阿弥陀仏の阿弥あみ の意味とは

  阿弥陀如来の 南無なむ とは 帰依きえ とか 敬礼きょうらい の意味をもつ梵語ぼんご 
  一言で簡単に表すと 人智では計り知れないほど偉大である…という意味に理解できる。
  阿弥は 阿弥陀号あみだごう と呼ばれ 中世以降、浄土系の 僧・仏工師・仏画工師・能役者・などの名の下に
  「阿弥」の称号をつけて呼び合うようになった。
  有名なのは 世阿弥ぜあみ 観阿弥かんあみ 能阿弥のうあみなど

  能の大家たいか 世阿弥は能学論にて
  狂おしきばかりに 我を忘れて踊りに没頭する姿を 「狂いの美」と表現していて
  「阿弥の称号を持つ者は (美の三昧の極地)(幸せと楽の極地)(極楽浄土の境地)を 体感した者であると説いている。
  
  オイラ ボサツマンには 理解できるはずもないのだが
  きっと 世阿弥は 神と一体となった美の境地を説いたのでしょう。
  神気に抱かれ 我を忘れて踊りに没入する時 自分の内に秘め持つ神魂しんこんが 光輝く体感を得た者にだけ
  尊敬・畏敬の念をこめて ○○阿弥の称号を与えたと 考えられるのです。

  ……ボサツマン……
  多くの一般人にては (美の三昧の極地)(幸せと楽の極地)など とても無理な話しだが 日頃から 少しでも
  美を追求している人や 日本人の美徳を心掛けて生活している人は 小阿弥こあみ と名づけても良いのではないか?  

  ついでに ”まつり”について
  普通に考えるのは 神社まつりである、神輿みこしを担ぐ 露店が出る 酒や飲み物で 皆 楽しく騒ぐ祭りのこと。
  いわゆる 神と一緒に楽しく盛り上がる期間の意味になのだが
  本来の祭りの意味とは 神と人間との間を 均り合わせて1つに成るという 意味があるのです。
  日頃 人は神を拝んでいるが 拝むだけのままならば 感性において 神との距離は 依然として 離れたままです。
  又 ただ 楽しく騒ぐだけでは 狎れあいが過ぎてしまい 神に対する礼を失しかねることに成りやすい。
  秩序と礼節が大事なのです、適度な秩序と礼節がある風習を護り 大楽に徹することで
  神の御心と一体となって 幸福感で人間の心が満たされるのです。
  これが ”まつり”の真義なのです。
 
  春まつりの主は 豊作祈願  秋まつりは 天地の恵みに報恩感謝するのです これが ま均り・祭り・です。
  神楽や踊りで楽しく盛り上がり 神人合一しんじんごういつ の目的をもって行うのが 間均り・祭りの真義なのです。
  このように “まつり”は 神人合一の儀式なので 最後に取り行う直会なおらい も大事なのです。
 日本人は妙に 遠慮深い気質をもつ人種故に 直会の席を譲りあって 皆が席につくまで えらい時間がかかる。
 これで オイラは いつも悩んでいるのです。
 こういう人たちは 下座の方ばかりに座りたがるのだが 責任者などの幹事さんに 勧められた時は
 「ハイ」と素直に行動して貰いたいものです。
 頼むぜ そこの遠慮がちな人々さん