私が生まれたところは、大雪山連邦(だいせつざんれんぽう)のふもとの町である。

 小学生のころ、家のうらは水田の休耕地(きゅうこうち)で何年もほおっておいたため、野草や小木がおいしげっていた。そこが私たちの絶好(ぜっこう)の遊び場にもなっていた。そんな環境(かんきょう)のためか、家のまわりにはたくさんの生き物たちがいた。

  あるとき、ふと空を見上げると、オニグモが巣(す)を作っていた。

 その様子をじっと見ていると、おしりから出した糸を、足を使って規則(きそく)正しい形に作っていくのである。べとべととねばりのある糸を、巧(たく)みにあやつりながら巣は完成(かんせい)した。オニグモは、生まれながらにして、この技を身につけているのである。

 私は、はり終えた巣を小枝でゆすってみた。オニグモは獲物(えもの)がかかったと思いゆすっている小枝の方へやってくる。それがおもしろくて何度もくりかえした。

 私の興味(きょうみ)はだんだんエスカレートし、プラスチック製(せい)の海苔(のり)の入れ物に小石や木の枝を入れ、オニグモを飼(か)うことにした。

 さっそく家へもって帰ると、案の定(あんのじょう)、母に叱(しか)られたが、こっそり飼うことにした。

 私は、入れ物の中一面にクモの巣をはりめぐらすだろうと楽しみに待っていた。が、いっこうに巣を作ろうとしない。それどころか、お互いに牽制(けんせい)しあってなかなか動かないのである。

 ある朝おどろいた。クモの数が入れた数より1ぴき増えていたのである。どう考えても不思議(ふしぎ)であった。よく見ると腹部(おしりの丸くふくらんでいるところ)のないクモが1匹いるのである。きっと、仲間のクモに食べられたのだろうと思い取り出してみると、それはクモの抜(ぬ)けがらだった。「クモそのまま」の形で頭や足が残っていたのだ。

 私は、「クモが脱皮(だっぴ)すること」をオニグモから直(じか)に学んだのである。あの時の感動(かんどう)は今でも忘れない。「これは、世界中のだれも知らない新発見だ」と思いこんでいたので、得意げに友達に教えてまわった。このほか、クモにかじられ「口には牙(きば)のようなものがあること」を知ったし、入れ物の中の強烈(きょうれつ)なにおいは、今でもわすれられない。

 「こんなにおもしろいことを母はなぜしかるのか」と子ども心に思ったものである。

 以来(いらい)、いろいろな生き物と出会う中で、自分の目で確かめた自然の巧(たく)みさに、私は魅(み)せられていった。

  春、山に山菜を取りに行くことがある。

 小川があったり草むらがあったりすると、ふと生き物たちのドラマが見たくなり、そっと石をはぐったりしてみる。

 遠い昔からひっそりとくり返されている、自然界の当たり前の営(いとな)みを、私はいつまでもいつまでも見続けていたい。


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