薬王菩薩本事品 (7)
「世尊、憙見菩薩の自ら焼き尽くしてしまった両腕が、また元どおりに戻った、ということは、
どのような意味の教えなのでしょう?」 …… とボサツマン質問しました。
世尊 「響く言葉・Ⅹ」
「ボサツマンよ、いい質問です。良い質問は答えより重要とリチャード・ベルマンも言っています。
これは、菩薩行の理想の心境を、象徴しています。
両腕を焼き尽くすという行動は、はたの人から見ると、さぞ苦痛を伴う野蛮な行為と思えますが
大菩薩の境地に達した菩薩には、苦痛などは微塵みじん もありません。
大菩薩の境地に達すると、法のために自分の身をいくら犠牲にしたところで、まったく苦痛は感じません。
この境地が、楽ねが って法を説く境地である 「楽説無礙弁才」ぎょうせつむげべんざい の境地なのです。
この境地は 以前にも説明しました。ここまできて本物なのです。ボサツマンよ、理解できましたか?」。
ハイ 了解です‥‥ボサツマン オイオイ 世尊に了解は失礼な言葉だぞ
世尊
「さて、宿王華菩薩しゅくおうげぼさつ よ、冒頭に質問した薬王菩薩について答えましょう。 「この冒頭の文節」
この一切衆生憙見菩薩が、現在の薬王菩薩やくおうぼさつ なのです。
娑婆世界で自在に法を説く薬王菩薩のその神通力は、こういう因縁いんねん で得た力なのです。
宿王華菩薩よ、仏の智慧を得たいと望み・発心ほっしん する衆生があれば、
一切衆生憙見菩薩の真似までしなくても良いのですが
その衆生は 自分の手足を少しでも使い 仏の教えを実行し・仏を供養することが大切です。
この供養は 三千大千世界さんぜんだいせんせかい に溢れるほどの宝をもって、仏や仏弟子たちを供養するよりも
又は ありとあらゆる物を具えて行う供養よりも、すぐれた供養といえます。
さらに 法華経の中の短い偈でも、しっかりと受持したならば 多くの功徳を受けるでありましょう。
宿王華菩薩よ、このように 法華経は最高の教えなのです。これは真実なのです」。
「世尊/薬王菩薩の過去世を説く」・妙荘厳王本事品・
世尊 十諭称歎 じゅうゆしょうたん を説く
「では次に、法華経の教えが最高で最勝であることを、十のものに譬えて、説きましょう。
どんなに大きな河であっても、海の偉大さには及ばないと同じように、
法華経は、如来の多くの教えの中でも、最も深く、最も偉大な教えです。
すべての川の水が海へ流れる如く すべての教えを網羅し統一し調和している教えが 法華経なのです。
又 数ある山の中で「須弥山」が第一の山の如く 数ある経典の中で最も高い経典が 法華経なのです。
闇夜では月が最も明るいように、法華経は数ある諸経の中で、人々の心を照らす最上の経なのです。
太陽の光の射す所、一切の暗黒が消え失すように 法華経は一切の暗黒を照破しょうは する経なのです。
又、諸々の小王しょうおう のなかで 「転輪聖王」てんりんじょうおう が第一の王であるように
又、帝釈天が諸天善神の王であるように、法華経は 諸経の中の王であります。
私が仏の教えを説く以前、インドの地では「梵天王」が一切衆生の父と、皆が伝口でんく していたように
又、一切の賢者や聖者や学(まだ仏の教えを学びつくしていないもの)や 無学(仏の教えを学びつくしたもの)や
仏の境界きょうがい に達したいと願う菩薩・衆生には、法華経は真理の道へ導く衆生の父の経となるのです。
又、声聞の修行を修得した須陀洹しゅだおん 斯陀含しだごん 阿那含あなごん 阿羅漢あらかん 辟支仏びゃくしぶつ や
優秀な仏弟子ぶつでし や 仏・菩薩・声聞の境地の人が説く教えの第一が 法華経なのです。
故に 法華経の経典をよく受持する衆生は、一切衆生の中で第一なのです。 「声聞の修行・四段階」
又、声聞しょうもん や辟支仏(縁覚えんかく) ほか 一切の仏弟子の中でも、菩薩が第一の仏弟子であるように
法華経は、あらゆる経法きょうぼう の中の第一の教えです。
そして、仏がすべての教えの王であるように、法華経が、すべての経の中の王であります。
宿王華菩薩しゅくおうげぼさつ よ、これで、冒頭の薬王菩薩については、よく理解されたでしょう」。
宿王華菩薩 合掌・礼拝して…… ハイ 良く分かりました 世尊、ありがとうございます。 (8)へつづく