木田元、現代の哲学(下)

 

目次

5 言語と社会

@       言語―高次のシンボル体系―ヘレン・ケラーの場合

A       言葉の持つ実存的意味

B       言語の内的構造―ソシュール

C       言語の相互主観性―サルトルとメルロ=ポンティ

D       幼児の自己意識と他者知覚―ヴァロン

E       レヴィ=ストロースの社会構造分析

F       マルクスの経済社会分析

G       知識人と政治―ブハーリン、サルトル、メルロ=ポンティ

 

6 今日の知的状況―マルクス主義の変容

@       レーニン主義―教条主義と党派性

A       ルカーチの「歴史と階級意識」

B       経済学哲学草稿の公開

C       マルクス主義の変容―アルチュセール、マルクーゼ

D       構造人類学―レヴィ=ストロース

E       言語学から見た精神分析学―ラカン

F       人間科学の考古学―フーコー

G       構造分析の今後

 

5 言語と社会

@       言語―高次のシンボル体系―ヘレン・ケラーの場合

 言語は、人間の最も高次のシンボル体系である。人間は、言語を獲得することによって、シグナル行動からシンボル的態度=言語による世界の構造化を達成し、それによって働きかけが可能になり、新しい世界が開かれた。目が見えず、耳が聞こえず、声も出せないヘレン・ケラーが、言語の意味と機能を了解した劇的瞬間については、サリバン夫人の記録がある。夫人が顔を洗っているヘレンの手にWaterと綴り、それを繰り返した時、ヘレンは水の感じと綴られた文字との関係=物と名前とのシンボル関係を突然理解し、物の認識に到達した。

 ヘレンの獲得した言語能力とは、いかなるものであったのか。ヘレンはそれまでに手にアルファベットを書かれて、ある種のサインと触感とを結びつけることは学んでいた。しかしそのサインは、物と結びつかないシグナルであるに過ぎなくて、言葉=物のシンボルとして機能していなかった。「話す」、「言葉を持つ」とはどういうことか。

 かつて心理学では、発音したり聞いたりした言葉によって大脳や心的機構に「言語心像」が形成され、それが刺激に随伴して言葉として現れると理解されていたが、その連合ならヘレンにも成立していた。そして失語症の研究がその誤りを明らかにした。(木下説=以下の失語症は、心理要因によるもので、脳の損傷によるものは除いてあるようだ。)

 失語症でおかされるのはたいてい、実生活から離れた言葉であって、生活に必要な言語ではない。患者に失われているのは言葉のストックではなく、ストックを使いこなすやり方ではないか。患者は身辺のものを、具体的状況から抽象して名づけられない。失われているのはその抽象能力で、言語障害はその一つの現れに過ぎない。言語とは志向によって条件づけられている単なる外皮というのが主知主義的言語観であった。

 しかし単なる外皮だとすると、名前を思い出せないで落着かないとか,作家が何を書こうかはっきりしないうちに書き出すとかの例は何か。言葉は話者のできあがった思想を綴るものではなく,むしろ綴ることによって思想が完成されるのではないか。

 言語能力を、単なる生理過程に結びつけるのは誤りだが、思考の単なる外皮というのも間違いで,むしろそれを完成させるものなのである。それではなぜ音声や指先のサインが意味をもち、世界を開くようになったのであろうか。

A 言葉のもつ実存的意味

 音楽において、音楽的意味が個々の音に支えられているように,言葉にはその音・表示と切り離せない意味の層があり、その組み合せが思考を形成する。言葉と思考との関係は,外面的ではなく互いに包みあう。言葉によって運ばれる意味が、思考形成の母体である。言葉にはまた思考を感情として=実存的身振りとして伝える意味の層がある。これが「所作的意味」であり「実存的意味」である。

 日常使用される言語には,その使用によって固定した意味が与えられており、そのやり取りで表現されるのは二次的思考に過ぎない。しかし初めて話す子供や、沈黙を言葉に変えようとする人の表現にはそれと違ったものがある。

 幼児の言語習得は、母親や家族環境と密接に連関しつつなされる。言葉を習得し、話し方を学ぶとは一連の役割を演ずることを学ぶこと,一連の行為とそれに結びついた言語的所作を身につけることにほかならない。

