日本の構造改革と日本的心性

                 2001.2.4―07.11.23  木下秀人

1 私の中研体験

72年5月から75年10月まで,中央研究所に在勤した。後にわかったことだが、日立に入社する技術系学卒者の知能水準は,全国の上位五%以内であり,中研はそのなかでえりすぐりの秀才の集団であった。だからもっとも合理的であり,西欧的な思考方法になじんでいるはずと推定された。研究を進めるについてのスローガンは、「お手本のある研究は取り上げまい」であった。

しかし人々は日本人であって、コミュニケーションを良くするために,研究グループで酒を飲んだり、話し合うことが奨励され,それが雰囲気改善・研究成果向上に役立つと信じられていた。なかでも小生にとって面白かったのは、彼らが何とかして成果をあげ認められようとするのは当然としても,そのために縦の系列につながろうとする傾向が認められることだった。縦の系列の頂点に位するのは有力者・権威者であって、そこにまさに日本人的心性が如実に現れていると観察された。

2 信頼性の構造―信頼か安全か

北海道大学の山岸俊男という社会心理学者が98年「信頼性の構造――心と社会の進化ゲーム」という本を書いて、日本人とアメリカ人の信頼についての社会心理構造を実験的手法で比較分析した。一般に文明社会は信頼性が高くなくてはならぬと信じられ,日本もアメリカもそれが高い社会であると認識されている。日本人の集団への忠誠心は高度成長の原動力であり,だから企業内教育でも上下左右の風通しを良くし、集団の結束力を高めることに重点が置かれ、それが日本的経営の根本と理解された。

しかしそれは信頼なのか。山岸氏の結論は、アメリカ人社会では信頼が大きな要素を為しているが,日本人が社会関係に求めるものは「安全・安心」であって、信頼ではないという。だから無名の人が生み出した新技術・新製品はアメリカで評価されるまで日本では受け入れられない。日本人が結束するのも信頼によってではなく、安全を求めてではないか。

日本人には,客観的にきちんと人を評価する物差しが欠けていて、だから他人の評価に頼るという命題も出てくる。ベンチャービジネスがなかなか成功せず.学生が冒険をしたがらないのもその心性に由来する。いつまでも安全志向・他人依存でなく,自らの判断力を磨いて,信頼できるものを信頼する自立した個人の社会を築かねばならない。

3 本居宣長の思想

日本では「下のものは上の人のいうままに従っている。上の人は下の問題を察していたわる。世の中には,良いことも悪いこともあるが、神意のままに動くのであるから私に改革してはいけない。」

宣長は、易姓革命の中国に対する一系の天子が統治する日本の優越を唱え、戦前の国家主義の基礎を築いた学者である。その政治思想を要約すると以上のようであって、ウルトラ保守というべきであるが、今でも消えていない日本人のある種の傾向を示している。

戦後間もなく日本軍国主義政治を分析し、「無責任体制」と言う言葉を創出した丸山真男という学者がいた。彼は後に,古事記・日本書紀以来の日本歴史を貫く「基調低音」として、「つぎつぎ・なりゆく・いきおい」という言葉を抽出し、日本社会改革のためには、大勢順応の安全・事大主義でなく、自立した個人による絶えざる決断と改革が必要、政治も政治家任せでなく仏教の「在家主義」のように、自立した判断力を持つ市民が支える民主主義永久革命論を提唱した。

4 日本的経営とはなにか

戦後、生産性本部を中心とする訪米視察団がアメリカの経営技法導入に大きな役割を果たしたが、社会的に受け入れ難くて導入しなかったものがあった。そして、それなしでも高度成長はできて,日本は明治維新以来の国家目標を達成し,国民は史上未曾有の豊かな経済生活を享受している。

現在を不況と見るか足ぶみと見るか、アメリカからの構造改革・規制緩和の注文・忠告にもかかわらず、依然として変わらないものが一つあった。失業率である。5%の壁を遂に突破しなかった。企業がアメリカ流の首切りをせず・できなかった。そこに日本的社会のアメリカとの違いがある。

