2006年の初めに              

2005,12.31  木下秀人

1 小泉改革について

昨年は、小泉改革の成否が問われる年だったが、大方のマスコミ・政治家の思惑に反して、郵政法案参議院否決−衆議院解散―総選挙―小泉自民党の圧勝。それは小泉という未曾有の政治的人格が、旧来の自民党勢力を完膚なきまで打破するという歴史的結果をもたらした。猪瀬氏の道路公団不正摘発に発する政治改革の波は、ついに行き着くところまで達した。猪瀬改革路線で走り出した小泉氏を支持する文章をこのホームページに載せた小生にはまことに愉快な年となった。

自民党は結党60年で、田中角栄氏に始まる公共予算=利権ばらまきの集金=集票システム(小泉氏は田中派支配といった)が叩きのめされた。昭和30年、左右社会党の合同は、保守に危機感を持たせ保守合同=自民党の成立を誘発した。しかし社会党は、成立した「55年体制」の下で自民党国会対策委員会の密室政治に取り込まれて、妥協を重ねるしかなかった。

自民党一党支配の日本は、時に社会主義国よりも社会主義的といわれるが、それは社会党の存在の賜物であった。政権を時に脅かすことがあった社会党は、いまや殆ど消滅してしまった。永年、革新に票を投じてきた小生には感慨があるが、自民党内に改革者が現れたことを喜ぶ。林知己夫氏は、日本人には2大政党は向かないと説いたが、民主党が政権亡者となり戦前のような政治の腐敗をもたらさないことを祈念する。

2 日本の軍国主義と明治維新

維新前後の史書を読むと、テロと謀略の横行に驚く。孝明天皇毒殺説すらある。徳川幕府に人がいなかったというけれど、政権側として薩長ほど露骨なことができなくて敗れた説に加担したくなる。そして明治維新の成功は、朝鮮・中国・トルコなどに革新の火を点じる契機となったが、その後の日本は欧米に学んだ帝国主義で、近隣諸国のみならず欧米にまで戦を仕掛け、自国他国の人命を殺傷し財産を失わせた。

鎌倉時代の源氏・北条政権以来、世界歴史上珍しい軍事政権が続いた日本は、武士が治者であり、明治維新も下級武士の不満分子によって成し遂げられた。従って成立した新政権の支配者はなり上がった下級武士たちで、日清・日露戦争の勝利は、旧武士の指導の賜物であると同時に、まさにそれゆえに議会政治における、文民による軍隊の制御という旧憲法下でありえた筈の変革は、昭和敗戦までなしえなかった。

明治維新の秘密=「テロと謀略による成功」は、「勝てば官軍」という言葉どおり、「下克上」の手本となった。そして上級者に抑えられなかった下級軍人の策動は、外、大陸に戦火を拡大し、内、国内ではテロ・クーデターの源となり、無条件降伏による陸海軍の解体まで止まらなかった。

儒教国家であった中国や朝鮮は、科挙に合格した文民が統治する社会体制で、武官は文官の下に置かれて振るわず、あるいは高官の私兵であって、軍国日本の常備国民軍に蹂躙されるばかりであった。ナショナリズムの点火も遅かった。

中韓両国の小泉靖国参拝への執拗な嫌悪感の表明は、戦後日本の「平和国家」への転換をまだ信じられないことと、両国の若いナショナリズムに起因する。鎌倉以来連綿と続いた日本の軍人支配体制が、敗戦からたちまちの高度成長と、無反省無神経な要人発言と重ねられ、たった60年で変わったとは信じられないのだろう。 

3 景気回復と家計の失った利子所得

バブル期に企業と銀行に蓄積された不良債権は、担保する株式と土地の価格下落が止まらない以上、倒産か合併か公的資金導入かで処理されねばならなかった。

政府の税金投入による公共投資が景気回復に役立たず、財政赤字を増やすばかりだったことは既に明らかになった。

日銀と政府のゼロ金利解除をめぐる論争は未だにあとをひいているが、日銀が政府の干渉から独立しえたのはまさにバブル崩壊期であり、それ以前の政府大蔵省による日銀への過度の介入がバブルの一因であって、金利は日銀の専権事項と割り切っていた佐藤首相は賢明な例外だったことを想起すべきである。

