10月からの手数料自由化の嵐の中で、外国証券と競争しながら各社新体制のPRに躍起になっている。買い越しのリスクに耐え、ゼロ金利と円高差益,さらにNY株式の軟着陸をにらみながら,他のプレヤ―が萎縮する中で東京市場を制覇し、世界市場でマネーを動かしているのは外国人である。
1979年,株数で4.03%金額で5.83%であった外国人の日本株式投資は,1998年株数で10%金額で14.1%と増加した。金額比が大きいのは優良株が多いからである。日本のプレヤ―が自分の判断で値決めできず、リスクが取れない中で、外国人(といっても日本人社員多数を含む)が日本株の価値を評価し値段を決めてくれている。株価上昇の恩恵は90%を所有する日本人が大部分を享受するという構造である。値決め手数料は当然払わねばならないであろう。
C 金融市場のゆがみなお残る日本
FRBのグリーンスパン議長は「日本の金融市場は多様性がかけており,それゆえ流動性が不足している」とコメントした。米国と比べて日本の市場は,戦後大蔵省の統制のもと、間接金融主体の護送船団方式で運営されてきた。その結果,少ない資金を重点部門に集中配分できて、他に類を見ない高度成長がもたらされはしたが,直接金融市場=株式・社債市場の発達が阻害され、企業の資金調達は銀行借り入れ、しかも短期の借り換えを繰り返す方式で,金利にリスクが織り込まれること少なく、リスク資金の調達=ベンチヤ―企業の育成が阻害され、金融機関にはリスク管理思想がなかった。融資では企業倒産のリスクを他に転嫁できない。銀行が長期資金部門を証券市場に任せ、自らは短期資金融資=商業融資に専念していれば、不良債券問題ははるかに小さな問題であっただろう。投資家から見ると預金金利は低く株式も投資信託も元本割れ、株式や不動産は本来金融商品で金利とリンクする筈なのに、その常識をはるかに超えて舞い上がりバブル破裂となった。慌てて行われた金融改革のスピードに各金融機関がまだついていけず、不充分な商品開発・未成熟な市場は投資資金の円滑な循環を阻害した。金融機関側のリスク懸念による貸し出し縮小と、企業側のリストラによる余剰資金返済とが、貸し出しの伸びを押さえ、折角日銀が供給する資金が、銀行に需要なく、短資会社にジャブジャブ滞留することになった。流動性が不足しているのではない。不足しているのは健全な事業計画にもとずく健全な資金需要であって、それは企業の投資活動であり、企業の活発な活動が、消費をも刺激して経済成長がもたらされる。
戦後まもなく,戦時国債の処理をめぐって米国では、低金利を維持したい財務省に対し,市場金利への転換を主張するFRBとの論争が市場派のリードとなって、当時の連銀(FRB)は長期金利には責任を持たないというアコードが財務省との間に成立した。その結果、国債が市場金利で取引される市場が育成され、米国国債には各国投資資金・政府余剰資金が流入して、米国国際収支の赤字をファイナンスしている。ところが日本では国債金利は、長い間大蔵省決定の、市場金利より低い金利で市中銀行に割り当てられ、日銀が1年後に買い戻すなどの特殊取引で、自由な国債市場は最近まで存在せず、TBといわれる政府短期証券は未だに日銀引受で、長期・短期政府債市場の未整備が円の国際化の障害となっている。日銀すら、98年4月施行の日銀法改正でやっと大蔵省からの独立をかちとったにすぎない。そして今、自自公政権は日銀に非市場金利での国債引受を押しつけようとしている。官僚統制と市場主義、彼我の差は50年以上、まことに大であるといわねばならない。
6 クルーグマンの日本経済論
クルーグマンのSaving JapanというインターネットのHome pageをのぞくと、A spetial page on Japanという前書きとともに、彼の書いた日本経済に関するいくつかの論文を読むことができる。
前書きを要約すると、「日本の状態はスキャンダルである。しかしその経済病は、ケインズ後60年、安定し効率的な政府を持ち、巨大な債権国が、小国のような制約がないのに、消費と投資が足りない為に、生産能力をはるかに下回る運営をしているという、特異な症例である。その結果、日本の経済官僚は毎年、日本と世界から巨額の価値を奪っている。」
