シリア・ヨルダン旅行報告
中東の遺跡を訪ねて

2007年12/9(日)から12/21(金)までユーラシア旅行社の シリア・ヨルダン隊商の道 13日のツアーに参加しました。参加者は、夫婦2組。男性一人、女性3組、女性一人の12名でした。
旅行中天気に恵まれて毎日快晴、歩きが比較的多かったが、すべて快調に過ごせました。温度も日本より若干高めで、普通の冬の装束で十分、日本へ帰った日が寒く感じられる状況でした。バスの移動も沢山でした。
文明の十字路、東西交流の文化の栄えた地域でキリスト教、イスラム教の対立、共存、融合が歴史の上で繰り返されいろいろ感じさせられる旅でした。
中東情勢については、イスラエル建国以来紛争が続いていますが、現地では、取り敢えず平和で、皆が生き生きとしており、旅行者には親切で、日本への期待は大きく、また今までも平和的な援助を沢山してきた日本は感謝されています。
日程詳細とホテルリスト




訪れた町とスナップ写真

ヨルダン


ヨルダン
jordan

正式国名はユルダンハシミテ王国 。アラビア半島の北西の付け根にあり、シリア、イスラエル、イラク、サウジアラビアと国境を接している。公用語はアラビア語で、街中の看板や標識はアラビヤ文字で溢れている。国土の8割が砂漠で、ヨルダン川の流域は緑も多く、農産物の生産地になっている。ギリシア、ローマ、ウマイヤ朝、十字軍など各時代の遺跡が多く残っており、なかでもペトラ、ワディ・ラム、死海など観光資源に恵まれておりまた政治的には安定しており、西欧から多くの観光客が訪れている。1946年までイギリスの委任統治領。
広さ、92000km2 日本の面積の4分の1、人口 535万人で93%はイスラム教を信仰している。


ペトラ petra

1985
ユネスコ世界遺産。アンマンから南に約170km、ヨルダン高原からアカバのあるワディアラバに至るルートの入り口にあり、隊商にそのルートを通らせることで栄えていた。 ペトラは岩の意味。ナバタイ人の都市BC3-AD1人口4万人程度、AD106年ごろからローマ化される。741年に大震災があり忘れられていたが、1821年スイス人により発見された。墳墓の集まり。ナバティア人は死後の来世を信じておりその祭祀のための祠、墳墓が美しい。
入口からシーク入口まで約1km、シークは約1km、エルハからファサード通りを通り柱廊どおり凱旋門までが約2km、レストランからエドディルまでが急な坂と階段で約1km。よく歩きました。


入口付近


シークまでの馬の道と歩道


オベリスク墳墓


シーク入口


シーク始まり右には水道あと


シーク中間点付近


間もなくエルカズネ


光の向こうにエルハズネ


見えたエルハズネ


エルハズネから後方を見る

エルハズネ  El Khazneh
ファラオの宝庫bc1世紀のアリタリス3世の父、オボタス1世の墓といわれる。様々な国の影響を受けた彫刻がある。
手前のシークから見えてくるエルカズネの美しさは最高である。ここから先は右にナバテア人の王家の墓を見ながら、列柱通りを通りテメノス凱旋門、カスルエルビント神殿(ファラオの娘の城)がある
砂絵は定番のお土産。


エルハズネ


砂絵


シルクの墓・王家の墓


列柱通り


カスルエルビント

エドディル
Ed Deir

ナバティア人は来世を信じておりたくさんの祠や墳墓を築いた。エルハズネだけでも素晴らしいがさらに奥の山に1世紀中ごろ造られた高さ45m、幅50mのナバタイ人の神殿がある。エルハズネより大きいがつくりは簡素である。以前はこのあたりに修道士が住んでいたので修道院跡の意味でエドディルという名前が付いている。ここまでの山道は相当きつい。


エドディルへの階段道



エドディル

ワディーラム wadiRum

ヨルダン南部、アカバ、サウジアラビアの国境に近い砂漠にある。映画「アラビアのロレンス」はこの砂漠地帯で撮影された。ベドウインがトヨタのポンコツ4WDで案内してくれる。


