2008年の初めに

                     2008.1.    木下秀人

 1 安倍内閣から福田内閣へ

1昨年9月、世論の圧倒的支持をえて成立した安倍内閣は、1月柳沢厚生相の生む機会発言で辞任、5月松岡農相の政治資金がらみの自殺、7月久間防衛相の原爆止むをえない発言で辞任など閣僚の辞任相次ぎ、年金問題への対応不十分、小泉改革で格差拡大したとの批判を受けた7月参議院選挙で民主党が第1党で野党に過半数を握られた。続投した安倍首相は9月国会での野党質問直前突然退陣、福田内閣となった。

たった1年でのこの変化、二世政治家の弱さとの説もあるが、同じ二世の福田内閣は年金対策で支持率を落した。10月末テロ特措法期限切れで給油終了、11月大連立騒動は小沢氏の失点、守屋前防衛事務次官の逮捕は古典的収賄接待だがそんな人を次官にした謎、12月薬害肝炎訴訟をなんとか収め、中国で熱烈歓迎されたが、今夏の衆院選挙で自民の優位を守りきれるか。

記者会見で腕をブラブラは緊張していない証拠、案外心臓は強いかもしれない。問題は支える知恵者がいるかどうか。あの小泉さんには竹中さんがおり、竹中さんには高橋洋一という元大蔵官僚の働き者がいたという。諸君、0712 「構造改革6年半の舞台裏をすべて語ろう」 福田さんもしっかりした知恵者を早く捕まえて政治を安定させてもらいたいものだ。

2 近代とは何か

西欧はイスラムからギリシャ文化を受け継いでルネサンスとなり、近代化=思想科学の呪術からの脱却を実現した。その中心は思想の自由。残念ながら当時イスラム世界はコーラン絶対思想を打破できず、その解釈権は保守派に握られ、ガリレオのような事件は起らず自由な解釈が失われ、学問技術の進歩は停滞したまま西欧の優越を許してしまった。

西欧が対決したイスラム以外の文明にインド・中国がある。両国とも西欧の支配で大きな傷を負ったが、今日目覚しい経済成長で注目される。哲学の三つの伝統、呪術・宗教と哲学・理性―わからないことの処理、05年参照。

西欧がもたらした近代は侵略戦争と植民地支配だった。あるべき世界ではない。かつてイスラム世界は多民族・多宗教を許容し、宗教差別は西欧キリスト教世界の出来事だった。多民族が暮らしている平和を民族独立=ナショナリズムというスローガンで破ったのも西欧である。そして分立し対立し戦争した近代西欧は、国家をヨーロッパ共同体にまとめて米国に並立する勢力となった。今まで煽り立ててきたナショナリズムへの反省はないのか。コソボなど小さな地域・民族の独立要求をどうするのか。

戦前日本に「近代の超克」という座談会があった。西欧的近代には克服すべきものがあり、社会は歴史的存在であるから実情に即して改革すべきなのに、一律に米国式民主主義を押し付けてもうまくいかないことが証明されたのがアフガンでありイランでありイラクであった。中国にもロシアにもアラブ諸国にも同じことがいえよう。西欧近代の宗教弾圧を逃れて作られた米国に、西欧近代への批判反省がなぜないのか。

社会を痛み少なく変革するには知恵と時間がかかる。加藤創太、制度を変えるということ0712論座。複雑な条件の組み合わせだから知恵が要る。反対勢力の武力打破は古代の手法で単純すぎる。内戦・混乱をもたらすだけだろう。米国の大統領が変わるのは来年だが、参謀に知恵のある人を集め、その知恵を活かせる人に替わってもらいたいものだ。

3 マネーの商品化とグローバル化時代の到来

戦後世界の節目として、小生は(1)71年のニクソンショックと(2)89年ベルリンの壁崩壊に始まる冷戦終結、東欧ソ連圏の解体を挙げる。

(1)ニクソンショックは、冷戦時代における自由主義世界の基軸通貨ドルが、売買の媒介という古典的役割を維持しつつ、金という固定的価値基準から離れて日々の売買によって動きながら(フロートという)決定維持される信用という価値への転換で、貨幣の本質への回帰というべきだった。しかしドル価値の低下によって現実の金価格が、兌換で手にする金貨の価格をはるかに上回り金の流出が限界に達したことによる必然の結果でもあった。そしてそのような貨幣の価値の乱高下を緩和するために実物売買とはなれた為替取引とその先物取引が導入された。マネーが商品となる新時代の幕開けだった。

その結果を確実に予測したのはドラッカーの「断絶に時代」であり、米国英国では早速そのためのインフラ作りが始められた。金融自由化、規制緩和、構造改革である。しかし戦後ずっと大蔵省が金融財政を握り、その主導の下「開発主義」で追いつき追い越す作戦が成功していた日本で、そのシステムを変えることは既得権の侵害につながり、巨大な政治力なくしては実現できない。当時佐藤政権の受け皿争いが政治の中心課題だった。構造改革という課題に気づいた人は少なく見向きもされなかった。官主導の開発主義でニクソンショックと第1次オイルショックをなんとか切り抜け、第2次オイルショックも難なく切り抜けた日本の政官財は、80年代、空疎な優越感=ジャパン・アズ・ナンバーワン時代を迎え、地価と株価のバブルを蓄積しそれが破れ、回復に十数年を要した。

当時ことに当った人々の回想を読むと、問題を正確に認識している人がいないのに驚く。日本が政争に明け暮れている間に米英は構造改革を、北欧は社会改革をしていた。

(2)冷戦の終結、ソビエトとソ連圏の解体は、米国に平和の配当を恵み、軍事・経済面の圧倒的な優位をもたらした。この体制変化は他方で、それぞれが囲い込んでいたブロックを解体し、軍事的負担から逃れた低開発国の経済発展を促し、グローバル化=地球規模の市場拡大が実現した。資源も市場も人も地球規模で求めねばならない時代が到来した。残念ながらこの変革についても日本は出遅れているといわねばならない。外へ出て攻めるのはよいが、外国人が日本でまた内外の日本企業で適切に受け入れられているか。日本企業の経営者が日本人でなくてはならない理由はない。外資の所有を忌避する理由はない。一時、はげたかファンドが忌避されたが、そんなに儲かるなら日本人が買えばよいのに買えないのが日本人だった。

3 おわりに

日本は、ニクソンショック後のマネーの商品化時代への適応に失敗した。次いでやってきた冷戦終結後のグローバル時代に、企業レベルではすでに適応しているもの、適応に苦しんでいるものあるが、問題は人口減少を埋めるべく過剰人口国からの労働者の受け入れである。昨年は外資支配の忌避が目立ったが、外国人忌避ではない。メディアでは外国人は受け入れられ歓迎されている。メディア以外の福祉・農業などの分野でシステムとしてどう受け入れるか。知恵の出しどころであろう。

昨年は念願のトルコに行くことができ、インドは2度目で前回いけなかったデカン高原のエローラ、アジャンタ、サンチーを見学できた。その旅行記のほか、日本人の心性についての考察、このホームページの最初に載せた「日立の人々」が手違いで見られなくなっていたので修正補足して再録した。トルコと日本の「近代化」についても少し遅れるが載せる予定である。

                        おわり

 

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