釈尊の出宮 (7)
人間世界でも、互いに憎み合って争い合っていると見えていた生命、そう思っていた生命も、自分の敵と見えたものすべてが、
本当は 自分の魂を磨くありがたい砥石だったのです。 人間の魂はその砥石に磨かれて成長していくのです。
これも、人間の霊性・れいせい・が立派に啓・ひら・かれていくための、仏の慈愛の顕われなのです。
この世は、皆、生かし合い、解・と・け合い、愛し合いの世界だったのです。
釈尊は、婆羅門の娘/スジャータが差し出した一杯の粥・かゆ・を感謝の心で食べて、この世は素晴らしい世界だと気づいたのです。
ー釈尊の最初の悟りー
釈尊は、釈迦牟尼世尊・しゃかむにせそん・に成ったー。
12月8日、暁の明星をみながら、粥・かゆ・を食べた釈尊は、
ー有情非情同時成道・うじょうひじょうどうじじょうどう・、山川草木国土悉皆成仏・さんせんそうもくこくどしつかいじょうぶつ・ーと、悟りました。
有情ー生きとし生きるものー、非情ーありとしあらゆるものー、皆、悉・ことごと・く仏である。 山や川や草や木も、皆、悉・ことごと・く仏である。
釈尊はこの時に、釈迦牟尼世尊・しゃかむにせそん・と、成られたのです。
釈尊の人生観が、ガラット変わりました。
この世のすべてのものは、誰も殺したり殺されたりすることの無い、皆生かし合う生命だったのです。
庭の樹木でも、毎年、剪定・せんてい・を行い、枝葉を程良く切り取ると その樹木自身が元気よく育っていくのです。
むちゃくちゃに伐ることはいけないが、樹木は伐られることで、ますます成長していけるのです。
樹木についている毛虫を嫌う人も多いですが、この毛虫は害虫ではありません。 蝶の幼虫なのです。
蝶は花粉の交配を助ける益虫・えきちゅう・なのです。 花から花へと飛びまわり 花粉を伝播して草や木の交配に役たっています。
まぎれもなく、毛虫は害虫ではなく、草木を繁殖させる益虫(蝶)の赤ちゃんなのです、草木にとってはありがたい虫なのです。
ここにも、仏の愛(宇宙の法)が顕われていたのでした。
菜種油の菜種の花は、自分だけの力では 花粉の交配はできません。
蝶が運ぶ花粉の交配のおかげで 成長していけるのです、そして、人間がその油を活用しているのです。
つまり、元をたどれば、やはり、毛虫にも感謝して当たり前なのです。
樹木に住む毛虫は蝶に成るために、樹木の新芽を食べて大きくなっていきます、これも、剪定・せんてい・の一種なのです。
つまり、植物は自分の新芽を毛虫に食べさせて、蝶に成長させ、自分の種族の花粉の交配の任務をお願いしていたのです。
これも、助け合い、生かし合いのシステムだったのです。
植木屋が剪定しても良い部分を、毛虫に食べさせて蝶に成長させ、花粉を運搬して貰うという調和された世界だったのです。
ほかにも、調和された世界があります。 大きな柱時計がそうです。
見た目には、各歯車が互いに噛む動作・噛み合っている様に思えるが、実は互いに助け合って時計の生命を完・まっと・うしています。
各歯車は、自分の役割を賢明・けんめい・に行っているのです。
この姿が、この世の生命の本当の姿なのです。
悟りを得た釈迦牟尼世尊は、これから40数年もの間、インド各地を回り宇宙の真理を説法していくのでした。
釈迦牟尼世尊が悟った根本は、”一切衆生悉有仏性・いっさいしゅじょうしつうぶっしょう・”
意味は、すべての人間、生きとし生きるものは、悉・ことごと・く仏性をもっている。 合唱 (完)