本仏・本門ー迹仏・迹門 ・ほんぶつ・ほんもん・しゃくぶつ・しゃくもん・
世尊は、
「私は、無限の過去から、この娑婆世界で衆生に説法し教化し導いている」と 説いている。 「この経文の1節」
本仏・ほんぶつ・とは、宇宙に遍在する仏・ほとけ・で、宇宙の真理ー根源力・大生命ーのこと。
迹仏・しゃくぶつ・とは、本仏がこの世の人間として現われた、釈尊(釈迦牟尼世尊)のこと。
本門・ほんもん・とは、本仏の教えのことで、苦悩の衆生を救う仏の慈悲心が教えの中心をなしている。
本門の教えは、 神秘的で 不可思議な如来の神力・じんりき・。
地上に出現された限りある生命体の、人間の釈尊の説く教えをいうのではなく、
宇宙に遍在して存在する、無始無終・むしむしゅう・の大生命である、本仏・ほんぶつ・の教えのことです。
世尊は、いろいろな方法と言葉を用いて、法華経の教えを説いています。 だが、仏の教えを貫く真理(法)はひとつです。
本門も迹門も、その教えは渾然・こんぜん・として一体であり、ひとつの真理がその元にあるのです。
迹門・しゃくもん・とは、迹仏の釈迦牟尼世尊が説く教えで、釈尊が修行体験で会得した仏の智慧の教えのこと。
迹門の教えは、 人間/釈尊の説法。
世尊が成道・じょうどう・して以来、入滅するまでの約50年間、説法して歩いた教えのこと。
世尊が修行で悟った真実を、哲学的に倫理的に、あらゆる衆生にも、のみ込みやすく説いた教えです。
この世界はこういう成り立ちである、人間とはこういうものだ、人間はこう生きるべきである、
人間社会の関係はこうあるべきである、などを説いた教えです。
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例として: 本仏と迹仏の関係は、電波とテレビの関係。
放送局が発信した電波は、目にも見えず・耳にも聞こえず・触れる感覚も無いが、周りには満ちている。
だが、テレビのスイッチを入れると、電波を受信して 放送される画像が見え・音が聞こえてきます。
この場合、
本仏・ほんぶつ・とは、各放送局で話をしている、アナウンサー本人と考えることができます。
迹仏・しゃくぶつ・とは、家庭のテレビに映る、アナウンサー本人の姿・画像・音声と考えられます。
本仏は、電波によって迹仏を現わし、我々は、迹仏によって本仏を見ることができます。
本仏は、無始の過去から、無終の未来(無始無終)に、この宇宙のすべてに遍在している真理です。
我々は、この世に出現された迹仏の釈尊から、本仏の教えを学ぶことができます。
放送局では多くの人々がテレビの見てくれることを、期待して電波を送っています。
それと同様に、宇宙の「本仏」は、人間・あらゆる生命を救おうという意思で、宇宙に遍在しています。
つまり、いつでも迹仏の教えから、本仏の教えを聞くことができるのです。
そのためには、自分自身の意思で、スイッチを入れ ダイヤルを真理の波長に合わせることなのです。
つまり、教えを聞こうと思う心を起こすことが、先決なのです。