景気回復は昨年予想したとおりだからパスし、ここではゼロ金利がもたらした個人から企業への所得移転について記録しておこう。日経11月15日、中前忠氏のコラムによると、ゼロ金利政策による家計から企業への所得移転は、この11年間で218兆円に達し、企業の業績回復と政府の国債利払いを助けたが、家計消費の回復を妨げ消費不況を長引かせたという。なお、ゼロ金利解除が国債価格の暴落を引き起こし、金融機関に破滅的な損害を与えるという説は、全くの誤り。満期まで待てば、途中で価格が下がっても額面で償還されるからである。利子所得があるのは少数の金持ちとしても、これだけの負担に黙って耐えている国民の我慢強さをどう理解すべきであろうか。

なお、資産バブルとは株式・地価の値上がりで、持っている人は限られている。大多数の給与生活者には、その値下がりの影響は少なかったと思われる。不況は失業者に過重な負担をかけ、社会福祉の問題を改めて提起したが。

4 中国とインド

ソビエトがロシアとなって分裂、自由経済体制で混乱したのに対し、中国は毛沢東時代を支えた周恩来亡き後、ケ小平が推進した経済自由化が進展し、いまやロシアを上回りフランスに次ぐ世界5番目の経済大国となろうとしている。共産主義政権下の資本主義経済という不思議な体制。外国資本と技術の導入、賃金格差による低価格製品の輸出で外貨を稼ぎ、あっという間にのし上がった。問題は共産政治にもかかわらず貧富の格差、内陸部農村の貧困、利権に群がる幹部汚職の蔓延。地主追放で農民は解放された筈なのに、土地利用をめぐる農民と幹部との摩擦が暴動化するなど深刻。都市開発のあのスピードは、地権にかまわず上意が貫徹できる特異な体制の賜物で、その矛盾が今噴出している。戦後日本の成長の足かせは外貨と地権であったが、中国にその障害はなく、さらに13億の市場がある。近代工業生産の手法は進出した日本企業から吸収できた。付け加えねばならないのは、一人っ子政策で人口増加に歯止めをかけた賢明さ。

インドは政治体制は民主主義の手本、パキスタンとの分裂時の傷もあり、社会主義への傾斜の影響もあって、永い間停滞していたが、IT技術革命でインド文化固有のソフト技術が突破口になり、経済自由化以後めざましい躍進ぶり。華僑が中国の初期発展に貢献したように、インドにも昔アラビア商人と覇を競った印僑の世界的基盤がIT産業導入に役立ったこと、増大しつつある中間層が消費市場を支えている点は共通である。中国と異なる問題として土地と人口抑制の問題はあるが、抽象的思考に強く、英語普及率が高い利点があり、古い文化、多数の人口、広い国土を擁するアジアの大国。中国が沿岸地帯の経済活性化で内陸経済を牽引しようとしたように、インドは、IT産業をキイとして経済成長を持続し、貧困に悩む農村経済を活性化しようとしている。

問題はパキスタン、バングラデシュなどかつて同根だったイスラムの隣国との関係で、ともに貧困に悩んできたがここでインドが一歩先んじてきた。パキスタンはアフガン・テロリスト問題を抱えている。テロの温床が貧困とすれば、インドの躍進が隣国にどう作用するか。中東のように資源に恵まれないイスラム国がいかにして貧困から脱出できるか。

5 人口減少について

日本の人口が遂に減少に転じた。これを転機に子育て支援、就労における性別や年齢による差別の撤廃に向かって制度も実質も進んでもらいたい。中国は一人っ子政策で人口抑制に成功したからこそ、今日の高度成長がある。貧しい中東やアフリカの国が子沢山では、一人頭のGDPを増やすのは容易でない。子供の笑顔は慰めではあるが、飢えさせているんではどうにもならない。ローマ法王が産児制限に反対というが、地球資源は限られているのに人口増加は自然任かせとは納得できない。

日本も、土地が狭いのに人口が多すぎるから人間関係がぎしぎしする。江戸時代を持ち出すまでもないが、今の3分の1程度の人口で平和な暮らしを続けられた。風土的な要素もあるが、明治以後の人口増加は、軍国主義=戦争による人口減少を前提とするようで感心しない。豊かさは一人当たりのGDPで考慮すべきで、さし当っての人口減少は、むしろ歓迎できるのではないか。