「内外のエコノミストも良くない。世界第二位の大国日本の苦境に無関心な人が多い。発言する人も、日本問題は深く構造的で簡単には行かないというばかりである。しかし大問題が、ちょっとしたやり方でうまく解けるかもしれない。」
「1997の春から、私は経済分析の論理のみにしたがって日本問題を熟考した。結論として簡単な解が見つかった。それは景気回復の構造的障害は、経済自体の内でなく政策当局の心の中にあるというものだった。」
「日本問題の議論においては、経済分析論と政策論が衝突している。マクロエコノミックスの論理が、日銀や大蔵省によって拒否されている。モデルが正しく官僚が悪い、それが私の結論。」
Modelsとして論理構成をJapan’s trap(1998.5)からTime on the cross: Can fiscal policy
save Japan?(1999.9)まで11篇、Diatribesとして学者・官僚への論評を8篇。
その骨子は
イ 日本の状況認識として一般にいわれているのは、
問題点は、企業の過剰負債、損失に直面しようとしない銀行、サービスセクターへ
の過剰規制、人口の高齢化、
解決策は、減税、銀行改革、過剰設備の廃棄(それには痛みが伴う)。
ロ しかし、状況分析には、筋の通った概念構成が必要である。
日本は、恐ろしい「流動性のわな=Liquidity trap」に捕らえられている。その結果、
金利がゼロ水準なのでそれ以下に下げられず、金融政策が効かなくなっている。
ヒックスは、1937年、IS‐LMモデルでデフレ条件下で金融政策が効かなくなるこ
とを立証した。長く忘れられていたが、それを満たす条件が日本に現れた。
ハ すなはち、人口減少傾向などの為長期経済成長見とおしが低い国では、短期実質金
利は、negative=マイナスであるべきだ。名目金利はマイナスではありえないから、
それはインフレ期待を起こすことによって実現するしかない。その結果、物価上昇
期待が実現されない限り、短期の金融緩和は効果なく、経済をスランプから脱出さ
せることはできない。日本はこれに該当する。
日本の構造改革や赤字財政による公共投資は、長期成長率を上げるかも知れない
が、インフレ期待の醸成こそ最も簡単なスランプ脱出法である。
ニ 具体的には、中央銀行が、普通なら無責任と思われるかもしれないが、現在の金融
緩和姿勢を、物価上昇が始まるまで持続すること。国債の買い入れもあってよい。
ホ 流動性のわなは、人々がデフレを予想するとき発生する。そのとき名目金利ゼロは
高実質金利となる。また人々が将来の実質所得が、現在必要な消費より下がると予
想するときも同じである。そのとき、十分に消費させるには、物価上昇予想=ネガ
ティブ実質金利が必要となる。将来所得が低いと予想されるときは、金利はゼロで
も人々は貯蓄し、消費に対し貯蓄過剰=デフレ要因となり、中央銀行が何をしよう
と経済は活性化できないし完全雇用も維持できない。
へ 流動性のわなにはまったとは、短期の名目金利が実質ゼロなのに、総需要が供給能
力に一貫して届かない状態をいう。日本の1990年以来の潜在成長力を2%と評価す
ると、この経済は現在非常に深いスランプ状態にある。
ト 日本で問題なのは生産=供給ではなく需要が少ないことである。その対策として考
えられるのは、構造改革、財政投資、“非”伝統的金融政策である
チ 構造改革は、銀行部門の不良債権処理、サービス・セクターの規制緩和、会計制度
の改革などに必要なことはわかっている。しかしこれは供給改革で需要増には直接
つながらない。
リ 財政投資は、古典的なケインズ理論の流動性のわなでは、金融政策が効かなくなっ
たときに出動すべき位置づけである。ここでは少し違って、減税は効果ないが、政
府支出の拡大は個人消費の減少を補って需要増加に役立つ。しかし日本では成功し
なかった。使われない飛行場や橋などといった、人々の役に立たない資産を増やして
もだめである。
