アカガエルのかくれんぼ


 春、山のふもとでは雪どけが進むと、あちこちに水たまりができはじめる。そして、池や小川のたまりには、冬のねむりからさめた生き物たちがどこからともなく集まってくる。

 あたたかなある日、ふと耳をすますと赤んぼうがないているような声が聞こえてきた。その不思議(ふしぎ)な声につられて、それらしいあたりへ行ってはみたが、なき声はやみしずかな水たまりがあるだけだった。

 腰(こし)をおろし、じっとしていると、1ぴきのアカガエルが水面からひょっこり顔を出した。そのひょうきん者は、「こいつは安心できそうなヤツだ」とでも思って出てきてくれたのだろうか。また1ぴき、あちらにも、こちらにも・・・。その数、たくさん・・・。

 そのうち、1ぴきがのどのあたりをふくらませてなきはじめると、アカガエルの大合唱(だいがっしょう)が始まった。あの「赤んぼうのような声」の正体(しょうたい)はアカガエルのなき声だったのである。

 私がちょっとでも動こうものなら、敵(てき)の危険(きけん)を感じてか一斉(いっせい)に水中にもぐってしまい、水たまりはまた何もなかったかのようにしずまりかえってしまう。

 そんなカエルたちとのかくれんぼはけっこう楽しいものである。

 この時期、アカガエルのオスは、メスを見つけると背中(せなか)にしがみつこうとする。交尾(こうび)のためである。

 一組のカップルを見つけた。

 そっとそっと近づいてみる。2ひきとも顔は水面からまだ出したままだ。おどろかせて水中にもぐられてはそれこそ水のあわ・・・。さし足、ぬき足、しのび足・・・。1m、50cm・・・かえるはいっこうにもぐる気配(けはい)がない。気がついていないのだろうか。そんなはずはないと思うが・・・。

 30cm・・・私は、そっと手をのばした。つかまえることなどできるわけがないと思っていた私の手の中に、アカガエルのカップルはいた。

 おどろいたことに、巨大(きょだい)な敵(てき)につかまっても、オスはメスをはなそうとしないのである。2本の前足で、メスを背中の方からはがいじめまではいかないが、それに近いかっこうでメスをかかえている。ちょっともうしわけないと思ったが、オスを引っぱってみたが、かんたんにははなれない。そうとう強い力でがっちりとしがみついているのだ。

 「産卵(さんらん)のシーンを見ることができるかもしれない!」私は、夢中(むちゅうで)で走った。

 水そうに水を入れ、草や小石も入れた。そこへ、アカガエルのカップルを入れる。まわりにはおおいをし、金網(かなあみ)でふたをする。そして、カエルに気づかれないように柱のかげからこっそり見ることにした。もう、わくわくである。

 オスは、すでに30分ちかくしがみついたままだ。メスの体に、オスの前足ががっちりくいこんでいる。メスの小さな鼻(はな)の穴(あな)から、時々「プーッ」と苦(くる)しそうな息(いき)がもれる。窒息(ちっそく)しないのだろうか・・・。

 アカガエルは、「なんだかあやしいところにつれてこられたぞ」というような不安(ふあん)な顔で、目だけこちらを見ているように感じた。いぜんとして、アカガエルのカップルは、じっとしたまま動こうとはしない。

 しびれをきらした私は、一時そのばをはなれてしまった。

 もどってみると、水そうの中には、メスのアカガエルと卵のかたまりがあるではないか。うんでからそう時間がたっていない卵なのだろう。メスの体の半分ほどの大きさしかない。オスは金網(かなあみ)のふたのすきまからにげていなかった。

 大失敗(だいしっぱい)!私は、産卵(さんらん)の瞬間(しゅんかん)を見るチャンスをのがしてしまったのだ。

 やがて、そのたまごは、水の中で、透明(とうめい)な部分が何ばいにもふくらんでいった。その卵から、オタマジャクシにまで成長(せいちょう)したのは、とても少なかった。3分の1、いやもっと少なかったように記憶(きおく)している。大半は、卵に変化(へんか)が見られず死んでしまった。1ぴきのメスからうまれるたくさんの卵子(らんし)がすべて受精(じゅせい)するには、1ぴきのオスの精子(せいし)の数では、たりないのだろうか。

 その後の観察で、1ぴきのメスに2ひきのオスがしがみついていたり、メスが産卵(さんらん)するとき、たくさんのオスがやってきて、卵をうんだあたりで、飛び交(か)うアカガエルたちを見つけた。1ぴきのメスに対して、たくさんのオス。こうすることで、メスの卵のほとんどが受精(じゅせい)できるしくみになっているのだろう。

 同じ水べには、サンショウウオの卵もうみつけられている。1ぴきのアカガエルからうまれた何百という命(いのち)も、またいつかこの水べにやってこられるまでに成長(せいちょう)できるのは、ほんのわずかであろう。多くは、サンショウウオのエサになってしまうのである。

 きびしい生存競争(せいぞんきょうそう)に勝つための卵をうみつける場所を、サンショウウオはちゃんと心得(こころえ)ているようだ。

 だが、サンショウウオもまた魚や鳥に食べられ、生き残(のこ)ることができる数はわずかしかいない。それでも、自然界(しぜんかい)のバランスはちゃんと保(たも)たれていて、アカガエルもサンショウウオも、ここからいなくなることはないのである。あの水べがあるかぎり、アカガエルたちのかくれんぼはいつまでも続くことだろう。

 また、春。

 山のふもとのおそい雪どけが終わるころ、水べでは、あのひょうきん者たちがどこからともなくやってくる。そして、近づいてくるキタキツネやトビたちを相手(あいて)に、水面から顔を出したりかくれたりして、あのかくれんぼを楽しんでいるにちがいない。


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