太政官符 だじょうかんふ
 八幡大神が鷹の姿で現れたと 宇佐うさ 八幡宮はちまんぐう にある 記814年の最古の資料太政官符にある
 御心
みこころ が大変に荒々しく 人が5人行けば3人殺し 10人行けば5人殺した。
 
そこで 第32代崇峻すしゅん天皇辛嶋勝乙目 からしまのすぐるおとめ はふり に 任命し大神の斉敬 さいけい を命じた。
 辛嶋勝乙目
は 三年間祈祷して御心を和らげ 宮柱を立てて神社を建立しました。
 神社の名は 八幡大神
はちまんのおおかみ たか の姿をして現れた理由から 「鷹居社」たかいしゃ 名付けた。
  祝
はふり には 辛嶋勝乙目 禰宜ねぎ には 辛嶋勝布売からしまのすぐりめ が任官した。
  神職の名称には 祝はふり 禰宜ねぎ があり
 一般的には 神主かんぬし の長を 宮司ぐうじ とよぶ。
   禰宜は宮司の下の職のこと。

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応神天皇と八幡の大神」       歴代天皇の名
 宇佐神宮社伝 うさじんぐうしゃでん の中の 「宇佐神宮託宣集」 うさじんぐうたくせんしゅう の記には
  
第29代/欽明天皇
きんめいてんのう 32年(571年)2月初卯の日 池の笹の上に光輝く3歳の童子が現れた。
   この池は 「薦八幡宮」 つたはちまんぐう 三角池みすみいけ  のことで この池の中には 鳥居が立っています。
 
  その童子託宣たくせん を申された。
 
  『われは 第16代/ 誉田天皇広幡麿 ほむだすめらみことひろはたまろ なり
    われをば
護国霊験威力神通力大自在菩薩 
ごこくれいげんいりょくじんつうりきだいじざいぼさつ と申す
 
   誉田天皇 ほむだすめらみこと とは 品陀和気の命
ほむだわけのみこと  つまり 第15代/応神天皇 おうじんてんのう をいいます。
   その後 童子は黄金の鷹となり 駅館川東岸の松の木に止まった。

  疑問点?
    1 誉田天皇とは 第15代/応神天皇なのに 16代と名乗っているところ。
   
2 天皇は 天照大御神の子孫なのに 大自在菩薩という 仏教名を乗っているところ。