ヌ 金融政策が効かないのは、結局のところ、マネーサプライを一時的に変化させるだ
けに終わっているからである。その違いの理解が大事である。IS‐LM分析は静態分
析だから一時的と恒久的の政策変化を区別できない。ところが流動性のわなは長引
くものである。マネーサプライの増加をずっと継続すれば物価の上昇につながる。
金融緩和は一時的でなく、インフレ期待を起こさせるほど長く続けることによって
効果を発揮するであろう。
ル 日銀は、通常、政策変更が一時的か恒久的かをアナウンスはしない。しかし日銀は
物価安定という使命があるから一時的と思われてしまう。それが金融政策が効かな
い理由である。日本が経済を活性化できなかったのは、市場が日銀はマネーサプラ
イの手綱を物価が上がり始めたら締めてしまうと見なしているからである。
だから金融政策を効果あらしめる為には、日銀は、ネガティブ実質金利状態を起こ
しつつ、インフレ発生を是認することを説得できなければならない。このインフレ
期待を発生させることこそ、経済活性化のための唯一の方法である。その為の期間は
3年か20年かわからない。いづれにしろ日本は、どんな政策を取るにせよ、やがて
は“わな”から脱出するだろうが。
7 クルーグマンへの反論
A 翁邦雄、日本銀行金融研究所長――ゼロ・インフレ下の金融政策について
金融研究1999.8
日銀は(1)長い目で見た物価の安定を通じて国民経済の健全な発展に資するため必要な対応をとる。(2)その際、効果との対比で副作用が大きすぎ、長期的に見て(1)の達成を妨げる対応は取らない。
(イ) 日本はデフレではない。日本の消費者物価ははばゼロ近辺で推移し、大恐慌時の米国のようなデフレは回避し得ている。日銀の急激な金利低下・金融緩和策がデフレを防いだ。
(ロ) デフレではないから、マネタリズム論者の、今以上に潤沢にリザーブを供給すべきという主張には、物価安定の見地から賛成できない。必要がないばかりか副作用が大きすぎる。
(ハ) インフレ・ターゲティングを採用している国は、いずれも高インフレ対策であって物価安定の日本とは状況が異なる。仮にデフレ期待払拭の為としても具体的な方法が見つからない。消費者物価は上がらなかったが資産価格がバブルを形成したのと同じ事が逆に起こったとき、どう目標を設定するのであろうか。速水総裁が言っているように「デフレ懸念の払拭が展望できるような情勢になるまで」でいいではないか。
(ニ) 国債買いきりオペなどでリザーブを増やしても意味がないことは(ロ)でのべたが、国債買いきりや国債引受によって長期金利を動かすこともできない。長期金利抑制の為の金融政策が、やがて金利上昇圧力で国債市場崩壊に直面することは戦後まもなくの米国で経験し、長期金利は市場決定に任せることで解決済みである。
(ホ) 国債引受は、日銀のバランスシートを毀損し、日本経済の信任にかかわる禁じ手である。
(ヘ) メルツァー教授の、流動性のわな克服の為の無制限ドル買い介入説は、円安は実現できるがインフレを引き起こす。国債の無制限買い入れによるマネー供給は、インフレを起こし長期金利も上昇させる。採用できない。
(ト) かろうじてデフレ回避はできたが、金融政策だけでは新たな成長を実現できない。政府の施策のほかに、企業の構造問題の解決が不可避である。現在の超低金利はデフレ回避には役だったが、構造改革先送りの誘引となっているという問題もある。日銀は状況に応じプラス・マイナスを考量しつつ、適時適切な方法で対応するであろう。
B 翁論文へのR.I.マッキノン、スタンフォード大教授のコメント
日本銀行金融研究所1999.10
(1)「日本のCPIの低下は1930年代の米国のそれよりはるかに小さい。」は正しい。しかしCPIは持続的なデフレ圧力の計測には最適ではない可能性あり。たとえばWPIは米国より下落幅大である。なお、日本の物価水準の下落は持続的であるが、米国の30年代の下落は驚くべきものだったが、持続的ではない。(翁再説、WPI下落も持続的だからデフレスパイラルではない)日本は1971から1995まで米国の絶えざる圧力で円高が進行し、2000年代にもその圧力が復活するのではないかとの不安が持続し、その円高圧力によって日本の名目金利は米国よりも押し下げられることになろう。
