仏告・ぶつごう・ー仏(世尊)が告げ給う
  「金剛手菩薩よ、諦・あきら・かに聞きなさい ー諦聴金剛手・たいちょうこんごうしゅ・ー           
   若し、後世にて、仏の道を信ずる善男子善女人比丘/比丘尼/優婆塞/優婆夷が、この法篋印陀羅尼経を書写したならば、
   九十九百千倶胝如胡麻如来・ぐていにょごまにょらい・ つまり、無量一切の如来が所説の一切経典を書写したことと同じなのである。
   九十九百千倶胝如胡麻如来、つまり、無量一切の如来の前にて、善根・ぜんこん・を植えたことなのです。
   すると、一切の如来は、この衆生を加持・かじ・、護念・ごねん・し給うのである。
   加持とは

    仏の摩訶不思議な力が衆生を加護する意味で、加は如来の威神力が衆生に灌がれること、持は衆生が威神力を実感すること。

   若し、衆生が法篋印陀羅尼経を読誦したならば、それは、過去の一切の諸仏所説の経典を、読誦したことと同じ大善利である。
   故に、無量一切如来は、昼も夜も、この衆生を加持し愛護し給うのである。
   又、香華・こうげ・や、妙なる法具を、この経に捧げ供養することは、一切如来の前に、天華・てんげ・七宝・しっぽう・を山積みし、
   修善・しゅうぜん・したことになるのである。 つまり、大善行である故、大善利が授かる行為なのである」。
                                                    天華とは、天上界に咲く霊妙な花
  爾時・にじ・ 世尊の法話を聞いた天龍八部衆の人非人等は皆互いに喋り合った。
     ー
古く土砂に埋もれ朽ちた塔でも、こんなにも、奇特・きとく・ー特に勝れて珍らしいーな威徳があることを、私たちは学びました。
     そして、目の前で起きた神変・しんへん・(大光明と大日如来の声)は、如来の神力によることと、理解いたしました
     彼らは、自分の現前で起きた貴重な体験を、尽語・じんご・(耳語・じご・心に固く決意するしたのでした。
 
   次に、金剛手菩薩(金剛身ー金剛の如く不壊・ふえ・の身)が、仏に申す
   ー世尊、一切如来の尊い七宝の塔が、土砂に埋もれているのはなぜですか? どんな因縁によるのですか?ー。
  仏告・ぶつごう・ 
  「金剛手よ、これは土砂の塊・かたまり・ではない。 殊妙・しゅみょう・なる七宝から成る、一切如来の大宝塔なのである。
   だが、衆生の目には 本来の実相の姿・七宝の相・が見えないのは、衆生の諸々の業果・ごうか・が尽きていないからである。
   つまり、衆生の業障・ごうしょう・によるのである。
   業障尽たなき衆生には、宝塔が崩れ朽ちて見えるだろうが、如来の全身舎利・ぜんしんしゃり・は、崩れ朽ちてはいない。
   如来の全身舎利は、金剛・ダイヤモンド・の身である故、壊れることは、けっして無いのです。
   私の滅後、末法の「五百歳の時代」の時代には、
   三宝(仏僧)に背を向け、非行の限りを尽くす衆生が増えるであろう。 善根を植えず地獄に堕ちる衆生が増えるであろう。 
   仏法の信心を捨てた多くの衆生は、自からの業により苦悩することであろう。

   そんな末法の時代にも、金剛身一切如来の宝篋印塔は、神力に加持されるが故に、豪末も滅せず堅固・けんご・のままである。
   だが、末法の世の無智の衆生は、惑障・まよい・に覆われている故、如来の宝塔が埋もれ朽ちるにも、無関心のままであろう。
   無智の衆生は、一切如来の全身舎利である宝篋印塔を祭ることを知るまい。  まことに、浅ましき極みである。
   今、我(世尊)の落涙・らくるい・も、諸仏如来が共に流した落涙も、すべて、未来世の無智の衆生を、憐れむが故なのである」。