 作家や詩人が言語表現を通じて一つの世界を企投(実存主義の用語、この場合創造とでもしようか)しているように、話すことは一つの世界を企投することであり、世界内存在を転調することである。言葉は一つの所作のように意味を含み、世界の変容を目指す。言語によるコミュニケーションは、相手との語彙や文章構造の共有を前提とするが、言葉がそれと連結しているある表象を引き起こすことによって実現するのではない。主体が語ることによって充足を志向しているある欠如態があって、その志向を受けての被話者の(認識作用ではなく)自分の世界を転調・変容しようとする実存的相互作用がコミュニケーションなのである。

 失語症で色名健忘患者の場合、色見本を「カテゴリーでまとめる能力」が失われているため,分類したり適切に配列したりできない。このカテゴリー的活動は思考というより「世界へのかかわり方」であって、「まとめる能力」が冒されているため、色見本は順序なくばらばらに現れる。冒されているのは判断力ではなくそれが生まれてくる基盤で、感性的世界に何らかの意図を造形する能力であり、一つの感性的世界への身の置き方であって、言語も思考もこの態度によって基礎付けられている。

 こうして思考と言語をいずれかを原因・結果として扱うことはできない。色名はいえるのに分類できないのは、言葉をカテゴリー的行動と連関させて使用させる何かが欠けてしまっているからではないか。健常者でも同じ名前をあまり繰り返しているとよそよそしい感じになることがある。失われているのは語の生きた意味、感情的実存的意味ではないか。

 しかし言語が思考を表出するのでないとすると、何を表出するのか。メルロ=ポンティは「言語とは、主体がその意味の世界でとる位置のとり方」であるという。言葉という音声的所作は、身体行動が意味を伝えるように、話者にも聞き手にも経験の構造化,実存のある転調を実現する。そうした所作の意味は,物理的生理的現象としての所作に含まれていないし、語の意味も音としての語の中に含まれていない。しかし一系列の不連続な身体行動は、その中で意味的な核を獲得していく。同様に言葉も、われわれの実存が自然的存在を超え出ている余剰部分(難解ないい方だが、人間の命が生理的物理的存在を超越しているように、言葉も物理的作用以上の超越した作用を持つということであろうか)ということになる。

B 言語の内的構造―ソシュール

 こうして言語は、対象的な取り扱いになじまないことが明らかとなった。言語学としてある言語体系の語彙や文法につき、歴史的変遷や法則を発見することは可能であったから、言語は法則的に規定可能な要素の集合と見られがちであったが、その言語によってコミュニケーションしている「話者」にとっては、存在するのは要素のモザイクではなく「言語活動」であり、語彙やその集まりは「話者」の外にあるものに過ぎない。この点に着目して「記号体系としての言語の内的構造」を問題にするシンクロニック=共時的な言語学を説き,現代の構造言語学への道を開いたのがソシュールであった。この言語の共時的構造は、「話者」にしか存在しない点で、メルロ=ポンティやフッサールの言語論に通じる。

 ソシュールによれば、個々には何の意味も持たない「記号」が現わすのは、他の記号との「概念の差異」と「音の差異」である。その「差異」を含む「記号」によって「内的に統一」されたものが言語体系の中身なのであった。その統一は明確に分節された顕在的なものでなく、各部分が支えあって一つの全体を構成するという意味での、部分と全体の「共存の統一」なのであった。幼児の一語文もそれなりに完成した機能からもたらされる。

 言語の内的構造についてのこの考え方は、「音素論」によって詳しく展開され、言語にとって「音素」とは話すという活動のバリエーションであり、言葉を習得する幼児は、音素と共に記号の相互差異化の原理と記号の意味とを手に入れる。

 だから言語は、どこまでが身体の動きでどこまでが知性の働きか割りきれない。純粋に運動機能だけの言語疾患というものはない。身体の動きはかならず意味をはらんでいる。     したがって言語理解には、「運動性」と「知性」という二つの能力の中間にあって,両者を統合するような第三の能力を探し出す必要がある。人が話したくなるのを哲学的にいうと、「存在の厚みの内に空虚な地帯を構成し,自らを外へ世界へと抜け出させるあの実存の世界内存在の運動」ということになるという。

