如来神力品 (8) 未来人一 咸皆帰命 未来行一
世尊
「次の経文を 説きましょう。
彼か の 諸々の衆生 虚空こくう の声を聞き合掌して 娑婆世界に向かい
是かく の如ごと き言葉 南無釈迦牟尼仏 なむしゃかむにぶつ なむしゃかむにぶつ なむしゃかむにぶつ と唱えり……とあります。
この意味は
虚空から清く美しい諸天・善神の声が聞こえてきた時、宇宙間のあらゆる生命は、
皆一斉に 娑婆世界の方角に向かい南無釈迦牟尼仏なむしゃかむにぶつ 南無釈迦牟尼仏 南無釈迦牟尼仏と唱え始め
皆、釈迦牟尼仏の教えに帰命きみょう いたしました。
今現在、まだ 仏の教えを聞く機会に出会っていない人も 多くおります。
又 法に触れる機会に出会っていても、まだ教えを聞く気になれない人も 多くおります。
又 教えを聞いたけれど、教えから離れていく人も あるいは 間違った思想に傾倒している人も…
又 ただただ・馬車馬のように働く生活だけの人も… 道徳や法律に反した悪行を行っている人なども‥‥
この娑婆世界に住む衆生の人生は、まさに、千差万別せんさまんべつ なのであります。
とにかく この娑婆世界には さまざまな段階の人々がいるけれども
未来世においては、すべての人が皆、仏の教えに帰命きみょう するのです。
未来世の娑婆世界には 悪人や愚者おろかもの や堕落した人などは、誰もおりません。
確かなことは、未来の娑婆世界は 未来人一みらいにんいつ の境地となることです。
未来の娑婆世界が未来人一の境地と成る、という教えを、咸皆帰命かんかいきみょう の教えといいます。
普見大会ふけんだいえ にて、空中唱声くうちゅうしょうしょう の教えを聞き、歓喜感動したすべての衆生は
南無釈迦牟尼仏 なむしゃかむにぶつ と、一斉に合掌し唱えはじめました。
普見大会の衆生は皆、仏の説く、咸皆帰命かんかいきみょう の教えを心から信じて、
未来世の娑婆世界が必ず、未来人一みらいにんいつ の境地になることを、心から願いました。
つまり 未来世の衆生が皆、仏の教えに帰命きみょう し、娑婆世界が仏国土と成ることを願ったのです」。
次の経文を 説きましょう。
種種しゅしゅ の華け 香こう 瓔珞ようらく 旛蓋ばんがい 及び 諸々の厳身げんしん の具ぐ 珍宝ちんほう 妙物みょうもつ を以て
皆 共に 遙はる かに娑婆世界に散ず。 所散しょさん の諸物 十方より散じ来ること 譬えば雲の集まるが如し。
変じて宝帳ほうちょう となって 遍あまね く この間の諸仏の上みうえ に 覆おお いたまう……とあります。
この意味は
仏の御身おんみ を飾る さまざまな花・香・瓔珞ようらく 旛・天蓋てんがい やさまざまな道具・宝物などが
虚空から娑婆世界に降ってきました。虚空から散じ降るその有様は、まるで雲が集まってくるようです。
それらが地上に達すると、紗しゃ の如く透んだ美しい帳とばり と変わり 諸仏の上を覆ってしまいました。
未来行一みらいぎょういつ の教えを説くこの経文は 未来における仏ほとけ を供養する有様を描写していています。
日常における仏の供養は、多種多様たしゅたよう で、千差万物せんさまんべつ なものですが、
衆生のその供養の心が 仏さまの御心みこころ に叶うということにおいて、一様(同じ)なのです。
未来行一の教えは 未来の衆生のすべての行いが 仏の心にかなう供養の境地の教えなのです。
未来世の娑婆世界の衆生は 皆 未来行一みらいぎょういつ の境地を得 仏の御心・みこころ・に叶う生き方になり
皆、安心あんじん の境地に至るのです」。 (9)へつづく 未来理一 みらいりいつ