薬王菩薩本事品 (8)
世尊 つづける
「宿王華菩薩しゅくおうげぼさつ よ、この法華経は、能よ く、一切衆生を救いたもう教えなり。
この経は 能よ く 一切衆生をして 諸々の苦悩を離れしめたもう教えなり。
この経は 能よ く 一切衆生をして 饒益にょうやく し その願いを充満じゅうまん せしめたもう教えなり。
法華経には 一切衆生を苦悩から救い 利益りやく を与え 一切衆生の願を叶える力を具えているのです。
清らかな水をたたえた池の水は、喉が渇いた人の喉を潤し、その人を生き返らせるするように、
寒さに震えている人が、暖かい火にあたり、身体も心も温まり安心するように、
裸の人が、身にまとう衣服を得てありがたいように 道に不慣れな旅人が 良い案内人を得て喜ぶように、
真っ暗な夜に 灯りを得て足元が明るいように 貧しい者が 金銀の宝を得て暮らしが楽になるように、
良き統治者とうじしゃ の治める国と民は 繁栄するように
世界中を航海する貿易商売人が、より安全で平穏な海路かいろ を見つけて海難を防ぐように
松明たいまつ の火が 暗闇を明るく照らし出すように‥‥‥法華経は、衆生の一切の悩みや苦痛を除くのです。
この法華経は 人生に起きる諸々の変化に戸惑い捉われて、自由を失い恐怖で慄おのの く衆生の心を
苦のあざなえる縄目から、解放させる力をもっているのです。
宿王華菩薩よ、法華経を聞いた人が、この経を自分で書き、又人にも書かせたとしましょう。
すると、その人には、仏の智慧をもってしても量りしれないほどの 功徳が授かります。
しかも、この経巻きょうがん を書写し、さまざまに供養したならば、その功徳は無量無辺でありましょう。
皆さん、供養とは教えに感謝の意を表わすことです。 感謝の意は教えに対して表すものです。
感謝の意を表す第1歩は、教えを実行し説き広めることです。これが仏の道の始発駅(出発点)なのです。
次に 五・五百歳の時代を 説きましょう
「私の滅後には 五つの五百歳ごひゃくさい の時代が来るでしょう。
第1 五百歳とは 解脱堅固時 げだつけんごじ といい 正法 しょうぼう の時代。
第2 五百歳とは 禅定堅固時 ぜんじょうけんごじ といい 同上の時代。
第3 五百歳とは 多聞堅固時 たもんけんごじ といい 像法 ぞうぼう の時代。
第4 五百歳とは 多造塔寺堅固時 たぞうとうじけんごじ といい 同上の時代。
第5 五百歳とは 闘諍堅固時 とうじょうけんごじ といい 末法・まっぽう・の時代。
解脱堅固時とは 人々が皆、仏(世尊)の教えを護り実行し、煩悩の苦しみから解脱できる確かな時代。
禅定堅固時とは 社会の変化などで 教えの正しい実行が難しい 仏滅、五百年の時代。
この時代は 新しい時代の中で、教えを生かすにはどうしたらいいのかを 模索する時代。
教えを受持する人たちが 禅定ぜんじょう に入って 深く思索し思考する時代。
多聞堅固時とは 仏は歴史上の人物と考える人が増えて 衆生の心が仏の心から遠く離れてしまう 仏滅千年の時代。
仏や教えや・仏への尊敬の念は残るが 衆生が仏を恋慕渇仰れんぼかつごう する心は薄い時代。
物質文化が発達して 複雑な世の中に変化しいき 教えを求める気持ちが少なくなる時代。
また 学問的な面から、教えの研究が進む時代。
多造塔寺堅固時とは 仏法の精神が失われていく 多聞堅固時の500年が過ぎた時代。
仏法を学び実践することが薄れ 塔や寺を建てて仏を祀るなど 形式的を優先する時代。
権力者は荘厳な寺院を建て 仏の教えを信じる善男子の如く 一族の繁栄を世に振る舞う時代。
また 僧侶たちは 貴族や権力者の保護により ぜいたくな暮らしぶりにドップリ浸かり、
大衆等は ご利益が授かることを願う安易な心で 寺院に詣でて手を合わせる時代。
闘諍堅固時とは 形式的なことさえも無視される 前の時代の500年が過ぎた時代。
自分の利益・自分の一家の利益・自分の団体の利益・自分の国の利益・自分の属する階級の利益のみを
追求して互いに衝突する 利己的な面が強い時代。
人々が我と我をむき出しにした 闘争が多い時代で 衆生の生活が不穏で不安定な時代。
世尊 今私たちが暮らす現代社会が 闘諍堅固時なのですね……ボサツマン
世尊
「ボサツマンよ 私はこれから正法・像法・末法の話をします。
つまり 闘諍堅固の時代を生きる末世まつせ の衆生が どう生きれば良いのかを、説き教えましょう」。
ハイ 分かりました よろしくお願いします‥‥‥‥‥ボサツマン (9)へつづく