 言語体系とはこのように分節された有機的全体であるが、この共時的構造は、そこに生きている「話者」にとってのみ存在する。言語の発達や変化は,「話者」による全体構造の再編成という形でしか起こらない。しかも「話者」の意識は言語構造などは意識しない。

 だから言語は、客体として扱えるような「もの」ではない。常に「話者」の創意に対し開かれており、しかし彼の思考を規定する。客体として扱い得るものではなく、純粋意識の表出でもない。あの「ゲシュタルト」と同じレベルのものであって、身体によって世界に挿し込まれ,他者と共存し、自然的音声を足場にして初めて「話し」うる身体的主観なのである。

C 言語の相互主観性―サルトルとメルロ=ポンティ

 言葉の世界は、他人の存在を想定する他人との「相互主観的世界」にほかならない。そしてこの「他人の問題」が近代西欧哲学の難問の一つなのであった。「われ」を出発点として意識世界を構築すると、他者は「われ」にとっては客体であって「他我」ではありえない。「われわれ」という相互主観性を可能にする「他のわれ」としての他人の問題は、現代哲学によって完全に解かれていない。

 サルトルは初期の「自我と超越」で、意識をおのれを超え出て対象を志向する働き=超越論的意識と捉え、超越的対象の一つに過ぎない自我は非人称的であるから必要でないと説いた。われが他人のわれより確実な保証はなく,ランボーがいうように、「われとは一個の他人」にすぎないなどと、独我論克服に躍起になっていた。

 「存在と無」では意識は、「なにものか」を対象として定立する意識であり、自分自身については非定立的意識として捉えられる。サルトルはこの非定立的自己意識に主観性の根拠を求めた。しかしそれでは他人は対象でしかあり得ない。それを緩和するためにサルトルは「かれもこちらを対象化しうる」=「まなざし」であると定義した。そして他人に見られることの「はずかしさ」の意識こそ他人の存在証明であるとした。

 これでは自他の関係は相互に対象化し合うだけで、われわれという共同主観の関係に入ることはあり得ない。人間を意識と規定して出発する限り、独我論は克服できない。これに対しメルロ=ポンティは、人間を身体によって世界に内属する=関わる存在として、人間の共同存在=相互主観性を考えようとした。

 「われ思う」に先だって、われが住みついている身体があり、それはわれという知覚能力の場でもあり、その働く対象=物でもある。身体という場において、主体と客体は複雑な相互作用を行い、世界という織物を織り上げる。知覚される事物には他人の存在も含まれる。他人も同様に自己と他人を含む世界という織物を織り上げていて、われの身体はそれを感じることができる。メルロ=ポンティはこれを「間身体性」というが、これが「他人の思考」としての他人の経験を共有することを可能にした。

 われは他人の思考を厳密に思考はできない。しかし感覚的世界では二つの感覚は相互に移行可能である。この感覚的位層において相互主観的な「物」が可能になる。

D       幼児の自己意識と他者知覚―ヴァロン

 フランスの心理学者ヴァロンは、幼児の身体意識の発達と他人知覚の成立との連関についてユニークな解明をした。「自己の身体の鏡像」を習得し始めた8ヶ月頃の幼児には,自己の身体と鏡に見られる自己の身体は区別できない。幼児はおのれの視覚像に自分を感じるように,他人の身体の内にも自分を感じる。(そこに相互主観性の生理的基盤がある)そして「体感の障害は対人関係の障害と密接に結びついている」という。

 6ヶ月から12ヶ月までの間に幼児は,自分の体験と他人の体験とが溶け合う「癒合的社会性」を経験し、それが自他の区別が現れてくる3歳まで続く。この時期の幼児に見られる「ねたみ」「見せびらかし」「模倣」といった現象は、すべてこの「自他の未分化」に発している。幼児は身体の平衡を絶えず調整して知覚機能を維持統合する。その調整は相手の動作を自分の身体で再現すること=「模倣」であって、これが物まねの動作となって定着する。

