譬諭品第3 ひゆぼん 
 『仏は段階を経て教えを説くのはすべての衆生を仏と同じ境地に導き入れる目的のため』という
 仏の一大事
 いちだいじ を理解した舎利弗しゃりほつ 
 「
世尊ありがとうございます 私はなさけない人間でございました。今初めて目があきました。
  私は長い間
世尊のお側で真理の法を学んできました。
  その間
他の菩薩たちは次々に授記成仏じょうぶつ の保証を受けたのに自分は得られませんでした。
   ーああ自分は仏の智慧を見い出さずに このまま終わるのかと、心が憂鬱ゆううつ な日々でした。
  菩薩仲間と一緒に仏の教えを聞いた自分は
菩薩仲間と同時に悟れるのだと簡単に思っていました。
  菩薩仲間の授記を見る度たび 心が暗く沈み
アテも無く森の中を彷徨さまよう だけの情けない自分でした。
 世尊は自分以外の弟子たちには菩薩道の修行で万人を救う大乗の教え説いているのに
 
なぜ自分には小乗の教えしか説いてくれないのだろうと思い見放された寂しい気持ちでいっぱいでした。
 
小乗の教えばかりを学ぶ自分を低く蔑さげす 他の菩薩を妬ねた 心がひが んでばかりでした。
 私は
自己の心の満足だけしか考えない高慢こうまん うつわ がとても小さい人間でした。
 世尊は
対機説法たいきせっぽう を用いて相手と場合に合わせた多様な方法で仏の教えを説いてきました。
 それは
方便の教えだということを忘れ自分はもう悟ったと勘違いしておりました。
 その反面
他の菩薩の授記(成仏の保証)を見ては、自分はダメな人間だ仏になれない人間だと、
 自分を責めつづける日々を送っていました。 私は
そんな情けない人間でございました。
 しかし
今始めて目が開・あ・きました。 私は仏の子供なのだということを心から理解できました。
 舎利弗の心は180度変わりました
 世尊の説法を聞いて
仏が説く最上の御教えを知ってものの見方がすっかり変わりました。
 今
懺悔さんげ 反省の心仏の前で自分の過ちを告白したので、私の心はすっかり入れ換わりました。
 世尊
自分は今いままでの至らなさを懺悔反省して感謝の心で満ち満ちています」。

 
世尊舎利弗に授記する                                   「授記を授かった順番
 「
善哉善哉舎利弗しゃりほつ よく悟ってくれました。私はたいへん嬉しい気持ちでいっぱいです。
  あなたにも
授記じゅき を授けましょう。
  あなたが
気がついたその清い心を忘れることなく、これからも持ちつづけていってください。
  あなたの今後は
数多くの仏の教えを学び感謝し
修行し善行を重ねていくことでしょう。
  そしてついにあなたは必ず仏の境地を得るでしょう。
  仏号
ぶつごう 崋光如来けこうにょらい 国の名は離垢りく 時代は大宝荘厳だいほうしょうごん と名づけます。
 
しかし
舎利弗よ、ここで気を緩めてはなりません。

 この先何もしなくても仏に成れる
訳ではありません。授記とはそんないい加減な保証ではありません。
 仏の教えは
自分で学び自分から法の実践じっせん を行う教えです。身を率先そっせん し行動する教えです。
 ですから、仏の教えは、頭と身体の両方で覚えなければならないのです。
 仏の根本の教えは自分も他の人も共に幸福になる力を説いているのです。
  自分だけの悟りは
まだまだ小乗の悟りなのです。
  大乗の教えの実践は、自他共に救われることが目的です。 これは真実です。忘れてはなりません」。
 

 舎利弗
しゃりほつ は誓いました。
 「
ははあ〜、決して忘れることなく、修行に励んでまいります」。
   良かった良かった!舎利弗も授記されてそうか仏の教えは頭と身体の両方で覚えることなんだ
 ‥‥‥ボサツマン
  つづく