米国の世界戦略―CIAと民主主義

                  2003.1.22―04.4.4 木下秀人

 米国の世界戦略の表と裏を、CIAがらみの秘密工作史、ザンビアの食糧援助、ヴェネゼラ石油利権への介入、ハイチに対する援助と介入などを略説した。

 

 ルーズベルトの死によって大統領に就任し,第二次大戦の終結に関わったトルーマンは、情報機関FBIが日本の真珠湾攻撃になす所なかった失態に憤慨し,新たに大統領直属の海外情報機関としてCIAを作ったという。予算も活動の中味も議会報告の義務はない闇の組織であった。ソビエトとの冷戦が始まっていた。元CIAに属していたが意見が合わず引退したジョゼフ・トレントが執筆した「CIA−秘められた歴史」を主体に、本人が折に触れて顔を出しながら作られたドキュメンタリー・フィルム。以下に事件を列挙する。

 A アイゼンハワー時代の1953年、イランのアングロイラニアン石油が国有化されたのに対し、英国の要請でモサデグ政権打倒のクーデターに関与し、王政復帰させのが秘密公作の始まりであった。

 B 1956年,グアテマラのアルベンス政権が農地解放で米国系のユナイテッドフルーツの農場を接収しようとしたのに対し、クーデターでこれを転覆、モサデグ政権の軍事独裁で数十万人が死に追いやられるのを容認援助した。

 軍事政権が虐殺した先住民マヤ族の生き残りの少女が、米国で養女として成人し、友人の援助によってCIAの関与を知り、父母の跡を弔う2002年米国製作のドキュメンタリー「ドミンガの旅」が1月21日BSで放映された。

 C 1960年、コンゴでソビエトの支援を受けたルムンバ政権が成立したのに対抗し、ルムンバ暗殺を指示、コンゴ動乱を巻き起こし,ルムンバはモブツ政権によって暗殺された。

 D ケネディは1961年就任時に、キューバの独裁者バチスタを追放して成立したカストロ政権の米国砂糖会社の国有化に対するピッグス湾侵攻計画を知らされた。しかし空軍の支援を断ったため事件はあっけなく失敗し、ダレスCIA長官の怨みを買う事になった。ケネディ暗殺で弟のロバートはCIAの関与を疑った。しかしジョンソンはウォーレン委員会の資料を、ケネディを憎んでいるはずのダレスに集めさせたという。

 E ジョンソンはケネディのベトナム撤退計画をくつがえし、1965年CIAの作り話であるトンキン湾事件で北爆を始め、戦争を泥沼化し軍需産業をうるおした。

 F ベトナムではフェニックス作戦と称し、残酷な暗殺計画を展開,CIAが実行した。

 G ニクソンのウオーターゲイト事件1972年という盗聴事件は、CIAが始めた疑わしい人物への盗聴作戦に関わっている。しかしヘルムズ長官は関与表明を拒否。

 H 1973年チリの民主的アジェンデ政権打倒クーデターに関与し、悪名高きピノチェト政権を支持し、その後の何千人もの市民への弾圧を見過ごした。

 I 1975年議会のチャーチ委員会でチリへのCIAの関与が暴露され、キシンジャーやヘルムズが証人喚問されたが秘密を護った。しかしコルビーは率直に答え、フォード大統領は暗殺計画への関与を禁止した。

 J カーターはCIAの暗い過去を清算すべく1977年ターナー大将を長官に任命した。

彼は秘密作戦部を崩壊させ、イランでのイスラム革命を全く予想できなかった。大使館にアラビア語を話せる人は一人もいなかった。国王の病気も知らなかった。イスラムを理解できていない点では今も変わらない。米国は国王を見捨てた。

 K カーターはソビエトのアフガン侵攻の準備は知っていたが、ブレジネフが1979年実行するとは思はなかった。驚いたときにはCIAは既に600人削減済みだった。カーターはあわててムジャヒディンへの武器供与を開始した。それが後にタリバンとなった。

