嘱累品第22 ぞくるいぼん (1)」
如来神力品第21の教えを説き終えた世尊は 厳おごそ かに立ちあがり
右の手で菩薩たちの頭を撫で信任しんにん の意を表わし ーお前たちに任せるぞー と言いました。
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世尊
「私は 無量百千万億阿僧祇劫 むりょうひゃくせんまんのくあそうぎこう もの長い修行を積み重ねた結果、
仏の悟りである 阿耨多羅三藐三菩提 あのくたらさんみゃくさんぼだい を 得ることができました。
この悟りを未来世へ伝えていかねば なりません。
その大事な役目を、今 私(世尊)は 信頼している汝等なんじら に託するのです。
汝たちが、私の滅後にて この法を広宣流布こうせんるふ し、衆生の真の幸福を実現するのです。
私は、ほどなく入滅するのです。後は 汝等なんじら がこの法を広めるのですよ」。 「阿耨多羅三藐三菩提」
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師匠・須梨邪蘇摩すりやそま が 愛弟子・「鳩摩羅什」 くまらじゅう に法華経を授けたときも
愛弟子の頭を撫で、汝・慎んで伝弘でんぐせよと言った。釈尊の行動を見習ったのでしょう。……ボサツマン
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「私は(世尊)は、菩薩たちの頭を三度・撫でながら、三度・次の経文を繰り返しました。
我 是の得難き 阿耨多羅三藐三菩提の法を 修習しゅうしゅう せり。 今以て 汝等に付属ふぞく す。
汝等なんじら まさに 受持じゅじ し 読誦どくじゅ し ひろ 此こ の法ほう を宣の べて
一切衆生をして 普あまね く 聞知もんち することを 得せしむべし。 所以ゆえ は何いか ん
如来は 大慈悲だいじひ あって 諸々の慳恡けんりん なく 亦 畏おそ るる所なくして
能よ く衆生に 仏の智慧 如来の智慧 自然じねん の智慧を与う。
この意味は
仏の悟りは 並みたいていの努力で得られるものではなく、とても、得難きえがたき ことなのです。
長い前世ぜんせい における修行はもとより、私(釈尊)がそうであったように、現世げんぜ においても、
あらゆる苦心くしん を重ねた修行の結果、ようやく、悟りの境地に到達できることなのです。
仏は、その得難きえがたき尊い悟りを 慳恡けんりん なく(惜しまずに)、すべての衆生に、教え与えるのです。
衆生が、廻り道をすることなく、まっすぐに(疾く・速く) 阿耨多羅三藐三菩提 あのくたらさんみゃくさんぼだい の境地へ
到達できるようにという 仏の大慈悲心で、仏の智慧・如来の智慧・自然じねんの智慧を与えるのです。
私は、衆生の皆が、自分と同じ苦労をしなくても悟れる道を、説いているのです。
私は、自分が悟った境地・悟りに至る道を 少しも惜しむことなく、公開する目的は
衆生たちが、苦心くしん を重ねることなく もっと早く修得できることを願っているからなのです。
これが仏の導きの心なのです。仏の大きな慈悲心なのです。 ここをよく理解せねばなりません。
経文にある畏るる所なくしてとは、恐怖の意味ではなく、邪心が無い(清浄の心)ことです。
法を説くことで、報酬が得られるとか、偉い人と思われるとか、そんな邪心は何も無いという意味です。
如来は大慈悲から法を説くので、法を惜しむ気持ちなど、微塵みじん もありません。
仏は、心に邪心は無く、悠々ゆうゆう として、自在に法を説くのです」。
如来は 三つの智慧を衆生に与え授けます。
仏 の 智慧とは 宇宙の真理の智慧をいう。 仏ほとけ は仏陀ぶつだ の略。 「
如来の智慧とは 如来の慈悲から出た智慧で、如来にょらい とは 真理の世界から衆生の世界へ来た者。
自然の智慧とは 信仰の智慧のことで、自らの信心から生じた智慧という意味。
(2)へつづく