薬王菩薩本事品 (6)
世尊
「師匠/日月浄明徳如来が滅度めつど され、前世の弟子・一切衆生憙見菩薩は、悲しみで泣き悶えていました。
月日が過ぎていくも 師匠を恋慕・れんぼ・する一切衆生憙見菩薩の心は 治まるどころか、深まるばかり。
弟子の一切衆生憙見菩薩は、最後の供養の意味で師匠の身を火葬し、心に区切りをつけることを決めた。
そして 香りの良い栴檀せんだん の木を集め 「須弥山」しゅみせん の麓ふもと の海岸に供養の祭壇をつくり
師匠の日月浄明徳如来の身を、火葬してねんごろに弔とむら いました。
この時 弟子の憙見菩薩は 仏の教えが後世にも永遠に残りつづくことを 強く願い・記念として
師匠の仏舎利を八万四千の宝の甕かめ に納め、八万四千の仏塔ぶっとう を建てお祀りし 供養いたしました。
だが、それでも、憙見菩薩の心は、晴れませんでした。
まだ何かをやり残している、まだ何かが足りない、という気持ちが ず〜と、つづいておりました。
まだ ほかにもできる供養が きっとあるはずだ、という思いが心の中から消えませんでした。
そこで、もっと仏舎利を供養したいと念願をたて 諸々の菩薩や諸天及び一切の生命に対して
ー私はこれから、日月浄明徳仏の舎利しゃり を供養いたします。
その供養がどんな意味をもっているか、諸々の菩薩や諸天よ よく見てよく考えてみてくださいー。
このように 諸々の菩薩や諸天及び一切の生命に、叫んだ一切衆生憙見菩薩は、
まもなく、八万四千の塔の前で自分の腕に火をつけて、燈明とうみょう をかかげ 十方世界を照らしました。
その輝かしい明あかり を放つ燈明の灯り火は、七万二千年も長く 燃えつづけておりました。
そのようにして その光明は、十方世界の生命の心の闇をも 照らしだしております。
その光明に照らし出された十方世界の生命は皆 心の底から 悟りを得たいという気持ちが湧き起きて
すべてのものが、現一切色身三昧げんいっさいしきしんざんまい を得ることができました。
このように
一切衆生憙見菩薩は、最初は 仏の教えが永遠に残るようにと願い、八万四千の立派な塔を建て
その塔に師匠(日月浄明徳如来)の仏舎利を納めて、供養したのでした。
さらにまだ、供養が不足と思い 自分の身を燃やした燈明とうみょう で、十方世界を普あまね く照らしました。
つまり、多数の仏塔を建てて供養し、自分の身に火をつけて燈明を輝かせ
最大の供養を実行しました。
すると その大燈明を放つ供養の心が、普あまね く十方世界の心の闇を、明るく照らし出したのです。
一切衆生憙見菩薩の放つ大燈明の光は、一切の闇を消し去り、十方世界の衆生の心を明るく輝かし
普あまね く世界の衆生・すべての生命たちを、仏の悟りの道に導き入れました。
皆さん、身をもって行う法(仏)の実行は、このようにとても大きな価値をもつ大きな功徳となるのです。
ところが、これを見ていた諸々の菩薩・諸天・人間・一切の生命のものは、
一切衆生憙見菩薩の腕が焼けてなくなってしまったので、非常にビックリし大変心配しております。
私たちを教化してくださった師匠である 一切衆生憙見菩薩は、
今 両腕を焼き尽くし不具の身になってしまわれた。 これは大変なことになってしまった。
いったいどうしたらいいのだろう。皆、慌てふためき、歎き悲しむばかりでありました。
衆生の歎き悲しむ姿を見た一切衆生憙見菩薩は、誓言せいごん して、皆に
ー皆さん 私は両腕を捨てましたが その代り 金色の仏の相すがた を得ることができたと 信じています。
又 仏の教えを身をもって実行した功徳で 仏の智慧を得ることができたと 信じています。
私のこの信心が真実ならば この無くなった腕は 必ず元どおりになるに違いありませんーと、申したその瞬間、
一切衆生憙見菩薩の両腕は、すっかり元どおりに、戻っておりました。
つまり この憙見菩薩の行い・徳・智慧が真に淳厚じゅんこう (純粋で奥深い)であると、証明されたのです。
一切衆生憙見菩薩の両腕が 元どおりになった現実を見た天地一切の生命たちは
安心をとり戻し、心から感動が湧き起こり喜びで大歓声だいかんせい の渦となりました」。 ‥‥‥合掌
(7)へつづく