第42章   第12代 景行天皇
   第12代/景行天皇けいこうてんのう には
  
垂仁天皇と
氷羽州比売ひばすひめ の子 大帯日子淤斯呂和気の命 おおたらしひこおしろわけのみこと が即位された。
  景行天皇は 田部たべ 制度を制定し 作物貯蔵倉庫(朝廷直属の耕作部門)を定めて
  耕作地の用水の整備に力を入れ
 農業作物の育成を推進しました。
 景行天皇の御子 80人おります                  崇神天皇の御子
  その中の
 入日売いりひめ 10代/崇神天皇の皇子 入日子の命いりひこのみこと  の子である
  
若帯日子の命 わかたらしひこのみこと  第13代/成務天皇 せいむてんのう に即位された。
 景行天皇の息子に 大碓の命 おおうすのみこと  小碓の命 こうすのみこと が おりました。
  弟の小碓の命の別名は 倭建の命 やまとたけるのみこと です。
  美濃の国に
 兄比売あにひめ 弟比売おとひめ という名の たいそう麗しい美人姉妹がいました。
  天皇は
 この美人姉妹を召し抱える目的で 大碓の命 美濃の国に向かわせました。
  だが
 大碓の命は この美人姉妹を見た瞬間 あまりの美しさに驚き 天皇からの命令に背いてしまった。
  大碓の命は 美人姉妹の二人とも 自分の妃
きさき にしてしまったのです。
   
  そりゃ まづいしょ 天皇の女に手を出しちゃ 男の風上にもおけないぜ‥‥‥ボサツマン でもオイラも美人にゃ弱いが
 大碓の命は このままでは天皇に斬られるので 替え玉の乙女二人を 天皇のもとへ連れて帰りました。
  
景行天皇 すぐに 違う乙女であると分かったのだが 何も言わず 冷静な顔のままでした。
  だが 替え玉の乙女二人は 召し抱えられることはありませんでした。
              なんとまあ〜 寛容な性格の天皇なのでしょう オイラは 真似できないな!‥‥‥‥‥ボサツマン
 一方の大碓の命 しかとした顔で 兄比売あにひめ 弟比売おとひめ の二人の美人と 暮らしていました。
  しかし 日に日に 後ろめたい気持ちが強まり 父の前に顔出すことができません。
  
天皇は 大碓の命のを見抜いていたが とくに責めることは ありませんでした。
  しかし 大碓の命は天皇家の長男です。 宮中の集会に 毎度
毎度 欠席してはいられません。
  そこで
 踏ん張って父の宮へ行くのですが 後ろめたい心からか 激しい動悸が起きぶっ倒れる始末です。
  それ以後 大碓の命は 父の宮の家族だけの定例食事会にも 欠席するようになりました。
           目は心の窓です。人は皆、後ろめたい気持ちがあると 相手の目を正視せいし 出来ません。
   
          大碓の命よ 正直に全てを話して 父に謝ることが先決だ スッキリできるぞ ‥‥‥ボサツマン
 そんな折 景行天皇は 家臣の者に
 
兄は最近は 朝夕の大御食おおみけ にも出てこないが 体調でも悪いのか?と 聞いてくることを命じました。
  ばつが悪い大碓の命は 家臣の訪問にも 応対することなく
返事もしませんでした。
  それでも
 天皇は
  「兄は 今 忙しいのかも知れない
 あるいは 悩みがあるのかも…… ま 暫くそっとしておこう そのうちお顔を出すだろう。
  
頼って来た時に 受け止めて力になってやるさ それまでは このままでいいか!
  
まあ!
そのうち 小碓こうす の命にでも 様子を見に行かせるか」などと 軽く考えていました。
  天皇は 息子の不埒千万
ふらちせんまん な行動を まったく 気にしていませんでした。
    
  一方 弟の小碓の命叔母おば である 11代/垂仁天皇
伊理毘売 いりびめ と結婚しました。
     
         ええ〜!叔母と甥っ子の結婚?  オイラがガタガタ言う立ち場じゃないか ‥‥‥ ボサツマン
 ある日 天皇は弟の小碓の命に お前が 兄の話をよく聞いて 労ねぎらっ てきなさい 命じました。
  しかし その後 何日経っても 依然として
大碓の命は 顔を見せに来ません。
 天皇は不審に思い兄は どうしていつまでも出てこない 兄はどうしているのか?」と 小碓の命に聞いた。
  小碓の命の答えは
  
兄を 待ちうけて捕まえて 腕と足を引き抜き 薦こも (むしろ)に包んで 投げ捨てましたと。
  
そこまですれとは 言ってないぞ。 私はお前に 話してねぎ諭さと せと 言ったのだ 天皇は弟の乱暴を咎とが めた。
 
しかし
 非常に気が強い性格の小碓の命は
  
兄が 間違っています。天皇は父なのです 天皇への裏切り行為は 許してなりません 言い返した。
          ★ ねぎ諭さと すの意味は 慰労して心をやわらげること。 諭すとは よくわかるように 言いきかせること。
 小碓の命は 気の強い性格とキレる頭脳をもち 且つ 頑丈な身体にも恵まれていました。
 
景行天皇は 自分の子ながら 小碓の命こうすのみこと の猛々たけだけ しい気質に 恐れを感じておりました。
 そこで 天皇は
 ーこんな激しい気性の子は 地方の反逆部族の討伐に最適であると考えたのでした。
 そして 天皇は
反逆部族の征伐せいばつ を 命じたのでした。

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