6 日本の社会システムについて

バブルの頃、米国筋からいろいろなアドバイスが寄せられた。しかし日本は、受け入れられるものしか受け入れなかった。戦後の米国経営学の学習でも、日本は、労働組合は企業内組合で、年功序列の長期雇用だったし、職種別賃金はなかなか定着しなかった。

リストラという解雇には社会的抑制力が働いて、バブル崩壊でどの会社もリストラという状況でしか実現せず、無責任な評論家が言うような失業率には達しなかった。失業手当とのバランスがあるので簡単にはいえないが、日本の数字は7080年代は23%、バブル崩壊後の90年代終わりに4%台に乗せて、5%になったのは015.2025.4035.104年度は4.6%と下がり始めている。

日本語で相手を代名詞で呼ぶ時、自己と相手の位置関係によって使える言葉がきまってくる構造=自己規定の対象依存的構造(鈴木孝夫、言葉と文化、岩波新書19739)は、母性的な密度の濃い関係を良しとする傾向の反映としてよく知られている。心の重視、小泉首相の靖国参拝は心の問題なのである。青木昌彦教授がいうように、社会システムは相補的であるから、一部分を動かして全体に及ぼすには時間がかかる。部分の働きは、全体との整合性において理解しなければならない。半端で極端な議論には警戒が必要である。

7 アベグレンの日本観

ジェームズ・アベグレンは、日本システムの早い時期からの理解者として名高い。昨年34日、日経経済教室に「再設計終えた日本企業」という論説を載せた。90年代は「失われた10年」ではなく、成長経済対応システムを成熟経済システムに設計し直す10年で、日本文化に根差す社員重視の価値観は変わらず、米国中の企業統治はあまり役に立たないという。要点は

@右肩上がり前提で多角化した企業システムは、成熟経済では絞込みと再編成が必要だが、日本企業は資源の集中と集約に失敗した。顕著な例は総合電機である。

Aしかし石油、セメント、紙パルプなどでは、企業統合が行われ、規模拡大・競争力強化がなされた。過剰生産力の自動車は、世界的にまだ進行中。

B日本の製造業は、負債を米国以下の水準まで圧縮、利益率は回復、メインバンクの役割は終わり、株式持合いも減少、成熟経済への経営体制が整った。

Cこの危機克服は、大量解雇や破産などの米国提案のやり方でなく達成された。日本型経営の功績であり偉業である。

D社会組織としての日本企業の高潔さの指標は、報酬格差の少なさ。社長と従業員との格差は、日本=10倍、米国=500倍、しかも開き続けている。日本に米国流の統治システムを受け入れる余地はない。

E日本企業は、密接に結合した社会組織として独自の企業統治を達成している。社長のために働く社外役員は不要であり、何も知らない部外者に役員の地位を与える必要もないが、終身雇用による経験不足を補うため、第三者からの助言は有効だろう。

F少子化で将来移民受け入れ説はばかげている。定年延長と女性活用で対処できる。日本のような社会的結びつきの強い国では、移民受け入れの社会的コストは高すぎて容認できない。

G将来の課題は、高度研究開発による高付加価値分野への経済の移行と、通貨や政治を含む東アジア地域の共同体構築。

当時、景気を先取りするはずの株価は1150011900円台、4月末―5月初めには11000割れ寸前まで低迷する始末、経済学者や評論家に確信はなかった頃、日本を熟知した人の意見は流石であった。遅ればせながら気がついたのか、株価が12000円台に乗り、うなぎのぼりに上がり始めたのは小泉解散後の8月で、その圧倒的勝利後に急上昇した。先見の明ここにありであった。

資源の集中と集約に失敗した総合電機は、しかし一社も脱落することなく、勝ち組と負け組に分かれ、経営赤字による消耗戦を強いられている。わが日立も苦戦を強いられている。天下の形成を睨み、賢者の知恵を取り入れ、勇気を奮って先見の明を示してもらいたいものである。

8 ワインシュタインの財政破綻は誤解論

昨年の日経11月29日、経済教室にデビッド・ワインシュタイン=コロンビア大教授の「危機は終わった、消費税増税は不要」という論説が載った。一般の認識と反する面白い論説なので要約する。詳論は、ポスト平成不況の日本経済、05.9日本経済新聞社所収。

