2007年の初めに

                        2007.1.19  木下秀人

1 小泉内閣から安倍内閣へ

昨年7月7日、小泉首相は臨時閣議で、2011年までの5年間で、基礎的財政収支を黒字化する方針を決定した。歳入増加と歳出削減を行いつつなお不足する財源が16.5兆円で、25兆円の増税が想定されていた。ところが1226日内閣府は、この半年で税収増と歳出削減効果がそれぞれ3.5兆円実現し、不足財源が7兆円減ったので、この調子でいけば増税なしでも3年程度で目標達成可能と発表した。

昨年の年頭で紹介したワインシュタイン教授の「危機は終った。消費税増税は不要」という楽観論のとおりとなった。日本の学者に見られない先見性に驚くばかり。教授が小泉改革について「経済改革のよき指導者を持てて日本国民は幸運」と称揚したことを付記する。なお、この目標は、累積赤字返済を始める前提だから、経団連が消費税2%増税を容認したのは、その後の問題への対応なのである。

 小泉氏に推され国民の圧倒的支持を得て成立した安倍内閣は、中国・韓国訪問を成功させ順風万帆の門出と見えたが、政府税調会長と行政改革相の辞任という人事問題でつまずいた。しかし自民党の派閥構造は小泉改革で一変しているし、小泉氏に「野党の役割」を奪われてしまった民主党は、方向を見失って愚かな躓きでまとまりもなく元気がない。安倍氏も意外に右派的でなく柔軟なので、小泉路線上で改革を推進し、デフレ脱却を宣言し、4月の統一地方選挙、夏の参議院選挙を乗り切って、小泉さんが潰した古い自民党勢力の復活を許すことなく、改革を足踏みや後戻りさせないよう頑張って欲しい。

 

 2 教育改革と憲法改正

 教育改革と憲法改正論への小泉首相の関わりは、自民党内で永年くすぶってきた右寄りのテーマとして、古い自民党を潰す改革を党内右派に飲ませるためのサービスだったのではないか。安倍さんがどれだけ本音なのかはわからない。小生は、教育基本法の改正は意義を認めない。よい政治の結果盛り上がるべき「愛国心」を、教えようとは本末転倒である。憲法については、不磨の大典でなく改正がありうることを示す意味でも、また解釈で逃げてきた9条の無理を正す意味でも、国民投票法に続く改正を容認する。

 教育基本法は成立してしまったが、いじめや自殺、必須科目の未修問題がでて、まだ収拾のめどが見えない。14日の日経に納得できる二つの問題提起があったので紹介する。

@は橋爪大三郎氏の教育基本法論。改正で、教育は「国民全体に直接に責任を負って」が、「この法律と他の法律によって」と変えられた。戦後日本の教育の混迷は、任命制の教育委員、学習指導要領、大学設置基準といった官僚統制強化によってもたらされた。これらの統制は廃止し、権限を現場の校長に移すべきという。Aは同日の江崎玲於奈氏の「私の履歴書」の大学の学生寮廃止について、「欧米の大学では、寮生活を教育の一環として重視しているのに、学生運動の拠点となることを恐れて、学生寮が廃止されたとするなら、甚だ姑息な考え」という意見。かつて貧乏学生で学生寮の恩恵を受けた者として、文部省の役人や大学関係者に考え直してもらいたい。

 

3 格差論が見落としているもの

 橘木俊詔氏の「格差社会」論が、あたかも小泉改革の結果であるかのごとき取り上げられ方となったのには、いささか疑問を抱いた。戦後日本は国内に存在する格差を縮小することで国内市場を広げて発展してきた。そして貿易自由化と70年代に始まる金融自由化が、グローバル市場という国際的格差の世界を切り開いた。日本は貿易自由化には対処できたが、金融自由化への対応を誤ってバブルを発生させて迷走し、小泉改革とはその始末をつけることであったが、政官財の各分野における既得権層の反発を抑え、改革実現に5年かかった。現在生じている正社員と非正規社員の賃金格差は、同一労働同一賃金で解決さるべき問題。生活保護など社会保障の問題もこれからである。各政党が実態を把握した上で対応すればよい。 

 国際的賃金格差によって日本の古い産業が競争力を失い、リストラを迫られることは、かつて日本がアメリカ市場でやった裏返しに過ぎない。米国は毎年100万人の移民を受け入れ、アウトソーシングで国内産業を低賃金国に移しつつ格差拡大に耐えている。橘木氏の議論には国際的産業移動の観点が欠けている。発生した格差是正には、小泉改革の線上に立って、それ以上の政治的社会的エネルギーの投入が必要だろう。

 なおデフレ下で製品価格が下がったにもかかわらず品質は格段に向上した。戦中戦後の貧しさ苦しさを体験した小生には、今日の日本国民生活水準は、日本歴史上の最高権力者といえども享受できなかった豊かなものと思われる。それを示すグローバルな数字がある。日本人の一人当たり純資産の額=2100万円=18万ドルは世界1で、2位米国は14万ドル、3位英国は13万ドル(元旦、日本経済新聞)という。これ以上を望むことはあるまい。豊かさを国の内外で分かち合って、横ばいで結構ではないか。そのための社会改革に知恵を出し汗をかくべきであろう。 

 

4 民主主義と民族・宗教

 米国は、民主主義をイスラム諸国に押し付けようとして悲惨な失敗をした。一人一票の投票なら、貧乏人が勝ち所得は平等化して当たり前なのに、米国は極端な格差社会である。

部族の結束が固い地縁血縁社会でイスラム教の宗派間に争いがあるイラクに、形式的に選挙を持ち込んで逆に対立構造を鮮明にしてしまった。イスラム世界と「西欧近代世界」には歴史的、社会的、宗教的に複雑な愛憎関係がある。オスマン帝国の流れを汲み、早く近代化西欧化に取り組んだトルコが、オスマン時代支配下にあったブルガリアやルーマニアが加入したEUに、未だに加盟を認められない理由がそこにある。

西欧で仲間はずれされたユダヤ人が、西欧から厄介払いされ、イスラムのパレスチナに「イスラエル」という問題国家を作った。戦争が終わったのだからユダヤ人はそれぞれの出身国へ戻ればよかった。パレスチナに住むならパレスチナ人と共存すべきだったのに民族独立という単純だが間違った思想でイスラム系を排除したことが紛争につながった。民主主義も民族独立も近代西欧が生み出した政治理念であるが、それだけが価値概念ではないことに西欧は気づくべきであろう。そして西欧近代がもたらした政治システムと異なる政治システムがありうることにも。

 

今年は「イスラムと近代社会」、「世界史の中のイスラム」「イスラム雑観」など、イスラム関係の論考を多く載せることができた。少し重複やごたごたがあるが、ご参考になれば幸いである。

                               以上

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