 この「癒合性」はやがて乗り越えられる。自己と他人の間にやがて「隔たり」ができ上がる。ピアジェによると、幼児が自己を主張し合理主義を実現するのは12歳頃という。しかし「癒合性」はそれで清算されはしない。幼児期の思考は不可欠の獲得物として成年期の思考の底に留まっている。「愛」はまさしくそれである。「われ」は,その存在の根源において相互主観的であり社会的であるからこそ,「社会的なもの」が存在し得る。こうして「社会的なもの」をデュルケームのように、個人的なもの外的な「集団表象」=「もの」として捉えるのは誤りとなった。では現代の社会科学はこの問題をいかに捉えるのか。

E       レヴィ=ストロースの社会構造分析

 社会的なものを、対象的に規定するわけにいかないと最初に気付いたのは、フランス社会学派のマルセル・モースであった。彼はデュルケームやレヴィ=ブリュールの方法の欠陥を察知し、未開社会を、たゆみない接触を通じて内側から理解しようと試みた。北米インディアン社会の研究による「贈与論」はその成果で、首長の慶事を機会に開かれる盛大な祭宴のような「全体的社会現象」において見られる、与え・受け・返すという贈与=交換の様式に注目して社会関係を読み取ろうとした。贈与という個人の心深く根をおろした象徴的価値システムによって,社会学と心理学の橋渡しを試みた。

 このモースの見解を受け継ぎ、それに言語学の構造分析の手法を適用したのが、レヴィ=ストロースである。彼はモースのいわゆる交換が社会的に組織されている状態を「構造」と呼び、個人の言語行為の底に社会的言語体系が認められるように、個人の社会的行為の底に,それに表現を与えている意識されず制度化されているシステムの存在を指摘し、それらのシステムも内的統一を有する共時的構造であることを指摘した。

 社会とは、こうした多数のシステムの交錯する全体=「諸構造の構造」に他ならない。そこで生きている人はその社会構造に通じている必要がないのは,言葉を使うのに言語学的分析は不必要と同じである。

 ストロースは,婚姻は社会集団間の女性交換システムと考え、交叉いとこ婚分析を通じて、タブーなどすべての親族関係や婚姻規則は、生物的欲求にのみ基礎をおく家族という閉鎖的な自己維持の関係を脱し、人為的な婚姻関係によって真の人間社会を確立するために、冷静に計画して作り上げたものと主張した。言語が自然的音声を足場にして構成されたシンボル体系であったように、社会構造も生物集団を足場に構成されたシンボルの体系に他ならない。

F マルクスの経済社会分析 

構造は,一方では諸要素を内的原理によって組織する「意味」であり内側から理解さるべきものであるが、他方,構造が担っている「意味」はものに媒介された鈍重な意味であって学者が概念的に構成するモデルではない。構造は物でもなく観念でもない。その概念によって人は、社会的なものがいかに人間の内に深く根ざしているかを知ることができる。

 マルクスは同じような発想で人間社会や経済を考えた。「資本論」によって、社会の不変法則と考えられてきた古典的経済法則が、資本主義という特定の社会構造の属性に他ならないことを主張した。歴史の担い手とは、自然を我が物にするある様式の中で、自分たち相互の社会関係を形成して行く人間であり、ある所有形態の中で相互に作り作られつつ自己を実現して行く「相互主観性」に他ならない。

 「経済的諸関係」も決して客観的事象の閉じた体系ではなく,法や道徳・宗教などのシステムとともに社会という全体的具体的な存在の一部を為すものに過ぎず、人間の相互関係の表現なのである。そして社会全体の統合力が衰えた時、生産的諸関係がはっきり決定的なものとして立ち現れる。しかし対峙する諸勢力も、経済闘争だけとは思っていないで自分の行動に人間的意味を与えているとすれば、純粋な経済的因果性などは存在しないであろう。

G     知識人と政治―ブハーリン、サルトル、メルロ=ポンティ

 このようにわれわれは、身体を介して世界と具体的な関係を生きている。われわれが物なら、状況によって決定されており自由などはない。純粋意識だったら、状況に対し勝手な意味付けが可能で自由である。物でもなく純粋意識でもない人間にとって、自由とはいかなる意味を持っているのであろうか。

