法師功徳品第19 ほっしくどくぼん (1) 「2」 「3」 「4」 「5」
法師ほっし ー信仰の度合が進んだ信仰者ーの功徳を説く
世尊
「法師ほっし とは 出家の僧に限らず 在家の老若男女を問わず・どなたでも 仏の教えを信じ・受持し
世に広める努力を行う衆生たちのことです」。
ボサツマン
「前に、世尊から 「五種法師」ごしゅほっし を学びました。オイラも法師目指して修行しています……」。
あれ!世尊から ご苦労様の言葉と励ましが 無いや……でもオイラ 頑張るんだ
世尊 常精進菩薩じょうしょうじんぼさつ に
「常精進菩薩よ、五種法師の行をすべて完遂した者には 功徳が与わるのです。
眼げん 耳に 鼻び の功徳が各々八百 舌の功徳が千二百 身の功徳が八百 意こころ の功徳が千二百の
それぞれ功徳を得て、六根の作用はすべて美しく・清らかになるのです。
これらの数字は、具体的な数ではなく、完全・完璧を譬えた数字ですので とくにこだわることはありません。
ズバリ、五種法師の功徳とは 六根が清浄(眼・耳・鼻・舌・身・意が清浄)になることです。
そのひとつひとつを、具体的に説きましょう。
眼の功徳とは
父母所生ふぼしょしょう の清浄しょうじょう の肉眼で 三千大千世界の内外の山・河・林・海・を見て 下は「阿鼻地獄」あびじごく に至り
上は有頂うちょう に至らん。 亦 一切衆生を見 及び業ごう の因縁 果報の生処しょうしょ 悉く見て 悉ことごと く知り得る。
未だ 天眼てんげん を得ず といえども‥‥。
意味
この教えは、父母から与わった肉眼ですらも、五種法師の行を行うと 清浄の眼まなこ になるのだから
下は阿鼻地獄から、上は天界までの この世界のすべての真相が、ハッキリと見えて理解できるのです。
そして、その世界に住むあらゆる生き物の生態が 手にとるように見えてきます。
又、世界で生じたり滅したりしている すべての物事の原因から結果までを 悉ことごと く知り得るのです。
天上界の人が持つ、あらゆるものの真相を見分ける眼まなこ を もち具えていない衆生でも、
つまり、人間界に住んでいても、このようなことができるようになるのです。
清浄の眼まなこ で心が平静なので 荒々しい感情の波は無く、心が澄み切った無我むが の境地を得るのです。
先入観や主観はすっかり消えているので、真相がハッキリと、目に映るのです。
譬えを加えて もう少し説明しましょう。
火に熱せられた水は、沸騰ふっとう すると 煮に えたぎるお湯となって、グツグツと波打ちだします。
波立つその水面は、ものの相すがた を 如実にょじつ に映すことができません。
同じく 水草に覆われた水面も、風が吹き波立つ水面も、ものの相すがた を如実にょじつ には映しません。
心の眼まなこ は 水面と同じことなのです。
自己本位の考え方で心の眼が沸きかえっていたり、感情のどよめきなどで覆われていたりしている
つまり 心の眼まなこ が波立っているのは 迷いに心が支配されているときなのです。
この迷いを消え去ったとき、衆生は はじめてものの実相じっそう を見ることができるのです。
菩薩の領域を得た常精進菩薩よ、この意味を深く理解できるでしょう。 ハイ……常精進菩薩 世尊に 礼拝合掌
では次に 耳の功徳を説く前に 菩薩の四無畏を説きましょう」。
(2)へつづく