薬王菩薩本事品 (9)
世尊
「今説明した 解脱堅固時げだつけんごのとき と 禅定堅固時ぜんじょうけんごのとき を合わせた千年間は
仏の教えが正しく守られ・正しく実行されている時代です。 正法の時代しょうぼうのじだい といいます。
その後 多聞堅固時たもんけんごのとき と 多造塔寺堅固時たぞうとうじけんごのとき の千年間は
仏法が形式的に像の形の上だけ残っている時代です。 像法の時代ぞうほうのじだい といいます。
次に 世の衆生が仏法ぶっぽう を身失う時代がやってきます。 末法の時代まっぽうのじだい といいます。
この末法の時代を 末世まつせ とよんでいます。
だが末世まつせ においても、仏法は消滅しておりません。衆生が仏法を身失っているだけなのです。
仏法は永遠不滅です。 宇宙の本仏の教えである仏の教えは、永遠に不滅なのです。
この末法の時代にこそ、仏の教えが必要であり、この末法の時代にこそ、法の真価が発揮されるのです。
末法の世から この法座へ学びに来たボサツマンも よく聞くのです。
末法の時代こそ、法華経を受持し・実行し・教えを説き広めることが大切であるのです。
仏は 末法の世の衆生を能よ く救うために 法華経の教えを説いたのです。これは真実なのです」。
次に 阿弥陀信仰の話をしましょう、 「阿弥陀仏の話」:「親鸞聖人の言葉」:「本仏/迹仏」
阿弥陀仏信仰は 仏(世尊)の滅後 500年後頃の正法の時代に、インドの西の方から入ってきました。
末世まつせ の日本では、死んだ人の魂が極楽浄土へ行ける、と説かれています。
この教えの奥には、けっして、地獄には行きたくない、という衆生の思い(願)があります。
もちろん すべての衆生は 誰でも死んだのちまでも、苦しみの地獄界には行きたくありません。
経文:
『是の経典を聞いて説の如く修行せば 此に於いて命終 みょうじゅう して 即ち、
安楽世界の阿弥陀如来の大菩薩衆の囲鐃 いにょう せる住処に往きて 蓮華の中の宝座の上に生ぜん』。
この意味は
この法華経を聞いて、釈迦牟尼仏(世尊)の教えの通りに実行するならば
来世 らいせ において、阿弥陀如来のおられる極楽世界に生まれ変わる という意味です。
是の経典を聞いて説の如く修行せば‥‥の この経典とは法華経のことです。
阿弥陀如来は、大慈大悲 だいじだいひ の仏で、あまねく衆生を浄土へ救いあげてくれる如来です。
故に 法華経の経典を聞いて 受持し・読誦し・修行し・教えを実行する衆生は、
阿弥陀如来の神通力により、極楽浄土へ生まれ変わることができると、この経文は説いているのです。
つまり 阿弥陀仏を信仰する衆生は、阿弥陀仏の神通力により来世は極楽浄土に生まれるのです。
来世において極楽浄土に生じるということは、来世は仏界の仏と成るということです。
一言で言うならば 阿弥陀仏を念じる(阿弥陀仏を信仰)衆生は 皆 成仏 じょうぶつ できる教えです。
この教えを日本では 他力本願の信仰と呼んでいます。 なぜ 他力なのか?
それは 自力の修行無しに 阿弥陀如来の神通力により、極楽浄土へ生まれ変わることができるからです。
説の如く修行せば‥‥の意味は
衆生が、法華経が説く宇宙の真理を悟り、真理の心で生きていく努力(修行)を重ねていくと、
阿弥陀如来は、その神通力の恩恵を衆生に功徳として与えるという意味です。
阿弥陀仏信仰も 法華経を受持し実行することで、真の力が発揮されるのです」。 (10)へつづく