 L カーター政権末期にイラン大使館人質事件が発生した。丁度レーガンとの選挙戦の最中で、共和党はそれを利用し、約束されていた解放をレーガン政権成立後に延ばし、ケーシーを長官に任命した。ケーシーは人員を元に戻し、ニカラグアなど中南米で活発な秘密工作を開始し、たちまちイランに武器を不正売却しその金をコントラに渡すイランコントラ事件が発生した。

 M ケーシーはアフガニスタンのムジャヒディンに、スティンガーミサイルなどの高度精密兵器を供給しソビエトを撤退させたが、そのミサイルが今イラクで米軍ヘリコプターに襲いかかっている。

 N レーガンもCIAも、アフガン戦争がソビエト崩壊に至るなどとは予測できなかった。ソビエトのKGBですらそれは予測できなかった。冷戦が終わりベルリンの壁が崩れるなどとは誰も予想できなかった。

 O 冷戦の崩壊はCIAの存在意義を失はせたかに見えた。しかしテロという別な敵がいた。CIAはフセインの部隊がクエート国境に集結している情報を得ていたが,それが侵攻であるという分析はできなかった。イスラムとフセインについての認識がなかった。

 P クリントンはCIAの情報活動についての認識がなかった。自分が任命した長官なのに会って報告を聞こうとしなかった。CIAの士気は衰えた。

 Q 1993年世界貿易センターの地下駐車場が爆破された。テロのハッキリした兆候だったがFBIにはアラビア語のわかる者は殆どいなかった。FBIの失敗だった。

 R 1994年CIAの対ソビエト諜報部員がFBIの調査で二重スパイとわかり、協力しなければならないFBIとCIAの関係は決定的に悪化した。 

 S この頃ビン・ラーディンは、アラビア政府から資金を得てテロ活動をしていたが,クリントンはそれを知りながら,アラビア政府・石油資本に政治資金を得ているのでどうしようもなかった。1998年タンザニアとケニヤの米国大使館が爆破され、2000年駆逐艦が自爆テロにあったが、CIAは全く予知できなかった。

 クリントンは、スーダン政府からビン・ラーディンなどのテロリストを引き渡すといわれたが,処罰する法がないといって、アフガンへの国外追放=逃亡を容認した。

 T 2001年大統領に就任したブッシュは、本人も父親も所有する石油企業を通じて、アラビアと石油に深く利害関係があり、ビン・ラーディンの一族とも関係があった。テロの情報はCIAにもFBIにも寄せられたが、二つの組織は情報を共有せず協力せず,政治家も無関心で20019月同時多発テロが発生、10月米英軍はアフガニスタンのタリバン基地空爆を開始,11月カブール陥落。しかしビン・ラーディンは捕捉できず、アルカイダは生き残った。

 ブッシュは情報機関の人員を増加し、新たに本土安全保証省を設立した。 

 U 2003年ブッシュは、イラク・イラン・北朝鮮を「ならず者国家」と名指し、先制攻撃権を主張、「自衛権を超える軍事力の行使」にたいするアナン国連事務総長の非難にもかかわらず、320日単独で攻撃開始、4月バグダッド陥落、12月フセイン拘束。

 

 以上のうち、ほぼTまでが「CIA‐秘められた真実」の要約である。

 米国は真珠湾の失敗でCIAを作ったが、冷戦下で生まれたCIAも治安対策のFBIも結局同時多発テロを防止できなかった。しかも先制攻撃の大義名分であったはずの大量破壊兵器は発見できず、米軍へのテロはやまない。 困ったブッシュは圧政に苦しむイラクに民主主義を定着させることを大義名分に持ち出した。しかしその民主主義を、足下の中南米で踏みにじって来たのが米国なのであった。その最近の実例が、ベネゼラにおけるウゴ・チャべス政権打倒クーデター介入失敗事件である。その経過。

