第34章  第2代/綏靖天皇 すいぜいてんのう
 
  ……神武天皇(伊波礼毘古の命)の子供たち……
  最初の
阿比良比売あひらひめ を母として 多芸志美々の命たぎしみみのみこと 岐須美々の命さすみみのみこと の二人。
  次の
妻(皇后)伊須気余利比売いすけよりひめ を母としては
 
 日子八井の命 ひこやいのみこと  神八井耳の命 かむやいみみのみこと  神沼河耳の命 かむぬなかわみみ の三人。
  
都合 五人の子供がおりましたので 神武天皇の次の天皇には皇位継承順位としては
  最初の直系の男子という 基本セオリーからすると
  最初に生まれた男の子
 つまり
 多芸志美々の命 たぎしみみのみこと  天皇に即位するのが普通なのですが
  
第2代/綏靖天皇 すいぜいてんのう には五人目の末っ子
神沼河耳の命 即位されたのでした。
  これにはある出来ごとが 関係していました。
  神武天皇が崩御されたのち
 

   長男
多芸志美々の命 皇位を継承する前に 美人の皇后
伊須気余利比売娶ることになったのです。
  つまり
 長男が父の奥さんを 嫁にするということです。
  古代では
父の妻=義母を
自分の妻とすることが
多々ありました。
  こうなれば
 次のことがいえます。
  
多芸志美々の命二代目の天皇に即位しても 伊須気余利比売は皇后のままです。
  また
 
伊須気余利比売の三人の子は 多芸志美々の命の立場では自分の子にも成るのです。

  ま
他にも諸々の理由があって義母とそういう関係になったのでしょうが
  別の見方からすると
 内部の勢力の均衡を保つためなども大きな理由のひとつだったのかも知れません。
  しかしここまでの話ならばノー
プロブレム(何も問題は無い)のですが
  皇位継承の儀式が近くなったある日
  多芸志美々の命 異母兄弟の三つまり 皇后伊須気余利比売が生んだ三人の子
  
日子八井の命 神八井耳の命 神沼河耳の命の 暗殺計画を企てたのでした。
  ボサツマンの説教
   
このバカもの 何もそんなことを考えずに 天皇として天下の政治を 取り行えばいいのだ
  これに気づいた 伊須気余利比売(三人の母) この緊急事態を 三人の子に歌で知らせた。
  
佐葦
 さい 河よ 雲立ち渡り 畝傍山 うねびやま 木の葉さやぎぬ 風吹かむとす
  
畝傍山 うねびやま 昼は雲と居て 夕されば 風ふかむとそ 木の葉さやげる」と。
  佐葦河
 さいかわ  伊須気余理比売の住む地で 畝傍山 うねびやま  多芸志美々の命の住む場所です。 
  ”さやぐ”は
不穏な状況を意味する言葉。
  伊須気余理比売を母とする 
日子八井の命 神八井耳の命 神沼河耳の命の三皇子は
  母から届いた歌の書に書かれた危険な知らせ
 すばやく察知しました。

  三皇子のうち まづ
次男
神八井耳の命が太刀をもって 多芸志美々の命に立ち向かったが 恐怖心で
  手足が震えてまったく動けなくなってしまった。 危ない!次男が殺されてしまう。
  この時
 三番目の子神沼河耳の命がすばやく太刀を抜き 多芸志美々の命に飛びかかり 差し殺しました。
  これを見ていた 長兄日子八井の命
  
自分も 足がガタガタ震えて 立ち向かう度胸が出なかった。 弟よ お前は 大きな度量どりょう をもった人間です。
   私は長兄
ちょうけい だが 人間の上に立てる器うつわ では無い。 弟よ お前こそ 天皇に適任である。
   弟が天皇に即位し天下を治め 私は神を祀る役目を担って お仕えしようと思う
言いました。
  この長兄の意見に 周囲の多くの人々が賛同し大歓声の渦が日本中に湧き起こりました。
 こうして
神沼河耳の命第2代/綏靖天皇 すいぜいてんのう  即位されたのでした。
  この天皇の
皇后 河俣毘売かわまたびめ で 子は 師木津日子玉手見 しきつひこたまてみ  1人でした。
  在任期間は BC81〜49年。御墓は 衝田の岡
つきたのおか (奈良県高市郡)。         第35章へ