 身体を介して世界に接し、社会を形成して生活するするわれわれの自由には、制約条件がある。意識に先だって,身体には知覚についてゲシュタルトの支配があるし、言語体系や社会構造によって相互主観的意味の制約もある。自由な行動に伴う「意味付与の作用」は、これらの支配や制約を受け継ぎ取り上げなおして行くことに他ならない。

 かつてロシアのブハーリンは、「社会階級とは、生産において同一の役割を演じ同一の生産過程を共有する、他の人間と同一の生産関係を結ぶ人間集団である」と定義し、階級の統一を図り階級意識を基礎付けようとした。自由を求めて共産主義信奉に至ったサルトルは、この見方は、階級を外から観察し死せる対象にしていると批判した。「労働者はその状態を拒絶する限りでプロレタリアートとなり」「自己を階級として構成する」という。「生産の受動的担い手としての階級」を「階級を固定している重力を上昇力に、苦悩を権利要求に転化するには誰かがいなければならない。」それが「党」だ。共産党こそプロレタリアートの純粋活動性であって,「党がなければ労働者は無力な大衆に過ぎない」と主張した。 スターリン批判の前になされたこの主張は、スターリンを肯定するものとしてメルロ=ポンティ、カミュなどを離反させる原因となった。

 メルロ=ポンティは、ブハーリンの客観主義は階級意識をプロレタリアートの置かれた客観的条件から導こうとするのに対し、サルトルは主観主義で、プロレタリアートの条件を意識に還元しようとしている。両者ともに人間を、物か意識かの二者択一によって割りきろうとする悪しき抽象であると批判した。問題はわれが、いかに生きているかという生活様式であって、それが自分の生活態度を形成し、判断を動機付ける。知識人の参加への決意は、彼の世界へのかかわり方=実存的企投を示し、知的企投は社会的行動や参加の賜物であるとした。メルロ=ポンティのこの考え方は、ルカーチが「歴史と階級意識」で展開した「社会は一定の段階でその自己意識に到達する」「自己の疎外意識が社会の正しい認識を意味する、階級は認識の主体であると同時に客体である」という立場とも結びつく。

 歴史はわれわれに意味を提示するが、われわれもまた歴史に意味を与えることができる。「開かれた状況」としての歴史と、われわれの「限られた自由」との間には弁証法的関係が認められる。

 

6 今日の知的状況―マルクス主義の変容

 註 この著作は1960年代の作品であるから、前の章におけるサルトル論に見られるように,マルクス主義への言及が多い。しかし論点に従って削除せず要約した。

@       レーニン主義―教条主義と党派性

 マルクス主義か実存主義かという枠組が大きく変わり、マルクス主義では疎外論を中心とする人間主義的立場と、構造主義の立場との対立が目立つ。実存主義では、サルトルのように主体的自由を主張する人間主義路線と、ハイデガー(後期)やフーコーのように人間よりも言語=構造を優先させる構造主義路線との分裂があって、二つともそれぞれマルクス主義に接近しつつある。

 20世紀のマルクス主義は、常に分裂の危機にさらされていた。10月革命以降,マルクス主義は思想問題から世界史を動かす政治力に現実化したので,分裂も深刻となった。社会民主主義と共産主義、人民戦線と第3インターナショナル、スターリン主義とトロツキー主義、教条主義と構造改革路線、最近では中ソ対立やソ連と東欧諸国との関係といった政治路線の分裂に、理論か実践か,ザインかゾルレンか,科学かイデオロギーか、客観性か党派性かなどの理論面での分裂が重なった。中でも重要なのはレーニンと、ルカーチに代表される西欧マルクス主義との対立であった。

 20世紀マルクス主義の問題は、革命の進行と共に、理論的探求が自由でなくなり、実践の武器として教条化通俗化されたことであった。レーニンが「唯物論と経験批判論」でマッハを批判して提唱した素朴反映論や,スターリン時代のマルクス主義の硬直化はまさにそれであった。

 レーニンの反映論は、ひどく素朴な実在論と同じく素朴な認識論との結合でしかなく、「ドイツ・イデオロギー」のマルクス=「意識が生活を規定するのでなく、生活が意識を規定する」というテーゼは、上部構造が下部構造の反映という意味では「反映論」であるが、それはレーニンのいうような模写説ではない。ここで下部構造というのは素朴な物質過程ではなく人間的実践に媒介されたものであり、上部構造も純粋意識の思考ではなく実践的主体の意識に他ならない。