(2)「日本の金融政策は適切に運営されている。」は正しい。1994以降、ベースマネーの流通速度は大きくて低下し、より広義の量的金融指標はGNPを上回る拡大が続いている。日銀はこのベースマネー需要増に対応しているが,国内的な金融手段だけでは経済活動を拡大させることは不可能である。クルーグマン教授の望むようなインフレ目標値を宣言してもそれを達成する手段がない。
(3)日銀は、国債を購入するあるいは直接引受ける先例を作らないほうがよい。
(4)私は、長期円高期待が存在する限り、国内の超過流動性を拡大させても、円高が生じるとは限らないと主張してきた。日本の景気刺激の為に「無制限の金融拡張論」があるが、ドル買い円安でそれを実現しようというのは間違い。アジア諸国への影響、米国との摩擦に加えて将来の円高不安は依然として残る。むしろ高すぎるのは現在の実質為替レートではなく、将来の名目為替レートである。
(5)「為替レートを本気でコントロールするには、固定相場制復帰など、参加者の期待構造を覆すような政策レジームの切り替えを覚悟する必要がある。」は正しい。長期的に円相場安定の為には米国との協調が必要である。そして日銀の非不胎化介入はこの協調の為に行われるときにのみ意味があろう。(翁再説、現行法で日銀は為替介入ではMOFの代理人に過ぎない。金融面で側面支援できるだけ、自己資金による介入には法改正が必要。)
結論:日米協調介入で長期円高期待を終わらせ、日本の金融政策を流動性のわなから解放するのが問題であって、日銀への批判は、不胎化問題を含め正当な根拠がない。そうした批判は問題から目をそらさせている。(翁説におおむね肯定的で反論の要なし)
C 翁論文へのA.H.メルツァー、カーネギー・メロン大教授の回答(同上)
(イ)同意できるのは次の2点。(1)日本経済は「大恐慌」に陥っていないし失業の増加、所得・物価・通貨供給量の減少も経験していない。株価・地価・住宅価格の下落は家計部門の富を劇的に減少させ、銀行貸付金の損失は米国のそれを超えているが、類似点はそれまで。(2)日本経済は「流動性のわな」に陥っていない。賃金・物価は低下、土地・住宅価格は下落、円/ドルレートは1998.6の145円から104円まで上昇している。これらは「流動性のわな」と整合的ではない。物価下落と円高は通貨への超過需要を反映しているにすぎない。
(ロ)「金融政策が緩和的で適切に運営されている」には同意できない。物価下落と円高は、円買い需用の拡大が円高をもたらし、円で測った物価水準を下落させる。日銀が通貨供給量を増加させれば(軽いインフレが起こり)、デフレが阻止され、(貯蓄でなく)支出が拡大され、住宅・地価の下落が収まってバランスシートの劣化が止まり、為替が円安となって経済活性化につながる。(翁再説、物価下落は持続的でデフレスパイラルではない。(イ)で恐慌でないと認めているのと矛盾する。)
(ハ)円安が貿易相手国に損失を与えるというのは誤解である。内外の物価水準で調整された実質為替レートを減価させるのに問題はない。方法は、緩和的な金融政策をとること、賃金・物価を下落させること。日本のデフレのコストは大きい。円安は日本と近隣諸国の繁栄の為により安価でより早い方法である。(翁再説、円高はほぼ一貫した長期傾向、それは恒常的に黒字だったことと整合する。また為替に影響するのは日米両国の金融政策で日本だけに緩和を求めるのは説得的でない。さらに日本の競争力強化が世界経済に不可欠との命題が近隣諸国に共有されているとはいえない。)
(ニ)2年ほど前、私は日銀に5つの行動をうながした。マネタリーベース拡大の為あらゆる資産を購入する、資産購入はデフレリスクある限り続けると宣言する、支出拡大を促す政策を持続すると宣言する、政府が金融期間の損失を負担する、その結果の円安を容認する、であった。その後銀行問題は改善、景気後退には終止符が打たれつつあり、日本経済はインフレなき成長へ早期に復帰するであろう。(木下説、それは金融政策が適切だったからではないのか。)
