分別功徳品 (12)
世尊
「次に、さらに修行が進んだ段階 兼行六度 けんぎょうろくど を説きましょう。
今説いてきたように この教えを受持し広める人には、誠に量りしれない功徳が、与わります。
とくに 六波羅密はらみつ (布施ふせ 持戒じかい 忍辱にんにく 精進しょうじん 禅定ぜんじょう 智慧ちえ)の修行を積む衆生には
最もすぐれた功徳が与わります。 「六波羅密」・分別功徳品・
例えば 虚空こくう が東西南北、四維しゆい (南東・南西・北東・北西)、上下、と無限に広がっているように、
その衆生に与わった功徳も無限に広がり、その衆生は最高の智慧の境地に、到達できるでしょう。
衆生の修行が、ここまで進んだ段階を、兼行六度といいます。
この兼けん とは、教えを受持・読誦・説法する行と共に、六波羅密も兼ねて行じるという意味です。
しかし、この段階の衆生は、まだ六波羅密をすべて完全に行じることは とうてい 無理なことなので、
その衆生の分に応じて、機会に応じて、できることから行うようにしましょう」。
ボサツマン お礼を述べる
「方便品第2で世尊は、仏の教えはできることから行い だんだんと修行を積んでいくように……
又 教えに入るのは、どんなところからでも良いと、説いてくれました。
子供が砂を集めて仏塔に似たものをつくることも 仏の道にはいる門である、と教えてくださいました。
このように、無理なく修行を続けて良いのですよと、世尊の慈悲ある言葉を聞くことができたので
我々凡夫の気持ちはす〜と楽になりました。 慈悲ある言葉を頂き、うれしく感じております。
非常にありがたい言葉でありました。
すべて完全におこなうことは、普通の人間には、まづもって無理なことと思います。
世尊が仰った慈悲ある言葉から、仏の心の尊大さを この座の皆は感じました。ありがとうございます」。
オイラも いいこというようになったなあ‥‥ウン・ウン‥‥ ただの自己満足!
世尊 つづける
「私(世尊)が在世ざいせ の今は、仏の弟子の皆さん方に、私が直接 仏の智慧を指導することは可能です。
今は 皆さんはこの仏の智慧を学びながら 私の目の前にて
布施ふせ 持戒じかい 忍辱にんにく 精進しょうじん 禅定ぜんじょう の五波羅密を行じることができます。
しかし、私の滅後の末世まつせ の時代では、自分の力ですべてを学び、修行しなければなりません。
とくに大切な、仏の智慧・般若の智慧については
弟子たちが「結集」けつじゅう した経典の中から、自分で探し求め・自分で会得えとく していかねばなりません。
このように 末世においては 六波羅密ろくはらみつ を行じることは 強い意志が必要となります。
この理由から、末世において六波羅密を行じることは、非常に至難であると、私はハッキリ伝えるのです。
至難の修行だからこそ、末世において、六波羅密を行じる衆生には、大きな功徳が授かるのです。
私から直接指導が受けることができて、私(世尊)の前で修行ができる この法座の皆さん方は
非常に恵まれておるのです。
しかし、仏の滅後の世界は、いまの社会形態とは、大きく様変わりしています。
つまり、末世まつせ の修行者たちの境遇や環境は、今と皆、全く違う時代になっております。
なぜなら、宇宙の法則である諸行無常しょぎょうむじょう (常に変化している)だからです。
こういう意味で、末世の衆生は、自らの強い意思で 修行に取り組まなければ なりません。
だから、末世の時代にこそ、六波羅密の修行を行うことが、非常に価値あることなのです。
ボサツマンよ、このことを良く理解しておくのですよ」。
かしこまりました だいじょうぶです おいおい!ほんとに大丈夫か?‥‥‥ボサツマン つづく