 エンゲルスとなると、唯物弁証法を史的唯物論の領域を越えて拡張して自然弁証法を説き、歴史の弁証法もその特殊事例として見るという独断的自家撞着に陥った。それではこの主張自体もある物質過程の反映にすぎず、真理性を主張できないであろう。レーニンの反映論にもこの素朴さが認められ,それでは認識を人間と歴史との関係と考え、認識主体を歴史の中に据え付けたヘーゲル以前に立ち戻ってしまう。

 メルロ=ポンティは、これはロシアという歴史的段階の遅れた国に、単純で有効なイデオロギーを供給しようとしたものと好意的に見たが、こうした単純化がやがてスターリン時代の硬直化教条化を促進した。あらゆる論理法則は自然の構造をそのまま反映しているという議論がまかり通った。

A ルカーチの「歴史と階級意識」 

これに対する批判として形成されたのが、ルカーチの「歴史と階級意識」に代表される西欧マルクス主義であった。ルカーチは、歴史の中で主体と客体とを徹底的に相対化させることによって新しい弁証法的真理概念を提出した。マルクスが「資本は物ではなく、物に媒介された人と人の社会的関係である」といったように,資本主義は商品化された人間としてのプロレタリアートを生み出すが、彼らは自己が商品であることに気付くと同時に、「彼等自身を生産し再生産する社会的全体」を発見する。「この階級にとっては自己認識が社会認識であり,従ってこの階級は、認識の主体であると同時に客体なのである。」

 ルカーチにとって「真理」は、個々の階級的立場,それに照応する対象構造に対して相対的な「客観性」しか持ち得ない。プロレタリアートにとっても,歴史を理解しその中に真理を見出すと共に、歴史を生成する意味に関して間違いを起こす可能性は不断にある。真理とはそれ自体際限のない検証の過程として把握されなければならない。「真理の基準は現実との合致にあるが、この現実は経験的事実的存在と同一ではない。それは存在するのでなく生成するものなのである。これから実現されるべき未来,自己を実現する歴史的諸傾向の中にある新しいものが生成の真理であるならば、思考が模写であるという考えは全く無意味であるように思われる。」ルカーチは、人間的実践という核心を骨抜きにされたマルクス主義を、主体的人間の実践=革命の弁証法として再建しようとした。

B 経済学哲学手稿の公開

 ルカーチの論文は、プラウダにおいて「正統のマルクスレーニン主義」の立場から厳しく批判された。自己批判もした。しかしこの本の知的影響は、その後マルクスの「経済学哲学手稿」「ドイツ・イデオロギー」という彼の解釈を裏付ける新資料が発表されたことによって、マルクス主義解釈の決定的な方向を示すものとして今日なお強く跡を留めることになった。

 「経済学哲学手稿」は1932年公開された。エンゲルスもレーニンも知らなかったものだが、そのヘーゲル哲学批判でマルクスは「徹底された自然主義即ち人間主義は、観念論とも唯物論とも異なっており、同時にこれこそが両者を統一する真理であることを知る」と書いた。

従来の唯物論は、問題を感性的現実に戻した点では正しかったが、対象を受動的な客体としてしか捉えず、人間的実践との関わりで捉えようとしなかった。他方ドイツ観念論は、人間と対象との動的・実践的関係を捉えるには成功したが、抽象的で実践的でない欠点があった。マルクスはこの2つを統一して、具体的な人間と自然が,人間の労働=社会的実践を媒介として、その本質を完成する過程を労働の弁証法として捉えた。資本主義社会では疎外された労働が、人間も自然も本質から疎外している。そして疎外された人間と自然の本質の回復を、共産主義社会によって実現しようとした。ルカーチの「革命の弁証法」と深く通ずるものであった。

 人間の疎外状況の克復は、実存主義の目指すところでもあった。サルトルは「弁証法的理性批判」において、若いマルクスの延長線上に「疎外論」を復活し、マルクス主義だけを唯一の「哲学」として容認し、実存主義はそれに寄生するイデオロギーに過ぎないとした。また56年のスターリン批判以後、ヒューマニズム的マルクス主義がアルチュセールなどによって唱えられた。