結論:国債買い入れが日銀資産への信任や安全性を揺るがすことはありえない。日銀は不安や懸念を忘れ、デフレ阻止の拡張的金融政策を推進すべきである。それが世界の為に望ましい。(翁再説、統合政府として、中央銀行と政府を一括する考え方があるが現実には日銀は独立組織で、損失を政府が埋める条項は削除された。日銀の自己資本の現状と、一見資産超過だが巨額の簿外債務が指摘されている政府のバランスシートからすると、国債買い入れには慎重にならざるを得ない。また日本はデフレスパイラル・リスク下にない。それに直面しない限り日銀がこうした緩和手段をとることはありえない。)
8 宮沢蔵相いわく――選択1999.11
クルーグマンさんとはスタンフォードで飯を食った。仮に彼のような理屈があっても、それを実際の行政や政治の上で実行しようにも方法がない。伊藤さん(隆敏副財務官)のインフレ目標も話としては面白いが、どうやるかの方法論が見つからない。私もケインズは大好きで信奉者でして、「流動性のわな」はあると思っています。ですが、そこから脱出するのにインフレ目標を掲げて貨幣数量や流通速度で達成するといっても、現実にどうやるのでしょうか。日銀がやりかけているように、カネを出そうとしても需要がないという状況、どう打開できるんでしょうか。こうやって赤字財政をやることが需要創出の方法とも思えない。貨幣が信頼を失ってインフレになり、国債の値打ちが下がっては困るし。
――逡巡なさるのは、サマーズ財務長官等の要求にしたがって量的緩和で円をジャブジャブにすると、ドル転を通じて「米国株急落時の緩衝材にされる」と思っているからか
そういうサスピションはあります。すでにジャブジャブなのに、なぜカネを供給しなければならないか。同じ疑いを持つ人がわれわれの側にもいる。グリーンスパン議長の本音は、情報技術産業による生産性向上はいいが、ネット関連株の高騰はひどいもんだ、というものです。「資産もないのにコダック並みの時価総額なんて」と繰り返したのも、蹉跌の日が来たとき「だからいったじゃないか」と言質を残したいからでしょう。かといって株価急落は困る、心が割れているんですな。
(デノミでも2千円札でも)需要がほんとに増えるなら、何でもやってみたい気持ちはある。しかし、変動制になってから、マネーはそのつどそのつどで対応するしかなくなってきた。
木下説:穏やかで妥当な発言。日銀政策と違和感なし。現状に安心していないし、諸種の提言にも目を配り、プラス・マイナスを勘案しつつ舵をとる姿勢。舵を握る自信もある。
9 調整インフレに合理性なし――小宮隆太郎、青山大学教授
朝日新聞1999.11.3
(1)円高で日銀に金融緩和要求――日銀は物価安定に責任があるが、為替は大蔵省の責任。介入政策に文句があれば大蔵省にいうべきで、日銀にいうのは筋違い。
(2)円高への対処策――円の対ドル価値は360円時代から3.4倍、この流れは誰も止められない。ただ、行きすぎはとめられる。1994から1995にドルは約10ヶ月で79円75銭まで下がった。後智恵だが100円か95円で、市場に出てくるドルを全部買うという徹底的な介入をすれば、95円を超える円高は撃退できたはずだ。
(3)市場介入の限界――ドル売りは手持ち外貨準備が限界。ドル買いはマネーサプライが増えて、インフレの恐れが出れば中止せざるを得ない。今はその心配はない。当局がもし円高が行き過ぎと判断したら、他国が協調介入しなくても、徹底的に介入すればよい。
(4)一層の金融緩和――日銀のゼロ金利政策はほぼ100点満点。それでも資金需要が出てこない。流動性のわなの状態で、マネーを増やす方法がない。日銀に事業会社から国債を買えとか株式・社債を買えとか奇抜な提案があるが、それをしても資金は日銀に戻る。