5 構造改革とは何か

(1)技術革新には大きな波があって、交替期には前代の成功者は、前代の設備過剰整理のため停滞を余儀なくされた。成功者があるとともに停滞中の企業も見られる日本の製造業の現状はそれに当たる。

(2)早く自由化された製造業に対し,規制で保護され金融自由化の大波を認識しそこなった金融・証券などは、戦後成長を支えた面はあるが,真の民主化・自由化とは遠く,この十年で戦後蓄えた自己資本をすり減らし,未曾有の改革を余儀なくされた。

(3)官僚は、日本的政治システムに安住し、ニクソン・ショック以後の天下の形勢を見誤り、民主化・自由化のためのインフラ作り=司法・会計・福祉制度整備に遅れをとった。

(4)政治は、最も人間社会に密接するだけに、そして戦後改革において戦前システムをほとんどそのまま温存・継承したために、政治資金の透明化はおろか、選挙制度・地方自治制度すら確定し得ず,試行錯誤を重ねている。有権者国民の成熟を待つしかない。

6 制度の相補性

社会制度について,「相補性」という概念を提出したのは青木昌彦氏である。個々の制度は社会制度の他の部分と互いに補い合い結合して存在している。だからある部分だけを独立して改革しようとしても,全体との結合関係を見誤ると成功できない。銀行・金融改革に時間がかかる所以である。

アメリカの金融改革は,戦後間もなくの戦時国債処理における発行金利の財務省主導から市場主導への転換から始まる。それが国債の市場化であった。日本ではいまだに、国債市場も政府債市場も整備されていず,それが「円」の国際化の障害となっていることを思うと,彼我の差はいかがであろうか。     

互いに関連しているから改革は一つの制度改革ではすまない。もつれ合った糸をほぐし、いろいろな糸を組み合わせ織物ができるように、金融市場改革には金融・証券・保険などの垣根の問題、証券市場・商品市場をどうするか、不動産市場の整備、裁判所の差し押さえ物件売却のコンピューターによる公開、裁判所の民事訴訟制度の利用促進、その要員を補う司法試験改革などがまだ進行中で、定着まで時間がかかる。

 

7 信頼か安全・安心か―日本語の問題

上記の文章を01年に書いて発表しないまま過ぎ、07525日夜、NHK「爆笑問題のニッポンの教養」で太田光と語る山岸先生に再会した。この間の日本と世界の変化を踏まえ、感想を追加し発表することにした。

最近、正規社員と臨時社員とが同一労働であるにもかかわらず明らかに賃金格差が存在する問題が指摘されている。「同一労働同一賃金」という既に北欧で実現されている原則に向かって、「有期契約を繰り返せば正社員かを促す」方向の労働契約法が、昨年の国会で制定される予定だったが、産業界の反対で見送られてしまった。

労働市場の自由化は、大企業に臨時安価な労働力を供給することを目標にしたのではなく、自由な市場を通じての労働の適正な配分こそが目標だったはずである。残念ながらその機能を歪めて平然としている産業界を支えているのは日本国民の人間関係に対する意識であり、日本人の対人関係における信頼でなく安全・安心を求める心性といわざるを得ない。

小生はこの心性の由来は、日本語の人称代名詞の使用法=人称代名詞が、相手の上下によって既定される構造(どういう時に自分について俺・私・僕、といい、相手を名前に君・さんをつけて呼ぶか、不明の時、あなた・きみ・おまえなどというか)、そして上下関係に敏感な心性にあると睨んでいるが、鈴木孝夫氏が「ことばと文化」1973岩波新書で、日本語の「自己規定の対象依存構造」と解明して以来、この問題が取り上げられた例は上述した山岸氏しか知らない。

日本人の中にも、誰に対しても変わらぬ言葉遣いをする人があり、そういう人は尊敬されるが少数派にとどまる。そういうひとが多数派にならないと「同一賃金同一労働」が実現しないのでは情けないではないか。

言葉遣いについて念のために付け加えると、釈迦は相手・状況によって説法の仕方を変えたという。対機説法という。しかしこれは相手に分かりやすいことば=内容にしたので

あって、そこに差別・蔑視はないことはいうまでもない。    

おわり                           

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