C マルクス主義の変容―アルチュセール、マルクーゼ

 アルチュセールは、マルクスを、ヘーゲルやフォイエルバッハの影響下にあった人間主義的なイデオロギーの混入した前科学的問題意識の時代と、1845年以後の純科学的問題意識の時代とに分離し、その結実である「資本論」にこそ理論としてのマルクス主義を見出すべきだとした。彼によればマルクス主義は、「非ヒューマニズムであり非歴史主義である」。ヘーゲル弁証法の「転倒」と捉えるのは間違い,本質的連関はないという。

 このように「資本論」を、純粋に理論的に構築された構造的モデルとすると、そこで捉えられている社会的全体は、「相互に区別され自律性を持ったものが複合し構造化され統一されたもの」となる。この社会の複合的統一は、その社会の内に存在する諸実践の統一であるから、矛盾は重層的に解決されねばならず、そこには「構造的因果性」が存在するという。(小難しい抽象論であるが)マルクス主義を、純粋な科学的理論として読み解こうとする考えは、一種の現象学的還元と見ることができよう。しかしプロレタリアートの解放,人間性の回復を除外してマルクス主義を論じ得るであろうか。

 ルフェーブルなどは、構造主義は「歴史を否定し社会を既存の枠内に固定しようとする」と批判し、マルクーゼは、フロイトの本能理論とマルクスの革命理論を結びつけ、現代を抑圧・疎外の社会と決めつけ、人間主義的な「変革」の哲学を説く。

D 構造人類学―レヴィ=ストロース

 構造主義はソシュールの発想した言語学上の立場であった。彼は人間の言語活動を、記号体系=「ラング」と、個々の言語行為=「パロール」に分け、言語学の対象を「ラング」に限定し、ラングの時間的変遷を問題とする従来の言語学に対し、内的構造を研究する共時的言語学を提唱した。言語記号は、音声=意味するもの(シニフィアン)と意味=(シニフィエ)とを結合するが、その結合は任意であるから異なった多数の言語体系が存在し、ある言語体系である語が特定の意味を持ち得るのは、それが他の語とはっきり異なっている=示差的であるからだと指摘した。

 言語とは示差的体系に他ならないという発想は、音素論の研究に適用され、言語体系のもつ音素体系は極めて合理的な差異のシステムに他ならないことが明らかにされた。

 不特定の成員によって共有される言語が,合理的構造を持つという発見は他の人間科学に影響して、レヴィ=ストロースの構造人類学となった。彼は最初哲学を学び、社会学教授としてブラジルに招かれた機縁で人類学に転じ、野外調査によって「悲しき熱帯」を著した。ヴィシー政権下でアメリカに渡り、構造主義を学び、「親族の基本構造」を書いた。「心の無意識な働きが内容に形式を与えることがあるならば、もし言語というシンボル機能の形式が古代人・近代人・未開人・文明人で根本的に同じであるならば、他の制度や慣習に当てはまる解釈の基準を手に入れるためには、言語機能の底に潜む無意識の構造を把握することが必要であり,それで十分である」といった。

 彼はこの手法を、神話やトーテミズムの解釈に適用し、北米インディアンの神話に、極めて論理的な構造や、未開社会に特有な思考システムを発見し、具体的なもの,感性的なものを少しも損なわずに論理的思考に置き換えていくその思考を「神話的思考」と命名した。 それは文明社会にも隠されて働いているのではないか。

 構造主義には、社会の地質学ともいうべきマルクス主義や、意識の地質学ともいうべき精神分析学と深く通じるものがある。アルチュセールがマルクスによって行ったように、精神分析学による構造概念の再構成をしたのがラカンである。

E 言語学から見た精神分析学―ラカン

 ラカンは「エクリ」=著作集において、言語学の格子を通して精神分析学を見ようとした。精神分析学において問題は、客観的な記号体系としての言語ではなく、話者が持っている言語体系=ラングとその主観的な活用である会話=パロールとの弁証法的な関係である。無意識とは本能の座などではなく、パロールの場なのではないか。無意識は、夢・神経症・狂気などにおいて語っている。フロイトは、夢は表意文字であり、神経症の症候とは意識によって抑圧された「意味」であり、狂気とは自己を断念した主観の存在しない言葉であると解読した。