ロレンスの山


ロレンスの泉


カザリ峡谷

ジェラシュ ジェラシュの遺跡(Jerash)
アンマンの北約50Kmにある。ローマ人が2000年前にアラブに作ったローマ都市の中で最も華麗で壮大.東洋のポンペイとも言われるがまだ全部は発掘されていない。
アレキサンダー大王がこの地帯を襲った紀元前332年頃から集落として存在していた。その後50-60年頃から、ローマ帝国の繁栄に伴い、劇場や神殿など建物も増えて行った。7世紀に入ってペルシャ軍が襲来し、636年にはイスラム軍に完全に征服された。その後8世紀の大地震で建物の多くが崩壊。19世紀にドイツ人に再発見されるまで廃墟となっていた。遺跡としては大規模である。


ハドリアヌス凱旋門


南門


フォーラム


南劇場


南劇場


AGORA
を望む


列柱通り

アンマンamman
ヨルダンの首都。人口は180万人と言われるが、イラク戦争以来大量の避難民が流入して、殆どがアンマンに住んでいる。
アンマン城塞に国立考古学博物館がある。死海文書の青銅板が展示されている。1947年に羊飼いにより偶然発見されたユダヤ教エッセネ派が書いた世界最古の旧約聖書と言われる。イエスキリストの秘密があるかもしれないが、解読が進んでいない。


国立博物館内部


国立博物館入口


死海文書の複製銅版


城塞から見る旧市街・劇場が見える


アンマン城塞

マダバ
Madaba
アンマンの南30km。人口10万人のうち30%はキリスト教という町で、ビザンチン時代の教会が多い。キリスト教に関する場所も多い。
 セント・ジョージ教会は560年頃に建てられたギリシャ正教の教会で、床にエルサレムを中心とするパレスチナの古地図がモザイク画として残されていることで有名。地図としてもかなり正確で詳細な出来栄え。


セントジョージ教会


世界最古のパレスチナ地図

ネボ山Jabal Nebo

マダバの西10km、死海とパレスチナを見下ろす山。旧約聖書のモーゼを記念して教会が4世紀に建設されたとされる。ガスがかかって遠くは見えないが、草原の向こうがパレスチナという説明に納得。


世界遺産の碑


フランシスコ教会のモザイク


蛇に変わったモーゼの杖

アズラック城
Qasr Azraq
元はローマ時代に軍事拠点として建てられたもの。黒い玄武岩で作られており、正面の扉は一枚板の石材。敷地は200m×180m、2階建てで台所、モスク跡などが残っている。アラビアのロレンスが1917年に指令室として使用した


アズラック城


内部

アムラ城
 Qasr Amra
世界遺産
8
世紀ウマイヤ朝のカリフが狩りの館として建てた。浴場、サウナも残っている。20mの深さの貯水槽がありロバが回りながら水をくみ上げていた。レセプションホールと寝室にフレスコ画が残っている。ベドウインが住み着いていたので煤で黒くなっているがイスラム圏では珍しい人物、動物などが描かれているフレスコ画が残る。


クセイルアムラ外観


天井のフレスコ画

アカバ Aqaba

紅海に面するアカバはヨルダン随一のリゾート地。海がきれいでグラスボートで海底を見れるが、サンゴなど鑑賞できるが、ここも同じでペットボトルやゴミが揺ら揺らしている。対岸はイスラエル。
モーゼの泉はモーゼが杖で叩くと水が出た岩という伝承地。いくつもある一つ。


対岸はイスラエル


アカバ要塞


大きなヨルダン国旗


モーゼの泉


キングスハイウエイアルノン峡谷


死海への道標

死海
浮遊体験dead sea
海抜390m世界最低の地点、スウエイミーにあるホテルで死海体験と昼食。ヨルダン川が流れ込む湖は最低点なので流れ出ないで水分が蒸発して塩分が残り30%(普通の海水は3%)の辛さ、
長さ72km、幅16kmで琵琶湖の1.5
真黒な泥が肌に良いということで全身泥だらけ。波打ちぎわは石ころばかりで泥はない。


浮かんで新聞を読む


泥パック

シリア
syria

正式国名はシリアアラブ共和国。 シリアはアラビア半島の北にある国。東にイラク、北にトルコ、南はヨルダンと接している。そして西はレバノンと地中海に面している。シリアの面積は日本の約半分。国土の南部から中央部にはシリア砂漠が広がるが、国土の北部から東部にかけてユーフラテス川が、西部にはオロンテス川が流れ、流域は青々とした農業地帯でいわゆる「肥沃な三日月地帯」である。世界で始めて農業が生まれ、アルファベットの原形を生み、宗教や建築技術など、ヨーロッパはもちろん世界中に有形無形の影響を与えてきた。それゆえ国中いたるところに遺跡が残り、パルミラなど東西の文明の十字路と呼ぶにふさわしい遺跡が多い。アラビア語が公用語。第1次世界大戦後から1946年に独立するまではフランスの統治国であった。宗教はイスラム教が主でキリスト教徒は約13%である。

