野田又夫氏の「日本思想史」       

                    2003.7.23    木下秀人

野田又夫氏の「哲学の三つの伝統」という書物に、「日本思想史の一般的特徴」という1963年にスタンフォードで行った講演が載っている。短いものだが「三つの伝統」を踏まえ、面白いので要約する。

 

1 日本はインド思想と中国思想をほぼ同時に受け取った

日本の国民的統一は7世紀と推定されるが、ヨーロッパではカール大帝が神聖ローマ帝国を裁てたのが800年。しかし前6世紀に現れた世界思想の三つのグループは、それぞれの自足的かつ多様な発展において既に「神話から哲学へ」の移行を済ませていた。

ヨーロッパがギリシャ哲学を継承したように、アジア諸国は中国とインドの影響を受けたが,中国に隣接する朝鮮と日本は、中国を通じてのみインド思想特に仏教を受け取った。

しかも別々でなく同時に受け取った。

 

2 神話と歴史の癒着=新旧思想の共存

わが国が隋・唐の時代に受け入れた中国思想は、正統派の儒教・道教さらにインド思想である仏教をも含んでいた。政府はそれによって組織され、運用基準も定められ、聖徳太子の17条の憲法はその例である。仏教によって大仏が鋳造され国分寺が建立されて、国家の安全と平和が祈願された。

わが国の神話や伝説は、外国の影響を受けたこの時期に,天皇とその臣下が神々の後裔であるという観念を中心として,一つにまとめあげられた。政治的意図をふくむことは明らかだったが、人民はそれを真として容易に受け入れた。それは神話と歴史との自ずからなる癒着であった。われわれは神話を捨てて哲学を取ったのではなく、新たな哲学的観念によって新しい神話を作り上げた。

われわれは新しい思想を受け入れながら,古いものを捨てず持ちつづけた。合理的思想を取りながら非合理な感情を保存した。論理的整合性の追及は、われわれのやり方ではなかった。この態度傾向は今日も続いている。

 

3 鎖国による外来思想の消化=感情的洗練と実際的単純化と仏教思想の成熟

わが国は二回鎖国をした。平安の遣唐使廃止から鎌倉に至る時代と,徳川時代である。

第一の鎖国時代にわれわれは漢字を単純化して仮名を作り、源氏物語が生まれ、仏教思想は日本的な色合い(ゆるい戒律)を持った幾つかの宗派に成熟した。法然と親鸞の「われ等の救いは行いではなく信仰によって与えられる」という説は,ヨーロッパのルターの説に比せられる。

野田氏は言及していないが、神道も中国思想や仏教思想を排除することなく受け入れて同化・習合した。

4 国内の動乱とヨーロッパとの接触

動乱における封建君主,例えば信長は、全く非宗教的人物でルネサンス・イタリアにおける僭主たちに似ていた。来航したポルトガル人は鉄砲をもたらし,戦争のやり方に影響を与えた。カトリック神父達は、一時は僧侶と論を交え信者を増やしたがやがて弾圧された。島原の乱の1637年は,デカルトの方法序説の生まれた年であった。ヨーロッパで科学的宇宙論と技術が形をとり始めたころ,われわれは鎖国をした。

 

5 徳川鎖国時代=儒学の消化と商人

徳川政権は武家政権だったが、米本位制による経済体制だったため、新田開発などの米の生産性増加による米価下落によって苦しめられた。しかし経済力を蓄えた町人がヨーロッパにおけるような市民階級として政治的実権を握ることはなかった。刀狩によって軍事力を独占する武士階級の儒教思想による支配と、ヨーロッパにおける階級による搾取と傭兵による軍事力の差であろうか。

正統思想は13世紀南宋に生まれた朱子学であったが、それが伊藤仁斎・荻生徂徠による儒学古典の新たな文献学的吟味によって批判された。ルネサンスの人文学者がギリシャ・ローマの古典に対するようなやり方で,二人はスコラ的体系を斥け、古典を新たな態度で読もうとした。この儒学の発展は日本の古文献研究=国学にも影響した。

幕末,西周は朱子学から徂徠学に転じヨーロッパの科学と哲学に向かい、オランダに学んで明治啓蒙思想の一方の旗頭となった。

 

6 近代思想の受け入れ

開国と明治維新によって、十八世紀啓蒙思想と実証主義が西周と福澤諭吉によって導入された。しかし明治半ばに国家主義思想が力を得て、教育は教育勅語による儒教思想に枠をはめられ、神話と癒着した暦史観が復活し、天皇崇拝が強制されるようになった。

ヨーロッパの哲学が輸入され、大学で講義されたが、また西田幾多郎のように、東洋思想とりわけ禅仏教の思想をヨーロッパの論理によって解明する作業も進められた。鈴木大拙による仏教思想のヨーロッパへの紹介には、日本仏教の思想も含まれていた。

近代の科学的世界像は普遍的なものであって、あらゆる文化圏を通じて真理である。しかし科学は、われわれの存在の必要な条件だけを示すに過ぎない。それと両立し得る様々な生の理想がありうる。われわれは様々な生き方の比較検討に,辛抱強く時間をかけなければならない。

アーノルド・トインビー氏がかつて訪日の折,東洋の諸宗教・諸思想相互間に実現されている寛容の徳を大いに褒めた。お世辞の気味もあるが、われわれの哲学的思考に課せられた重大な要求と受け取りたいと野田氏はいう。         おわり