 V 1998年、ベネゼラ大統領に反政府活動で投獄経験あるウゴ・チャべス氏が、民衆の味方・希望の星として就任した。ベネゼラは有数の石油産出国で豊かなはず、所が石油の富は一部の人が独占し国民に廻らない。そこで公平な富の分配を約束して登場した。チャべスは新しい憲法を制定し、国営TVに毎週出演して国民の権利を説き、改革への国民の参加を訴え、軍隊の支持も獲得した。しかし民間放送は反大統領派の手にあって,チャべスはカストロだと批判した。裕福な人々は既得権の喪失を恐れた。米国はベネゼラの石油を必要としていた。

 20022月、国民の支持を固めたチャべスは、国営石油公社の私物化人事に介入し、経営者連盟カルモナと労働者連盟オルテガを中心とする勢力と争いになった。彼らは軍の幹部を巻込み、ブッシュ政権と通じていて、CIA長官が懸念を表明した。

 411日、カルモナは反政府派の国民にデモを呼びかけた。彼らは軍の幹部を巻込んで支持派が集まっている官邸にデモを誘導し、支持派と反政府派のデモ合戦となった。その時デモ隊に向かって発砲があり死者が出た。これは反政府派の支持派兆発の意図的な発砲だったが、反政府派はチャべスの責任とする映像を放送し、支持派は国営放送で反論,しかしそれもできなくなる。

 軍の幹部が官邸に入ってチャべスに辞任を強要するがチャべスは拒否、官邸を爆破するとの期限寸前に脱出。反政府派は官邸を占拠し、カルモナは暫定政府成立を宣言、大統領に就任、閣僚を指名し、勝利宣言を放送。民衆は納得せず軍はデモ弾圧を始める。米国フライシャー報道官は「混乱の責任はチャべスにあり」と声明。

 TVを奪われたチャべス派は、ケーブルテレビで真実の映像を放送。民衆がチャべス支持で立ちあがり、413日、支持派のデモ隊が官邸包囲、官邸警護隊が支持派に廻って突入、反カルモナと将軍達はは脱出して米国へ逃亡。翌14日チャべスが戻ってクーデターは失敗に終わる。パウエル国務長官「米国は民主的な社会を支持する。チャべスとは今後も意見の相違があるだろう」と関与を否定。

 イラク侵攻は石油ではない民主主義のためだと強弁されているが、その足下で、民主的に選出され、民衆のために働き、民衆の支持を得ている政府を、一部資本家の利益の為に転覆しようとし、民衆の蜂起で失敗したのがこの事件であった。米国の関与は疑うべくもない。

 この話、アルカイダのテロで隠れてしまって新聞でもTVでも報道されなかった気がするがどうだろう。ドキュメンタリーを作ったのがアイルランドというのも面白いし、それが国際的評価を得て、NHKが放映したのも昔だったら考えられない。日本の民主主義も小泉政権となって派閥支配を破り、政治資金収集システムを破壊したが、アメリカ大陸でも民主主義が「米国現政権の意に反して」定着しつつある。ついでに付け加えれば、ブラジルにもアルゼンチンにも昨年民主政権が誕生し、政情安定でブラジルでは歴代政権が手をつけられなかった年金・税制改革に道筋をつけ、金融市場に評価されている(1.12日経)。そして両国ともに、米国の入国者指紋採取などで米国との間がギクシャクしいるらしい。米国の共和党政権は、これら米国資本優勢の国の民主化を容認できるであろうか。

以上

4.2.       13追加

 「ザンビア食糧援助の内側―アメリカの飢餓ビジネス戦略」

 03ドミナント7、フランス製作のドキュメンタリーが,212日BSで放映された。

@食糧援助が米国の余剰農産物の市場として利用されている。

A見返りにIMFと世界銀行は市場自由化を要求し,政府の統制を拒否したので、農民は価格低下によって窮乏、政府は財政破綻に追いこまれた。

BEUは96年以後、現物支給でなく金銭援助に切り替え、穀物は現地調達としている。

C02年ザンビア大統領は、穀物=とうもろこしが遺伝子組替えであることを理由に受取を拒否した。 

D米国農産物は世界食糧計画WFPの80%を占め、ルイジアナのレイクチャールズ港を含め,全米100萬人がこの仕事で食っており、NGOのロビー活動も盛んである。

 