@        日本の財政破綻の原因は3点、財政赤字膨張・政府債務残高増大・少子高齢化による年金破綻である。

A        しかし、専門家の悲観的予想にもかかわらず、4−6月国債の平均利回りは1.2%近辺という水準で、金融市場は不安を表明していない。

B        政府債務は、政府保有資産を差し引けば(公務員住宅売却など)GDP比78%で、84年の72%と比べ飛び切り高くはない。

C        年金対策は、04年改革の保険料率引き上げと年金算出方式変更で必要な策は盛り込まれた。すなわち、将来給付の伸び率は物価水準の0.9%を下回るのに対し、所得税定率減税撤廃その他で、GDP比2.9%に及ぶ歳入増があって問題なし。

D        従って、消費税引き上げは必要ない。

E        改革の結果、将来世代の受ける年金給付は、これまでの現役平均収入の59.3%から50.2%に下がる。

問題は、複雑な仮定をおいて計算する年金所論の是非であるが、教授の結論は楽観的過ぎて驚くほどである。時間による検証を待つほかない。ただ教授が、小泉改革について、「日本国民は経済改革のよき指導者を持てた幸運と考えるべき」と指摘していることを付言しよう。

9 三国陽夫、「黒字亡国」文春新書05.12について

この人はバブル前から日本資本市場の歪みを指摘し続けた貴重な論客の一人である。新春、読んで鋭い論点にさすがと感心したが、いささか異論あり、この際載せることとした。

三国氏の論点を要約すると、

@ 黒字とは、貯め込んだ貿易黒字のこと。戦前、金本位制時代は、円の黒字は輸入国通貨か金に替えられて、日本の銀行口座に貯蓄され、その間の売買において輸入国通貨は売られ円は買われるから、黒字蓄積は輸入国通貨に対する円高をもたらす。

A そのまま相手国銀行預金(相手国国債でも同じ)とすれば、相手国預金金利を受け取ることができるが、貯まった資金は相手国が活用するのであって、自国はデフレに陥る可能性がある。

B ニクソンショックで金とドルとの関係は断ち切られたが、基軸通貨国米国が、日本やアジア諸国の米国債購入で、巨額の貿易赤字を難なく決済できる構図がそれである。

欧州大戦で金現送ができなかった頃、日本の巨額の貿易黒字はロンドンに預けられ日本に持ち込まれず、日本は不況に追い込まれた。

C インドは、英国の植民地時代、巨額の対英黒字を英国銀行に貯めるばかりで、ルピーに替えてインドの経済発展資金に活用できなかった。日本の対米黒字を米国債で蓄積運用するのは、植民地時代の英国とインドの関係と同じである。

D ニクソンショック時、ドイツはマルク高を容認してドル安から国益をまもったが、日本は円高を容認できず、ドルとの固定相場的関係維持という、ドイツと対照的な関係を続けた。これはまさに植民地的関係で、日本の資金が米国で活用され、日本はデフレというまさに亡国関係ではないか。

三国氏の論点は鋭いし、金融経済の真理を表現しており、今後の経済運営で傾聴すべき問題提起ではあるが、当時、輸出で稼ぐパターンの日本では、円高容認論は少数派で、とても実現可能ではなかった。小生の違和感を略述すると、

ニクソンショックに対する日本の対応の問題は、それが金という重石から開放され、信用によってのみ価値を維持する「マネー」という新しい商品を生み出したことの認識が日本の大蔵省・日銀に不十分だったこと。ドラッカーが「断絶の時代」で予想したことは、わが02年のドラッカー論で記述した。「マネー」という商品を扱う市場整備=金融自由化が必要だったのに、そして米国もそれを要求したのに、日本はそれを遅らせることに専念し、その結果バブルを発生させてしまった。しかも不良債権処理を、もろもろの市場整備と並行して行わざるを得なかったので、不必要に時間がかかってしまった。

不良債権処理が終わり、わが尊敬する三国氏すら問題を見誤っていることを知り、一筆追加した。当時の関係者の回想録が出ているが、未だに、この問題認識に立った反省や記述を見たことがない。

                             おわり

                    

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