ユダヤ人の金銭観
ユダヤ民族は お金に関して 遠くローマ帝国時代から 九つに分類して考えてきました。
1) 幸福な金持ち
資産や預金・証券など 膨大にもっている大金持ちで 周りの人々をも豊かにしながら 幸せに暮らす人々。
彼らは さらに もっと 豊かに幸せになって 生きてゆくタイプ。 羨ましい オイラもなりたい……ボサツマン
毎日を自由に暮らしながらも 自分と他の人と共に 幸せで楽しいお金の使い方ができる人。
お金の不安から開放されている彼らは 縁あって知り会う人たちに 自分のもつ金運を 分け与える。
こういうお金もちと知り合いたいと オイラは いつも思っている……ボサツマン
2) 貯金好き
お金イコール貯金という構図を 小さい頃に 親から習慣つけられたまま じっと その習慣を維持している人々。
質素な生活を営む彼らは 大きなお金は使わず ただ コツコツと 一生 貯めつづける。
ただ 預金するだけの彼らは お金の運用や投資など 又 人生の転機にも ドーンと使うことは 絶対に無い。
彼らは 日常生活上で たとえば 欲しい・食べたいなどの欲求は 二番手で我慢して その差額を貯金するのです。
アンチ見栄っ張りの彼らは 相当な金額が貯まっても 他人に自分の財産を 自慢したり 鼓舞こぶすることは 絶対ない。
3) 稼ぎ中毒
純粋にお金を稼ぐことが 大好きで 金儲けが生き甲斐の人々。 お金儲けの話をする時が 一番幸せを感じる人々。
お金儲けが大好きで お金を稼いでいれば ハッピーな人間たちだが お金を使うことへの興味は 向上しない。
根は いい人だが お金儲けとなると ガラット変わる人々なので お金が関与しない付き合いは うまくいく。
4) 心配性
貧乏では無いのだが 常に お金に対して 恐怖心が消えない人々で いつも お金の心配ばかりしている人々。
投資の状況や 入金予定の日や金額の心配などで いつも胃腸がキリキリしているタイプ。
とにかく 毎日 帳簿や電卓と 格闘しているのです。
彼らは いつも キリキリしていなければ 心が落ち着かないので 世界一の資産家になっても このリズムは変わらない。
5) 無関心
今 自分のお財布にいくらあるかより 自分の研究対象の細胞の変化が気になる 研究者 教授などの人々。
お金に関する 心の安定度は最も高い人々。 お金から離れている自由人なので 非常に幸せな人たち。
お金に関心が無い人は 世の中にいないはずだが ごくごく稀まれだが 全くお金に関心無く 生きている人たちもいる。
6) 浪費家
お金を使う時に発生する エネルギーが 大好きなので お金が有っても無くても 使わずにはいられない人々。
お金は 楽しむための道具であると 思っているので まるで 邪魔ものを消すごとく どんどん使う人々。
財布に入っているお金は 必ず使ってしまう。
たいした目的もなく 次々と買い物で散財するタイプで 買った品物への興味は 長くつづかない。
買い物の時は 嬉しくてワクワクしていたのに 家に帰った瞬間に その物への興味が消える人たちである。
この人たちは 他人から頼まれると 断れない人が多く また 他人へ大判振る舞い(見栄を張る)する人も多くいる。
とにかく お金を湯水のように 使いたい願望から 抜け切れない人々。
7) ケチで浪費家
このタイプは いがいと多い。 言葉上では ケチと浪費家は真逆なのだが。
普段は 周りの人から 質素でケチと思われている人たちだが ある日突然 物にとり憑かれたように パットお金を使う。
質素にしている彼らは 当然、小金こがね は持っている。
家族や周りの人は ケチと思っていた人が 急にパット使うので 面くらいビックリする。
「どうしたの?」と 最初は必ず聞くが そのうち 慣れてくると「また始まった!」とあきれ顔になる。
8) ケチそのもの
お金を使うことは 罪悪と思っているタイプ。 少しの出費にも 苦虫顔で必ず文句を言う人々。
出費になることは一切しない お金がかかるという理由だけで すべて ボツにする人々。
彼らの根本理念は ひとつ …お金がかかるのか・かからないのか…しかない。
子供のやりたいこと・好きなことを すべて「お金がかかるからダメ」と 親に反対される子は 可哀そうである。
こういう子が 大人になると 親の反面教師で 浪費家になる人も 多くいる。
9) 清貧 せきひん
お金は汚いものと思っている人々。 お金が近づいてきたら 遠ざけたり 逃げ出したりするので いつも 財布は軽い。
お金を稼ぐことは 精神性が低い行為だと信じていて 清貧な生活を心のなかで 自負している人々。
又 このタイプは 基本的に 人生を楽しむとか 好きなものを買う喜びを 極端に嫌っている。
物欲に塗まみ れたくない 心の持ち主の彼らは 流行を極端に嫌う。 つづく 幸せな億万長者