 ラカンは,無意識の会話=パロールを規制しているこの言語体系=ラングは欲望に起因すると指摘した。欲望は他者があって初めてその意味を見出す。主観は、根源的に相互主観性であって、真に自己として構成されるには、他者の存在と言葉による媒介が必要である。しかし言葉は欲望を十全には表現しない。そこに抑圧=言語による無意識の抑圧が生じる。人間は、欲望を表現するのにシンボル=言葉を使用するが、そのシンボルが人間を人間化したり非人間化したりする。後期のハイデガーが「言葉は存在の住家」であり、人間が言葉を持つのでなく言葉が人間を持つというとき,ラカンの言語観に近いものが認められる。

F 人間科学の考古学―フーコー 

構造主義の熱狂的流行を導いたのは、フーコーの「言葉と物」1966であった。彼は精神医学者で、医学の歴史を「考古学的手法」で書き、その方法を人間科学全体に及ぼしたのが「言葉と物」であった。それぞれの時代はその「知」を可能にする土壌=エピステーメーを持つ。彼はルネサンス以来の近代のエピステーメーの場を、「言葉」と「物」の関係に即して明らかにした。

 19世紀に歴史概念を契機に生まれた古典言語学、生物学,経済学,心理学,社会学,文学、神話分析などの「人間諸科学」は、人間を知の王座に据え、その全体的把握を目指したが挫折し、それを構造に還元してしまうような科学=精神分析学,文化人類学,言語学が登場した。「主体としての人間」,「自我という観念」は虚妄であり,無意識な心的構造や社会構造や言語構造などのシンボル体系=「言葉」が人間を支配している。フーコーは人間科学を考古学の対象にすることによって、人間の観念の死を,ヒューマニズムの終焉を語った。人間の主体的実践を切り捨て,構造連関のうちに解体して、客体的に捉えようとする構造主義の立場は,現代人の歴史や自己への絶望の深さの表現と見られなくはない。これに対するアンチテーゼは当然、人間主義である。

G 構造分析の今後

 そもそも「構造分析」とは、言語学や文化人類学の一つの方法であり、「構造」という概念も、分析のための操作概念に過ぎなかった。レヴィ=ストロースにとって、社会関係は社会構造を明らかにするための素材であり、「構造」の名に値するモデルにはそれなりの必要条件があった。それが「構造主義」として主張されると、「構造」なるものが実在化されることになった。概念が多義的で明確な定義を欠いているので、人間を「社会関係」や「言語構造」や「無意識な心的構造」などの構造に還元し,それを客体的に捉えようとする構造主義。これに対し人間主義の立場から,それこそ人間疎外ではないかという批判が提起された。現実変革を忘れた現状維持のイデオロギーとも批判された。

 この対立を実りあらしめるためには、「構造」概念の再検討が必要であろう。現代哲学の基本的カテゴリーである限り、構造は、経験的実在でもなくア・プリオリでもない。ウェーバーの「理想型」は、科学的客観性と価値判断の恣意性をいかに調停すべきかという努力から生まれたもので、経験による偶然性を免れていない。フッサールの「本質直観」も、人間を条件付けている状況の偶然性と、知識に本質的な合理的確実性とを同時に考える方法として提唱された。ヘーゲルの「精神現象学」は、歴史にあるままの具体的経験を取りまとめ、そこにおのずから実現される「秩序」「意味」を見出そうとする試みであった。

 これらの試みには、「経験の偶然性のうちに現象してくる精神」,「歴史のうちに隠された理性」を求めようとする共通の志向が認められる。構造主義の「構造」もこうしたものではないか。言語や未開社会との絶えざる接触から見出された「構造」は、数学的ア・プリオリと同一視できない。構造は本来両義的であって、物でもなく観念でもない。「人が物になり,物が人になる」ので,主体の客体への疎外であり、また世界の人間への再統合を可能にする場面でもありうる。構造概念を、人間存在の相互主観性を鍵にして読み解くことは今後の問題である。            (下)おわり

 

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