薬王菩薩本事品第23 やくおうぼさつほんじぼん (1)
「2」:「3」:「4」:「5」:「6」:「7」:「8」:「9」:「10」:
「従地涌出品第15」 じゅうぢゆじゅつぼん で 世尊は
娑婆世界の衆生の教化の役目を 地から湧き出た地涌ぢゆ の菩薩たちに、命じました。
そして 真理の如来である多宝如来たほうにょらい が出現されて
釈迦牟尼如来しゃかむににょらい が説く 法華経の教えは真理であることを、証明されました。
且つ 末世には法華経の教えに依って、娑婆世界が寂光土じゃっこうど (浄土)になる結論も決まりました。
又 「如来神力品第21」を説き終えた世尊は おごそかに法座から立ちあがられ すべての菩薩たちの頭を
信任しんにんの意を込めて右の手で撫で 法華経の広宣流布こうせんるふ を任せました。 めでたし・めでたし。
「ここの文節」
世尊の滅後の末世まつせ にても 法華経の教えが広宣流布されることが、ハッキリと見極められたので、
無事 自分の役目である真理を証明し終えた 多宝如来たほうにょらい は心から安心されたので
釈迦牟尼如来に別れの言葉を告げて、真理の世界へお帰りになりました。
又 十方の世界から来集らいしゅう された無量の諸仏も 世尊に合掌・礼拝し 自分の国土へ帰りました。
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ここで 法華経の教えは ひとつの区切りと思えるが まだ つづきます ‥‥‥‥‥ボサツマン
植木等・昭和のコメディアンの言葉登場です。 ”分かっちゃいるけどやめられない”
植木等の歌にあるように、人間という生き物は、頭で分かっていても、なかなか実行できないものです。
中江藤樹は、「知行合一」=知ることは行うことである、と説いています。 「中江藤樹の言葉」
そこで 世尊はつづけて 第23品〜第28品の経典を説き、先人の努力の実例を述べています。
世尊は 末世まつせ において 仏の教えを信じ実行する衆生たちが 弱い心に負けて
法華経を世に広める決意が失せることのないように・気持ちが萎ちぢ むことのないようにと
親心から説いている叱咤激励しったげきれい なのです。
遠い過去世に、仏の道を求め努力した人がおりました、こういう修行を追及した人がおりましたなど
また こんな功徳を得たという過去の実例などを説いて 怯ひる みやすい凡夫の心を奮起させています。
つまり 先人の努力を学び心を奮いたたせ、どんなに厳しくてもメゲずに、法華経の広宣流布こうせんるふ に
努めて欲しいと親心をこめて 世尊が励ましているのです。
我々・衆生のお手本は 勿論・世尊ですが、世尊はあまりにも完全無欠な存在なので
残念ながら 凡夫の衆生は、真似しようとしても、簡単には真似できないのです。
そこで世尊は、この薬王菩薩本事品第23を説き 薬王菩薩を手本に示しているのです。
そうですよね 凡夫はこんな程度なんです とくにオイラはなさけない‥‥‥ボサツマン
ひとりの菩薩のひとつの徳や、ひとつの行為ならば 普通の衆生も無理なく見習うことができます。
1歩進んで半歩後退するような 怠りがちな心がすぐ起きる衆生でも 可能なのかも知れません。
世尊は、このように深く、われわれ衆生のために、考えてくれておりました。
世尊 ありがとうございます 合掌 ‥‥‥‥ ボサツマン・衆生一同 (2)へつづく