パルミラPalmyra
パルミラの遺跡は 首都ダマスカスの北東約230Kmの砂漠のオアシスに忽然とその姿を現す。パルミラとはギリシャ語でナツメヤシを意味する。この遺跡は世界でも有数の巨大な規模を誇る。1980年に世界遺産に登録された。2世紀に栄華を極めたシルクロードの拠点であり、メソポタミアと地中海を結ぶ東西貿易の重要な中継点であった。アラビア語ではタモドールTMDRと呼ばれている。
エラベール家の墓、ベール神殿などを中心に見学。パルミラはシルクロードの隊商都市として栄華を極めた。270年頃ゼノビア女王はローマのアウレリアスに最後まで抵抗したが、最後にローマの手に落ちてその後は歴史の表舞台に立たず忘れられていた。かっての輝かしい栄華が実感される。


ハドリアヌス記念門


列柱道路


ローマ劇場


四面門


バール神殿本殿


バール神殿正面入り口


ナボ神殿


エラベール家の墓


遠景



アラブの砦

Damascus
ダマスカス
ダマスカスは旧約聖書が書かれた時代からの世界最古のオアシス都市。ダマルセック(アベルの血が流れる)がなまってダマスカスになったというアマル語でダルメシークとは水が豊富な地の意味でアラビア語ではシャームというがこの名前はシリアだけでなくこの付近一帯の呼称でありこの地域の歴史的中心地である。国立博物館正面の門はカッスルアルヒーラガルビーの門であったものを移設。ウマイヤ朝のカリフの宮殿であった52000ピースの組み立て再現したウマイヤドモスクはメッカ、メディナ、エルサレムに次ぐ第4の聖地とされる。最初はジュピター宮殿、ビザンチン時代にヨハネの教会になり、AD705年モスクになった。中心に洗礼者ヨハネの首が収められた神殿がある。中庭には宝物殿がある。サラディーン廟、アゼム宮殿、聖アナニア教会、聖パウロの門、ストレート通りなど、見どころは旧市街に多い。


旧市街を囲む城壁


国立博物館入口


国立博物館


正面の門


サラディーン廟


女性はネズミ女に


ウマイヤドモスクへ


ウマイヤドモスク中庭宝物殿


モスク内右はヨハネの神殿


モスクのミナレット


アゼム宮殿と人形


スーク


先がストレート通り


コーカブ教会(郊外)


旧ヒジャーズ駅


ヒジャーズ鉄道機関車

アレッポ
Aleppo
ダマスカスに次ぐシリア第2の都市でアラビア名をハラブ(Halab乳の意)アレッポ城は深さ22mの濠に囲まれている。周囲約2.5km紀元前10世紀に建設されたヒッタイトの神殿であった。12世紀に十字軍が攻めてきたとき要塞化され、13世紀のモンゴル軍、1400年のティムールの侵略に耐えた北シリア一の難攻不落の城塞。


アレッポ国立博物館


入口のライオンレプリカ


アレッポ城


アレッポ城


グレートモスク


林立するパラボラ


アレッポスーク


ピスタッチオ屋

エブラ
Ebra
アレッポの南西60kmエブラとは白い岩の意味で白い岩盤があった。下から2層目の層bc2400-2100からエブラ文書と言われる石板が発見された。粘土板がヒッタイトに燃やされたので硬くなり碑文が残る。


エブラの白い岩


図書館跡碑文が残っていた

ウガリット
Ugarit
 
別名ラースシャムラという遺跡。 ラタキアの北11kmにある。
ここがシュメール語、アッカド語、ヒッタイト語、古代エジプト語で書かれている粘土板文書で有名で特に世界最古のアルファベットはここにあった。出土品はラタキア博物館に展示されている。


ウガリット遺跡入口


遺跡全景

ラタキア
Lattakia
アサド前大統領の育った土地。
地中海に面している港町
国立博物館はキャラバンサライ跡ウガリット文字のタブレットは現在研究に出されていて見ることができない。


