2001年の経済予測 

                          2001.1.7 木下秀人

「失われた十年」などという表現はさすがに陳腐になったが、経済論壇の混乱は収まっていない。ここに私見を記して異議申立てをしておく。

(1)失われた十年というのはあまりにも短期的見方,日本経済が誤ったのはニクソンショックによる金融システムの大変化を認識できず,金融市場自由化を遅らせてしまったこと。当時MOFの外国通と称せられる人のとった対策の是非は別としても、外国為替銀行に天下ったご本人が,クリントンの強引な為替介入に対し、MOFがうまくやってくれることを幻想していた話は,MOF責任者の知識水準を示していて悲しい。ついでに言うと,橋本政権の増税が折角上向きかけた芽をつぶしたという説は誤り。金融改革を先延ばしした咎めが金融システムの破れにつながり、アジア金融危機・ロシア金融崩壊によって、加速されたからである。

(2)消費の伸びが足りないという説は誤り。日本の家庭には既にものが山のように詰まっている。米国のような消費意欲はない。日本は所得格差を戦後一貫縮小してきた国,低所得層といえども生活水準は高い。所得は増えないといえども物価下落で安く良いものが買えて満足している。これ以上何に金を使えというのか。ごみばかり出しても仕様がない。そういう時代は終わったのではないか。当局者は言えなかろうが米国とは違う点に留意。

(3)デフレ懸念でゼロ金利政策がとられ,昨年やっとゼロ金利だけは解除になったがなお日銀への批判が絶えない。批判者は現状をデフレと見ているからより一層の金融緩和を主張し、インフレ・ターゲティングなどを持ち出す。しかし今はデフレではない。ましてスパイラル的物価下落などはどこにも見当たらない。消費が伸びない理由は述べた。生活水準の高い日本は,現状を緩やかに延長すれば十分である。

(4)失業率は遂に5%に達しなかった。あれだけリストラが叫ばれ,人員整理の必要が忠告されたにもかかわらず、日本にはそれを一方的に一部の労働者に押し付けることを抑止する社会システムが厳然と存在した。その結果リストラが遅れる事はあったが,社会的混乱は避けられた。このリストラ抑制が不必要な企業の退場を促す決断をも抑制してしまったマイナス面が、金融システム再生を遅らせている側面もある。この問題は日本文化・日本的経営システムの本質に関わり,別途論ずる必要がある。

(5)米国ではS&lの整理にからんで,3781億ドル=40兆円に及ぶ公的資金が使われ、3700人が懲役に処せられたという。日本の公的資金は,悪名高い公共投資を除けばまだ10兆円程度、刑事被告人にいたっては数えるほどに少ない。日本は法曹人口が少ないので刑事訴追がゆるすぎるのか、それとも米国は訴訟社会で経営者のモラルも低いのか。これも当局者はいい難い事である。

(6)金融機関・MOF・政権党の間に癒着があり、金融機関には融資関係・持ち合い関係・系列関係など複雑なつながりがある。MOFには予算配分と天下り関係あり,政権党には公共工事配分と政治献金関係がある。それぞれが既得権擁護につながり、それぞれを堕落させ改革を遅らせた。青木昌彦教授の指摘するように,社会システムには相互補完関係があるので、それだけ単独で議論するわけには行かない難しさがある。一体どこから手をつけたら良いのか。いまや司法も会計システムも労働市場も改革の対象となってしまった。しかし55年体制といわれる日本の開発システムが高度成長をもたらし、70年代にそれが行き詰まったといわれ、米国でニクソンショックが起き,日本に輸出規制や自由化要求がなされたとき、それを本質的に理解し政治の場に取り上げ改革しようとする人が居なかったことは驚くべき事である。例えばドラッカーは当時きちんと予言していた。日本人の知的水準を嘆かざるを得ない。                  2001.1.7

(7)米国FRBは、年が明けてから矢継ぎ早に金利引下げをして、景気後退の下ささえを行った。それでも5.25%という公定歩合と,財政黒字で減税が可能な米国。日本はすでに公共事業で金は使いきり過大な借金の返済がのしかかり、銀行はまだ不良債権を精算できず貸し出しにおいてリスクを取れない。企業が直接資金調達できる証券市場は永年にわたる大衆投資家無視で、大衆資金はリスク資金に向かわず株価は危機的水準に低迷、資本調達市場としては機能不全の状態である。にもかかわらず日銀に対する金融緩和要求は衰えず、2月,さすがの日銀も期末に向かっての安全ネットを強化した。政府債を買い上げても有効な公共事業はなく、銀行はリスクを恐れて貸し出しには慎重、余裕資金は短期で回すばかり、優良企業は借金返済でも投資でもできるが、銀行との間でまだ不良資産整理のついていない企業が残っている。その整理が先延ばしされてきた事が,いまだに構造改革がいわれねばならぬ原因なのである。政府は,ドイツが成功した証券優遇税制で株式市場を活性化させる道は断念してしまった。いま日銀が金融緩和しても、資金が必要な人に届いて有効活用されるシステムが機能していない事が認識できない専門家とは何者であろうか。こんな基本的な問題意識がこの期においても混乱しているのは遺憾である。

