クルーグマンの小泉政権論、01.4.25NYタイムズ

                   2001.4.26   木下秀人

日本経済の現状をデフレと規定し、デフレからの脱却には大胆な金融緩和と、それによる緩やかなインフレーションと円安によるしかないと主張しつづけ、ついに政府もデフレ傾向を認め、日銀も大胆ではないが金融緩和に踏み切って、クルーグマンの主張は経済の現実によっても政策の方向によっても裏付けられている感がある。そのクルーグマンがNYタイムズに小泉政権発足に際し寄稿した。おりから若手経済官僚小林慶一郎・加藤創太氏が「日本経済の罠」01.3日本経済新聞社によって、日本経済にからむ政策論の問題点を整理した。なかにクルーグマン説も載っている。論点を要約する。

 

クルーグマンのNYタイムズ論文

1 小泉路線は大恐慌時のルーズベルトでなく、むしろメロン財務長官によるフーバー路線である。メロンは、労働・株式・農民・不動産の流動化によってシステムの腐った部分が除かれればやがて価格が回復し経済活動が正常化すると期待した。しかし彼は、需要と供給を取り違えていた。

2 生産が定常状態にあるとき、資金は高利率を求めて移動する。日本の郵貯システムがペイオフ逃れの資金を集め、非効率の公共投資に向かったように、業績不振会社の負債整理先送りは誰も必要としない商品生産に資金を釘付けしている。生産が生産力に支配されているとすれば小泉の郵貯民営化、銀行不良再建処理は正しい。

3 しかしその前提は誤っている。日本を蝕んでいるのは慢性の需要不振である。供給力に対して購買力がついて行っていない。その状態での生産効率向上は災厄をもたらすのみ。財政赤字圧縮、非効率企業退場は格好いいが、余裕資金はタンスや銀行に滞留するだけだ。多くの学者は、それが次の需要拡大のために必要というが、デフレ下で消費拡大があるだろうか。銀行には金がじゃぶじゃぶ、しかし借り手がいない。不良再建の整理を強制してもそれは変わらない。

4 日本が財政赤字・銀行不良債権を放置できないのは正しい。しかし小泉政策はデフレを招くのみだ。

5 ディレンマの解決法は、日銀の大胆な金融緩和とそれによるマイルドなインフレと円安の容認しかない。しかし日銀はなお構造改革と不良債権整理を前提と主張し、米財務省も急激な円安は容認しない。

メロンの失敗は学ばれる事なく繰り返されるのであろうか。

 

木下説 クルーグマン説は、日本にも支持者が多い。しかし(1)インフレは金利を上げ、政府の国債利払い負担を重くし、銀行が大量に保有する国債価格を暴落させるという問題指摘がある。(2)そもそも日本の物価低下は、病的なデフレではなく、アジア諸国との水準是正にからむ健全な平準化ではないか。(3)構造改革という市場整備なしで新市場のニーズに合った新しい需要喚起ができるのかについても疑問がある。(4)日本は大恐慌当時の米国と異なり、生活水準は高く、失業率は低い、しかも政府こそ負債を負っているが国債は十分国民の金融資産でまかなっている豊な黒字国である。クルーグマンの大胆かつ理論的な問題提起には敬意を表するが、真に日本の実情を踏まえているか疑問である。

 

小林・加藤「日本経済の罠」

クルーグマン説を以上のように論評した後で「日本経済の罠」を読んだ。率直にかつ大胆にこの10年の経済運営にからむ当局者の問題意識、その理論的問題点などを記述してあって面白く読んだ。

1 バブル発生と崩壊の要因として金融政策を挙げ、崩壊の主因として90年の金融引締め=日銀責任論をいう人が多いがこれは間違い。91年以降のマネーサプライ低迷は、金融システムに内在する構造問題が信用収縮を引き起こした結果であって、日銀によるベースマネーの供給不足が原因ではない。(木下説 いまだに金はジャブジャブあるのに肝腎なところに流れていっていないのはまさに信用収縮の結果に他ならない。)

2 バブル発生と崩壊によって土地・株式の価格が暴落し、企業・家計のバランスシートの悪化、その反面である銀行の貸出債権の不良資産化が進んだ。

3 当局はこの事態に、ケインズ政策=公共投資による需要刺激政策で対処した。本来ケインズ政策は短期・対象療法としての需要回復策であったが、長く続けられて政府負債はもうこれ以上増やせない段階まで来てしまった。

4 この間、規制緩和・リストラによる供給サイド改革の必要も叫ばれたが、需給ギャップ解消なのか供給改革なのか、政策の論点は定まらなかった。

5 金融機関の不良債権問題は、実態が明らかにされないままに推移し、政策当局におけるそれと経済低迷との関連の認識も不十分であった。その結果96年の住専処理は政治問題となって難航し、その後の問題処理を送らせる結果となった。

6 住専処理が終わり、つかの間の景気回復が見られたとき、橋本内閣は財政再建問題に取り組んで財政引締めを行った。しかし97年、アジア金融危機が起こり、財政基盤の弱い大手金融機関が相次いで倒産した。金融機関の再生が最大の政治課題となり98年そのスキームがやっとできあがった。

7 この間、財政による景気下支えは継続したが、公的負債が積み上がるばかりで、98年秋には国債の格付け引き下げ事件が起きた。財政による需要喚起は既に限界となった。

8 そこで企業のリストラによる競争力強化が政策として登場し、小渕首相時代リストラ支援の産業再生法が制定された。しかし需要縮小をもたらすリストラと需要拡大との関連は説明されないままに、財政支出は引き下げられないままに推移している。

9 そもそもケインズ政策は短期・応急処置としての需要喚起であり、経済を持続的に回復させる力を内包しているわけではない。回復は自然治癒力に委ねるのみ。中長期的経済課題に対する処方箋は別に考えなければならない。

10 ここでクルーグマン説が登場する。(1)ケインズ政策が対象療法でなく有効であるためには総需要曲線が逆S字型である必要があるが、そんな事はあり得ない。日本経済は財政拡大では救えない。(この命題は正しい)(2)日本経済はデフレスパイラル=流動性の罠に陥って、実質金利がゼロでも「均衡実質金利」がマイナスとなっているから財政政策では需給ギャップが縮小できない。(3)均衡実質金利がマイナスになっている理由は、日本経済が長期的に縮小していく趨勢だからである。(4)この状態で需給ギャップを縮小するにはインフレ率を上げるしかない。

11 クルーグマン説批判

(1)インフレとそれに伴う実質金利低下で需給ギャップを埋めたとしても、縮小均衡に過ぎない。それでよいのか。(2)縮小でなく拡大成長させれば需給ギャップは解消させられるのではないか。縮小の原因除去こそ政策課題であり、それなら危険なインフレ政策にこだわる必要はない。

12 経済縮小=不況継続の原因はバランスシートにおいて資産価格下落による傷が埋められていないからである。金融機関ではそれが貸ししぶりの原因となり、その他企業ではそれが利益率低下の原因であって、不良資産処理・構造改革によるその是正こそ日本経済再生のための前提であり、小泉首相がいうように構造改革が景気回復の前提である。クルーグマンの説はその前提=「日本経済は長期縮小均衡にある」において既に間違っている。

 

小林・加藤説はなおも続くが、クルーグマンとの関連は以上でおわり。「日本経済は長期縮小均衡にあり」という説には興味があるが、インフレ目標説に対するわが疑問と実務家の説がほとんど同じことを確認できた。            以上