ラタキア国立博物館


ラタキア海岸の地中海

サラディーン城Quala'at Salah ad Din

ラタキアの東25kmにあり、山頂5ha、中には大きな貯水タンク、ビザンチン時代の教会がある。最初はbc100年ごろフェニキア人、bc330年アレキサンダー大王、ビザンチン、イスラム、そして十字軍が巨大な要塞を作る。最後にサラディーンが1187年投石機で城壁に穴をあけて人民を解放したという。サラディーンは1138年生まれのクルド人デアラブの英雄である。

昼食のレストランからミニバンに乗り換えて、谷を下り、オベリスクのようなピナックルスは木造の跳ね橋の跡。このレベルから入り口まで141段の階段を昇る。


サラディーン城を眺める


入口のピナクルス


絶壁


内部

マアルーラ 
Maalula
アンチレバノン山脈の荒涼とした岩山の峡谷にある町で、5000人いる住民の大半がギリシャカトリック教徒で、今でもイエスキリストの時代に話されていた3000年以上前のアラム語を話す。
聖サルキス教会、聖テクラ教会を観光


町の遠景


聖サルキス教会

ハマ 
Hama
オロンテス川に面した緑豊かなシルクロードの中心都市。アッシリアに滅ぼされた。14世紀ごろオロンテス川の水を水道橋に上げるため多くの水車が設置された。大きいものは20mの直径で32基のうち12基が残っているがいずれも今は動いていない。


水車


水車

ボスラ
Bosra
またまたローマ劇場
16000
人収容で1992年に北島三郎が音楽祭に招かれた。黒玄武岩でできているアラブ時代に要塞になっていたこともあり保存状態がよく、エコーが美しい。


ローマ劇場


中央で歌えばエコーが美しい

クラックスデシュバリエ
Krac des Chevaliers
アラビア語ではカラートアルホスン(騎士の城)と言われ、42の十字軍要塞のひとつ。ヨーロッパの教科書に必ず出てくる有名な城。現存する要塞の中で最も素晴らしいとローレンスも絶賛した
1160
年に最初の城が建設され、1150年地震後改築されその後砦を二重構造にした。2000-3000人の兵と400人の騎士。10の塔をもつ外壁と内城から成り、堀は水を断たれた時の貯水池にもなった。1271年スルタンのバイバルスが外壁に穴をあけてエジプトマムルーク朝の手に落ちた。
プリンセスの塔にレストランあり、そこでランチ。



遠景




復元模型

 その他参考事項    
 ■シリアとヨルダンに行くというと殆どの友人はなぜ今そんな危ない所に行くのかと尋ねられます。まずこれに対する回答です。中東は東西の文明の十字路であり、チグリスユーフラテス川にの世界3大文明の発祥の地であり、一度は行ってみたいところです。小生の常識でもイスラム圏は危険な国としてあまり良いイメージを持っていませんでした。しかしツアーのパンフレットを見ているとこれら中東の文化遺産ををめぐる計画がいくつかあり、大体が催行されています。
今回のテーマのツアーはシルクロード西端の隊商の町を訪ねる旅で、レバノン、ヨルダン、シリアを回るプランであったが、ほぼ同じ日数で政情不安なレバノン抜きで同じ日数の旅であったので日程的にはゆったりとしていた。とにかく死海とペトラ、パルミラを見ることで、中東の歴史の一端を見てみたいと思った。レバノンのベイルート、バールベックの遺跡に行けないのは残念であった。

■シリア、ヨルダンは日本に対して非常に友好的で親切です。ヨーロッパのような泥棒や、引ったくり、スリなどはいません。ツアー客なので断片的な感想ですが、日本人が安心して旅行できる国です。世界遺産も多く、数千年前から栄えた国で、民族はアジア、アラブ、エジプト、ヨーロッパなど各国の混血で様様な民族から成り立つ国です。治安もすこぶる良く宿も交通機関も充実していて、観光旅行しやすいところと実際旅をしていてそう感じた。
ヨルダンは石油もなく、水も少なく70%は砂漠の国ですが、ヨルダン峡谷で出来るフルーツが唯一の産業です。あとは難しい中東において輸出に努め比較的富裕で、今アンマンでは再開発のビル工事が盛んである。再開発地区はすべて王様の持ち物とのこと。
シリアは石油もあり、石油やガスのパイプラインがイラクから地中海に埋設されており、農業、鉱工業、商業のバランスがとれた産業構造である。シリアヨルダンの側に立つと、イスラエルがすべての悪の元凶だが、どちらの国も沢山のパレスチナ難民を受け入れて、自分たちの仲間として仕事も与えることで頑張っているのには頭が下がる。ツアーの観光バスの運転手もレバノンからの難民と聞いた。早く平和がと思うのだが、長い因縁の中東の問題は簡単に解決しない。