(5)国債引受け――国公債残高の対GDP比は先進国で最高水準。日銀引受を始めると日本の国債は格付けが低下し長期実質金利が上昇する。新規発行も既発債購入も市場を通すべき。日銀の独立性と市場からの警鐘が、財政規律の為に必要だ。過去の日銀の4大失敗、戦前の金解禁、国債の日銀引受け、72年から73年のインフレ、最近のバブル、いずれも日銀が政治に押され、国民は大損害をこうむった。
(6)調整インフレ――合理性があるとは思えない。人々の予想をどうやって変えるのか。インフレが始まれば目標値に安定させることは難しい。3%インフレが定着すれば金利も3%上がる。将来不安があれば長期金利はもっと上がる。インフレ政策は預貯金を持っている高齢者などから富を取り上げて、借金をしたものに恩恵を与える。公正とは思えない。貯金資産は目減り、いまでも高い貯蓄率がさらに高まるかもしれない。物価も上がる。良いことは何もない。
10 木下結言 宮沢発言で大蔵省と日銀に、政策運営上の相違がないことが明らかであるが、小宮発言は、学会主流派とも意見が一致していることを内外に明らかにした。同時に内外の異論が米国発で、円の量的緩和が、米国株式軟着陸の緩衝材ではないかとのサスピションを宮沢氏が表明しているのは興味深い。かつて宮沢構想というアジア基金構想が日本の突出を嫌う米国の反対でつぶされ、その後のアジア金融危機で、実質支援のできない米国が反対を引っ込めた経緯がある。市場未整備の円は、まだアジアにおいてすら使い勝手のよい通貨ではないが、ヨーロッパにおけるユーロをにらみつつ、米国一辺倒でない、新しい近隣諸国との関係を模索すべきであろう。日銀も大蔵省も証券も銀行も等しくバブルに絡み、それからの脱却の過程で手ひどい打撃をこうむった。日本経済は回復の曙光を見出しているにすぎず、構造改革もまだ進行中、道義的・法的責任問題はまだこれからという状態である。楽観はできない。10年という時間は長かったのか短かったのか。責任者が問題を先送りせず取り組めば、もっと早く、傷も浅く、損害も軽くすんだのではないかという意見はありうる。しかし戦後45年を支え、日本経済に未曾有の繁栄をもたらしたシステムの構造改革であった。改革の対象は単に金融部門だけでなく、関連する各部門に及んだ。政治改革は全期間に深くかかわり未だに決着を見ていない。しかもこの間、不況といっても生活水準は世界有数を堅持し、失業率も日本でこそ高水準となったが、5%を超えない状態を持ちこたえていることは、ワークシェアリングが自然になされ、社会が安定している証拠ではないか。日本論は別に論じる予定だが、日本がバブルに陥り、それが崩壊して不況となり、その不況を社会混乱を招かないで、政治・社会・経済の各面にわたる構造改革で克服するという共通認識を固めるのに、10年は必要であったと思う。現在の曙光が、昇る太陽につながってほしいものである。
終わり
11 2000.4.27追加
その後半年の間に、景気持ちなおしの動きが明確化したのを踏まえ、日銀総裁の衆議院大蔵委員会での「消費マインドがどう変わっていくか、もう少しはっきりしたところでゼロ金利政策の解除を考えたい」発言がその時期をめぐって論議を呼び、自民党筋から攻撃される事件があった。記者会見でも「解除の条件はかなり整ってきつつあるのか」との質問に「デフレ懸念の払拭が展望できるような情勢になること」という従前からの留保条件をつけながら肯定した。3月も(4月も)政策委員会では継続を決めた。たまたま米国株価のインフレ懸念による調整が世界市場に波及し、ジャーナリズムで大げさに取り上げられた時期と重なった。株価は間もなく戻したが懸念は残った。その懸念が金利問題にもつながっている。米国経済はソフトランディングできるのか、その時日本の景気は成長軌道を歩めるのか。それを説明し納得させる有力な理論がない。4.27日経経済教室に日銀のゼロ金利解除問題につき、面白い理論が提示された。以下に要約する。
12 日銀のゼロ金利政策,「徹底継続・解除,共に有効」
大阪大・斎藤誠助教授、一橋大・渡邊努助教授