                       2001.2.14

(8)3月19日,日銀は物価下落が止まるまでという条件をつけて、資金供給を増やし実質ゼロ金利まで持っていく事を決定した。デフレ阻止・不良債権問題解決など構造改革支援のためである。翌20日米国FRBは、今年になって3回目の利下げ0.5%を行ったが,株式市場は小幅に過ぎると不満で下落した。東京市場の株価は,昨年8月=17181円以来下がりつづけ、3月13日=11819円となって期末銀行決算に大きな問題となっていた。原因は政治の機能不全と銀行の不決断であったが、日銀は期末決算に向かって再び資金大量供給を余儀なくされた。お彼岸休みを置いて21日、米国株の暴落を尻目に913円高となったのはめでたい。他方米国は、ハイテクバブルの崩壊が実体経済にも表面化し、株価が急速に下がりだした。8月28日ダウ=11252、ナスダック=4070であったが、3月16日ダウ=9823,ナスダック=1890まで下げ、19日は催促相場で上げたが、20日は引き下げ幅少ないと失望売りでダウ=マイナス238、ナスダック=マイナス93となった。一部にはグリーンスパン神話の崩壊、軟着陸懸念さえささやかれるに至っている。

(9)森首相は不評判で既に交替が決り、しかし後任が決らないまま急遽ブッシュ大統領との会談に臨んだが、不良資産処理・構造改革を説教されるに終わった。日銀は以前の「デフレ懸念だ払拭されるまで」というゼロ金利解除条件を、今度は「物価下落がゼロになるまで」と数値化したが、量的緩和であってゼロ金利を謳ったわけではない。日経新聞に載った経済学者の論説を見ると、岩田規久男・深尾光洋氏の議論は、デフレの弊害・緩やかなインフレの必要性を説いて金融の量的緩和を説くばかりで,増やした金がいかなる経路で消費に設備投資に流れるかには口を閉ざし、「既にジャブジャブ金はあふれている。それが実体経済に流れないのは不良債権問題が片付いていないからだ。問題は金融ではなく政策ではないか。これ以上金を増やすと制御しがたいインフレになる恐れがある」という日銀が懸念する問題に答えていない。唯一斎藤誠氏の、「量的緩和・ゼロ金利は銀行の資金繰りには効くが、物価にはマイナス効果しかない。物価に働きかけるにはデフレ期待を叩き潰すための政府と日銀との政策協調が必要であり,政府は日銀の物価目標にあわせて財政規律堅持を公約しあらゆる面で構造改革の道筋を明確に宣言すべきである」との説が光るのみであった。さすがにここまで来ると、日銀も腹をくくって不良資産処理・構造改革の必要を説き,それに異論もない。とかく日銀批判が過ぎて政府よりであった日経新聞すら、これで日銀は打てる手は打ち尽くした事を認めた。日経こそ構造改革の遅れをつき、政府に鞭をいれなければならない経済情勢・政策の専門家であるはずであった。小生は,金融論専門学者の水準の低さと、日経新聞の怠慢と・無智・不勉強を悲しむ。                  2001.3.21      

(10) 日銀が新緩和策に踏み切った319日までの日米の株価と金利と経済情勢の動きを細述する余裕はないが、内閣府政策統括官で景気判断・政策分析担当の岡本直樹氏が、ディスカッション・ペーパーとして公開した「デフレに直面するわが国経済――デフレの定義の再整理を含めて――」という論考は面白かった。今までデフレを「デフレ+景気低迷」としてきたが、それだと国際的定義と整合性がないので「景気低迷」を除き、「物価の持続的下落」のみとする。とにかく日本の今回のデフレは今までどこにもない特異なものである。従ってその対策の議論も十分尽くされていないが、とりあえず「金融の量的緩和+インフレ・ターゲティング」で様子を見るしかない、といってクルーグマン説に全面降伏の態である。終わりにとってつけたように、構造改革の必要性を訴えているが、それこそ日銀が言葉に出しこそしなかったが、この10年待ち続けて来たのに、政府も金融機関も先延ばしして来たテーマではないか。その点についての反省の言葉が一切見られないのが遺憾である。既に閣僚を辞任した堺屋氏に至っては、こうなるといったではないかと日銀批判に終始し、その間何もしなかった結果こうなってしまったことについての反省がない。知的怠慢といわざるを得ない。           2001.4.9