■エミレーツ航空は関西空港を出てから中国を横断して、インドの西の端からインド洋に出てドバイに着く。
ドバイからアンマン、ダマスカスなど中東の首都に定期便が飛んでいるが、いずれの場合もジャンボ機が、カタール、バーレーン、ドーハ、クエートからイラクとの境界線近くを飛んでゆきます。湾岸戦争や今のイラク戦争などで聞く町がすぐ近くにあると思うといつ撃ち落されても不思議ではない航路をジャンボ機は安全に飛んで行くのが不思議に思われます。

■遺跡はいずれも素晴らしく大規模であるが、まだ発掘ができていないものもあり、今後の計画的な発掘が望まれます。どこにもローマ劇場、列柱通り、神殿が無造作に広がっています。どこの町にも国立博物館がありますが、展示まだまだ工夫が必要です。規模も小さく、まだ体系的には整理されておらず考古学の大発見があったところという説明がありますが、展示、解説ともに不十分であまり感激しませんでした。ローマ時代の遺跡は壮大で立派ですが、国立博物館はあまり観光者には判りにくい展示でありまとまりがない感じでした。素晴らし遺産が沢山あるのに残念です。最もイギリス、ドイツ、フランスなどが持っていってしまう為、発掘などの進捗が進まないためなどいろいろ理由がありますが、折角の古い遺産が体系的に展示されないのは残念です。

■たまたま犠牲祭の前日で、またクリスマスも近く、町やスークは大変な人出でした。買い物をしている人は皆元気そうで、特に子供は銃のおもちゃを買ってもらってはしゃいでいました。男の子のおもちゃは皆ピストルか拳銃でした。アラブ社会の通例で店の人やホテルの従業員は男性が多いのですが、買物は圧倒的に女性が多く見かけました。

■両国とも世界の衛星テレビが見れる。アレッポ、アカバなどで、ビルの屋上に林立するパラボラアンテナに驚きました。アルジャジーラの英語版を見ることができますがCNNよりも分かりやすいニュースでした。CNNも欧州の各国テレビもホテルでは見ることができました。アンマンでは日本語テレビも受信できました。そういう意味ではある程度の情報が自由に入手できるし、皆がそれを理解できるので複眼的な考え方ができる人たちで、教育の程度が高いと感じました。

■ヨルダンはディナール、シリアはシリアポンド。両国とも現地通貨に両替するのが原則ですが、お土産、ビール、ワイン代ぐらいはアメリカドルが通貨として使えます。ホテルではドルでお釣りも来ます。 少しだけ両替する。
現地通貨が望ましいものにトイレチップがありますが、1米ドル札で二人とか言って現地の通貨が無くても問題ありませんが、トイレチップが必要なのは面倒です

■時代考証 文明の十字路として古代から現代にいたるこの地区の歴史を理解しておくと便利です。
訪問個所を時代別に整理すると大体下記のようになります。
紀元前3000年ー紀元前4世紀 [先史古代文明の時代] ネボ山、ウガリット遺跡
紀元前4世紀-紀元前1世紀 [ギリシャヘレニズム時代] 今回はなし
紀元前1−紀元後4世紀 [ローマ時代] ペトラ、ジェラシュ、パルミラ、ボスラ
4-7
世紀 [ビザンチン時代] ハマの水車、マタバ、マアルーラ
7-9
世紀 [イスラム初期時代] ウマイヤドモスク、アムラ城、アレッポ城
11-13
世紀 [十字軍時代] クラックデシュバリエ、サラディーン城
12-16
世紀 [アイユーブ・マルムーク時代] 今回はなし
16-20
世紀 [オスマントルコ時代] アゼム宮殿、ヒジャーズ駅

■関連映画
映画「アラビアのロレンス」の舞台にもなったワディ・ラム..
「インディ・ジョーンズ 最後の聖戦」に出てきたペトラ遺跡
「天空の城 ラピュラ」のモデル所と言われている「サラディーン城」
十字軍については、『キングダム・オブ・ヘブン』

■参考文献
NHK
出版 樋口隆康著 地中海シルクロード 2007
中公新書1594 牟田口義郎著 [物語中東の歴史] 2001
『隊商都市』ミカエル・ロストフツェフ 著 青柳正規 訳 新潮選書(新潮社) 1978年発行、現在は絶版
添乗員花田基子さん日誌