   ボサツマン、師匠・世尊の落涙を見るのは、末法の時代に生きるオイラたちも忍びがたきことです。
           オイラでもできることを、何かやらねばならん、とは思うものの …… う〜ん情けなか〜トホホ ……
  
  つづけて仏(世尊)は、教え説く
  「衆生あって、本経を書写し塔中に安置するならば、塔は即、一切如来の金剛身の宿り給う卒塔婆・そとば・(尊貴なる霊廟)となる。
   無量の如来の卒塔婆であり、一切如来の仏頂・ぶっちょう・であり、仏眼の象徴である、故、一切如来の神力に護持される。
   若し、法篋印陀羅尼・ほうきょういんだらに・を 塔内に安置するならば、その塔がたとえ木や石や土で造られていようとも、
   忽・たちまち・、七宝塔と変じて、その霊験はその衆生(行者)に応じた願いを叶え、衆生の心を満たすことであろう。
   塔の傘や蓋、鈴、階・きざはし・(台座)が、仮りに、木瓦であろうとも、陀羅尼経の威力により、七宝塔と変じるのである。
   なぜなら、一切如来は、仏の威神力をこの経典に与え、不断に加持し給うからである。

   この七宝塔に向かい一香一華にあれ供養し礼拝する衆生あれば、その衆生の過去世、八十億劫・こう・の罪業は一時に消滅し
   現世にては災殃・さいおう・(災難)を免れ、来世にては仏家に生誕するであろう。           1劫は人間時間で10万年
   又、来世にて無間地獄に堕ちる身の悪人であろうとも、現世にて、この七宝塔に向かい一度・たび・礼拝しておくならば、
   やがて往き向かう地獄の門は開かずに、菩提(極楽)への道に導かれるであろう。
  ボサツマン仏にメール 世尊、それって凄いじゃないですか!オイラも八十億劫・こう・の罪業を消滅したいです〜。

  無量一切如来の神力は、この宝塔の在所(ある場所)を護持・ごじ・し給うから、塔は風雨の難受けず、毒蛇害虫を寄せ付けない。
   又、この宝塔を礼拝する善男子の修行者は、あらゆる悩病諸病・のうびょうしょびょう・の苦を受けることは無い。
   たとえ一時(いっとき)にもせよ、この宝塔を礼拝した衆生は、一切の災難から免れるのである。
   この宝塔を礼拝するならば、その衆生は、横死非命・おうしひめい・(事故や災難で死ぬ、早死に)すること無いのである。
   又、刀杖瓦石・とうじょうがしゃく・の難から逃れ、怨賊・おんぞく・の侵略にも会わず、飢餓貧窮・きがひんきゅう・に陥ることも無いであろう。
   これは、一切の如来諸天善神が、昼夜・ちゅうや・三時に来下・らいげ・して、この宝塔を護念・ごねん・しておられるからである。
   この七宝塔の四方は、如来の形相・ぎょうそう・である。 つまり、その四方には、如来が堅住・けんじゅう・しておられるのである。
   宝篋印塔・ほうきょういんとう・とは、如来の金剛全身舎利の妙宝蔵の宝塔のことである」。

  金剛手菩薩が、仏の前にすすみ申した
   世尊、我らを憐み、ぜひ、最尊の宝篋印陀羅尼を説き教えてください、大衆は皆、望んでおります
 
  仏の宣・のたまわ・く、(仏号・ぶつごう・
   「金剛手菩薩よ、諦・あきら・かに聞きなさい 諦聴金剛手・たいちょうこんごうしゅ・ー
    深く思念して忘失・もうしつ・するなかれ。 過去現在未来の一切如来の分身の光儀・こうぎ・(光臨の意:来訪の尊敬語)、
    過去現在未来の無量一切如来の全身舎利、皆、この法篋印陀羅尼に在中されておるのです」。
  
  そして、爾時世尊即説陀羅尼曰 にじせそんそくだらにわっ 世尊は陀羅尼を説き給われた。     「法篋印陀羅尼経の解説」
       …つづく…