米国の身勝手な自由主義・民主主義の押し付けの食糧援助版である。

 

4.3.       21追加

 べネゼラのその後

 昨夜NHKのBSプライムタイムは、ベネゼラのその後をNHKの取材で放映した。 

@       反政府派が国営石油公社のゼネストを強行したのに対し、チャべスは参加者の首切りで対応した。裕福な生活を享受していた参加者はたちまち生活困難になった。

A       チャべスは、国民の80%を占める貧困層の生活改善に予算をつぎ込み,電気や水道が敷設され教育も就職も改善されたので、この層のチャべス支持は強い。

B       反政府派は、憲法が規定するリコール署名による大統領解任を企て、昨年12月実施した。有権者の20%に達すればリコールが成立する。集められた署名は正・不正審査に手間取り、結果発表の1月15日が遅れ、3月25日に延期となっているが,両派の対立からは既に死者も発生している。

C       米国のライス大統領補佐官は、チャべスは批判を受け入れるべしと、あからさまにチャべスの施政を批判し、反政府への支持を明確にした。

 

 なお、39日のニューヨークタイムズによると、@チャべス批判派は、貧困層以外の既成政党・ビジネスエリート・労働組合・ニューメディアの大部分である。A米国政府は反政府派に加担してしまっているが、カーター元大統領の選挙モニタリンググループが両派の説得に当たっているらしい。ニューヨークタイムズの筆法は、かなり政府寄りで生ぬるいが、米国の中南米に対する偏った見方からすると、まだ良い方というべきかもしれない。

                          

4.4.       4追加

 ハイチ―アリスティッド大統領の場合

 ハイチの政変については、日本でも少し報道されたが、2月19日ニューヨークタイムズがクリントンとブッシュ並びに議会のこの国への対応の問題点を論じた。さらに昨夜NHKが「ハイチ―ストリートチルドレンの10年」という自主ドキュメンタリーを放映して、実体が少し分った。

 

@       ハイチはカリブ海の島国で、フランス領であったが、200年前に黒人奴隷が立ちあがって独立国となった。人口700万人、さとうきび生産に特化した経済だったので、食糧自給はできない。べネゼラのような石油資源はない。国の資産の50%は1%の富裕層が所有している。失業率は70%。NHKの描いたストリートチルドレンは、劣悪な環境下でも生きている限り良くなることを信じて感動的である。

A       10年前、内戦状態になったのをクリントンが介入し治安部隊を投入し、キリスト教の聖職者であり民衆の支持するアリスティッド氏が大統領になった。ブッシュ政権は前政権のしていた援助を打ち切り、ここでも反政府派に加担した。10年経ったが住民の3分の2が年間所得1万円以下という最貧国から脱出できなかった。

B       アリスティッド氏は、財政負担削減のため軍隊を解体したが、警察を5千人に留めたので、もと軍人達が富裕層の反政府運動に加担するのを抑えられず、民衆支持の大統領派との軋轢が暴動となり、3月1日大統領は中央アフリカに亡命と伝えられたが、その後本人が辞職していない説もあり、まだ混乱は収まっていない。

C       200年前独立の時,フランスは3兆円の反対給付を飲ませ、ハイチ政府は今までに2兆円を支払ったという。アリスティッド氏は、フランスに対しその2兆円に奴隷制の賠償金を加味した金額の返還を要求したそうであるが、フランスは、せいぜい米国と共に経済援助をするに止まっており、政情不安を理由にそれも停止中らしい。

 

 要するに、フランスがこの要求に応えてしまうと、西欧植民国家はすべて何等かの支払責任を免れない。中東・アフリカ・中南米・アジア,世界中に支払義務が生じるであろう。さしあたり治安部隊出動と経済援助でお茶を濁すしかなかろう。しかし問題はまたしても「民主主義」である。クリントンは現地で高らかに民主主義を演説したが、またしても反政府派を支援したブッシュ政権は、果たしてどう収拾するであろうか。

                                  おわり