A 名目金利ゼロの状況下では、現金保有のコストゼロだから、企業や家計が貨幣を金融資産や実物資産で運用するインセンティブをそいでしまう。言いかえると、貨幣が購買力として物価上昇をもたらすか、短期金融市場に滞留して物価に影響しないか、どちらになるか確定できない=「非決定性」をもたらす。物価が上がるか下がるか、どちらになるかの期待形成に気迷いが生じ、物価予想が不安定化する。強力な景気政策にもかかわらずデフレ懸念が払拭できないのは、期待に迷いがあるからである。逆にゼロ金利がデフレ懸念を許容し、名目金利からインフレ率を差し引いた実質金利の高止まり、過剰貯蓄・過少消費傾向を温存している。
B この状況で期待形成を誘導するには、日銀のリーダーシップが必要である。方法は二つある。(1)景気が回復し物価が明確に上昇に転ずるまで、ゼロ金利政策継続を宣言する、そうして物価が上がり始める前に引き締めに転じる。今の日銀政策はそれだが、政策転換のタイミングが遅過ぎる。「デフレ懸念の払拭」の中身がわからないので、気迷い状態の物価予想をプラス方向に誘導し得ていない。明確なコミットメントが必要である。それが難しいとすれば(2)物価予想の非決定性をもたらしているゼロ金利政策を早期に解除すること。市場参加者は期待形成の改定で一時混乱するが、名目金利がゼロから離れ、日銀は政策運営が通常=インフレ制御にもどり、人々の物価予想も安定する。
C 早期解除には市場混乱の副作用があるので、株式市場の安定が前提であろう。しかし早期解除は景気抑制的とは限らない。制御能力を取り戻した日銀が、期待インフレ率と短期金利をにらみつつ誘導すれば、実質金利はかえって下がる可能性がある。
D 日銀には今、物価の不安定性克服に、ゼロ金利政策のさらなる徹底か、早期解除か両極端の選択肢がある。重要なのはどちらかでなく、中央銀行が市場の期待形成に積極的に働きかける意思と能力を持つことであり、政策の成否はそこにかかっている。
評者は日銀のこの2年間の情報開示・経済実体解明に向かっての努力を評価する。日本と米国では貯蓄と消費、需給ギャップと物価変動、国債市場、資金市場、資金循環など、どう違うか、などの時事的な研究論文をインターネットで公開してきた。いまや経済問題や金融問題は複雑で理解し難いのに、日銀が政策を誤らないためには、わかっていない人たちを説得する必要がある。日銀が専門・非専門をとわず、周囲の無理解を打破するにはまだ少し時間がかかるようである。 00.4.27補筆
13 日銀ゼロ金利解除、00.8.11
日銀は遂にゼロ金利を解除した。4月以来,総裁が解除条件の成熟しつつあることを発言し、しかし4―5月は日経平均30銘柄一挙入れ替えという、以前の数値との連続性を断ちきる思わざる株価下落に見まわれた。このマイナス19%という数値下落に、米国における株価調整、それに備えて日本株を利食いする外国人の売り越しが続いた。株価は2万円台から16000円台へまさに20%前後下落した。その株価不安とその他景気指標の未成熟が,日銀のゼロ金利解除の条件である「デフレ懸念の払拭」を鮮明に主張させるのを妨げた。しかし米国景気は次第に軟着陸方向に向かい、国内景気指標も月を追って好転し、7月,日銀は解除を狙ったが「そごう倒産」で一月見送り,ようやく8月解除決定を見た。
このような日銀の姿勢が明らかになるにつれて,政府・自民党の反対が高まり、決定会合の前にはほとんど全面包囲の感を呈したのは滑稽であり遺憾であった。本稿で,日銀の姿勢を肯定していた宮沢蔵相が延期提案までさせたのは、この期に及んでも腰の定まらない氏自身の性格の弱さを天下にさらすことになった。
翌日の新聞は,毎日と朝日が日銀を明確に支持、日経が政府・産業界寄りで反対、読売と産経は旗色鮮明ならずであった。財界は経団連・日商が延期論,同友会は賛成。土日のTV番組では、政府・自民党の圧力に屈しないで、また大統領選挙に向かって現状維持を主張する米国の圧力に抗した決定をした日銀を評価する声があるいっぽう、発言者多数で細かい議論をする時間もなく、おおむね民放は賛否両論、NHKが賛成派に傾いた。政治家で賛成を明言したのは,加藤紘一と中曽根である。いずれにしても今後景気が回復軌道を歩むか否かが決定要因となる。 00.8.13
14 岩田規久男、金融政策の論点00.7.13東洋経済