薬王菩薩本事品 (3)
世尊 つづけて
「日月浄明徳如来の説いた 法華経の供養を終了した一切衆生憙見菩薩は
三昧境さんまいきょう から覚め、身を立ち起こした時、ふと ある考えが浮かびました。
こうした神力じんりき をもって、仏を供養することは、確かに大切なことではある。
又 自在な神通力を得て 仏法を広宣流布こうせんるふ ことは、もちろん 仏への最大の供養ではある。
だが 自分の身をもって供養することの方が大切なのではないか?という考えになったのでした。
しかし、何から行えばよいのか、まだ決心できないままでしたが、考え抜いた結果
彼は 仏を供養するには、まづ自分の身を清めることが、第一であるという結論に至りました。
そこで、諸々の美しい香りの香・花・香油を、1200年もの間飲みつづけ、身を完全に清浄にしたのでした。
肌にも香油を塗り衣にも香油をそそぎ 日月浄明徳如来にちがつじょうみょうとくにょらい の御前に馳せ参じました。
一切衆生憙見菩薩は、仏恩に報いる目的で 自分が大きな力を得たいという強い願がん をかかげ
その仏前にて 自分の香油を塗った衣服(身)に火をつけたのです」。
ちょ ちょっと え~!危ないしょ いやそれより 熱いし痛いでしょ‥‥‥ボサツマン
一切衆生憙見菩薩の身が燃える火の光は、80億恒河沙の世界の あまねく闇を照らしております。
その光明によって、照らし出した世界の諸仏たちは、口をそろえて
『善哉・善哉 たいへん立派である。善哉・善哉 完全無欠な行為である。これが本当の精進しょうじん である。
この行為こそ本物の供養である。どんなに立派なものを捧げた供養でも この供養には及ばないのである。
例え 一国を仏にさしあげ、あるいは妻子までも仏にさしあげて仕えたとしても、及ばない供養である。
善男子よ、諸々の布施の中で、最も尊く 最も価値のある供養とは これなのである。
それは 身をもって仏を供養するものであるからである』と、褒め称えました。
このように、世界の諸仏の賛同の意をうけて、一切衆生憙見菩薩の放つ光明の光は、輝きつづけました。
一切衆生憙見菩薩の身は、1200年も燃えつづけたのち、やがて寿命が尽きたのでした」。 (4)へつづく